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謝罪

 翌日、リリアは昨日と変わらぬ様子で学園に登校していた。

 教室でふとした瞬間に視線が重なるが、リリアは気まずそうに、けれどどこか悲しげな色を瞳に宿して、すっと視線を逸らした。

 事情を聞いたサリーナが隣でノルンに厳しい視線を送り、まるで守護者のようにリリアに付き添っている。


 もともと学園内では、派閥や立場の目を気にしてリリアに声をかけることはなかったノルンだが、今日ばかりはその沈黙がもどかしくてたまらない。謝るチャンスを伺いながら時間は過ぎ、ついに放課後を迎えた。


 校門の前、迎えの馬車を待つリリアの姿をノルンは見つける。幸い、エリオットやサリーナの姿は近くになく、周囲には誰もいない。今しかない。ノルンは決意を固め、重い足取りで彼女に歩み寄った。


「おい、リリア……。昨日のことだが」


 ようやく声を絞り出したその時、リリアの背後から、凍てつくような殺気を孕んだ声が響いた。


「姉様に近づかないで。不愉快だ」


 いつの間に現れたのか、リリアを背中に隠すようにして立ちはだかったのはルカだった。中等部の制服を着た十二歳の少年とは思えないほど、その翡翠の瞳は冷酷な光を放ち、ノルンを真っ向から射抜いている。


「……ルカか。どけ、お前に用はない」


「用があるのは僕の方だよ。姉様を泣かせる奴は、たとえ公爵家の嫡男だろうと僕の敵だ」


 ルカはピシャリと言い放ち、一歩も引こうとしない。その小さな身体から溢れ出る魔力は、ノルンへの明確な拒絶と威嚇を示していた。


「ルカ、もういいのよ……」


 リリアが困ったようにルカの肩に手を置くが、ルカはノルンから視線を外さず、吐き捨てるように続けた。


「ポルトで何があったか知らないけど、ここでのあんたはただの傲慢な貴族でしかない。姉様の心を掻き乱すなら、次は容赦しないから」


 リリアの手を引いて、ルカはやってきた馬車へと乗り込んでいく。

 

 走り去る馬車の土煙を眺めながら、ノルンは苛立ちに任せて髪を掻き回した。


「……チッ、どいつもこいつも」


 このまま引き下がるのは彼の気性が許さない。だが、今のリリアにはルカという鉄壁の護衛がつき、エリオットも隙を伺っている。

 ノルンは踵を返すと、足早に校舎へと向かった。




* * *



 

「おい、サリーナ。……話をきけ」


「あら、ノルン様? 淑女を捕まえて随分と手荒なご挨拶ですこと」


 サリーナは驚いたふりをして見せたが、その瞳にはすべてを見透かしたような愉悦の色が浮かんでいる。 ノルンは屈辱に顔を歪めながら、しぶしぶといった様子で声を絞り出した。


「リリアだ。……あいつと二人きりになれる場所を教えろ」


「まあ!あのノルン様が私に頼みだなんて、明日は槍でも降るのかしら?」


 くすくすと扇子の裏で笑うサリーナを、ノルンは鋭く睨みつける。

 そして、しばし考え込むフリをしてから、唇を艶やかに吊り上げた。


「いいわ。リリアを明日の放課後、旧校舎の温室へ向かわせるよう手配してあげてもいいけれど……」


 そこで言葉を切り、彼女はノルンの顔を覗き込む。


「――で? 私への報酬は、何かしら? ノルン・ヴァルディアン公爵令息様」


 親友を売るからには、それ相応の「対価」を求める。サリーナのガーネットの瞳が、獲物を追い詰めた肉食獣のような狡猾な光を放った。


 ノルンは忌々しげに舌打ちをし、深く重いため息をつくと、観念したようにサリーナを真っ直ぐに見つめた。


「……分かった。一つだけ、お前の言うことをきこう。俺にできる範囲ならな」


 琥珀の瞳が、相手を圧するように強く光る。サリーナはその気圧されるような視線に一瞬だけたじろいだが、すぐに勝ち誇ったような口角を上げ、極上の笑みを浮かべて自らの望みを口にした。


 ノルンの目が見開かれ、絶句した。


「お前、正気か? そんなことをすれば、ヴァルディアン公爵家とランドル侯爵家が公に手を取ったと見なされる。……分かって言っているのか」


「むしろ、私にとっては好都合だわ。周囲の雑音を黙らせるには、これ以上ない盾になりますもの」


 サリーナは余裕たっぷりに、優雅な手つきで扇をあおいだ。ノルンはしばらく黙り込み、やがて絞り出すように承諾の言葉を吐き出した。


「……わかった。約束しよう」


 屈辱に顔を歪めながらも、ノルンは吐き捨てるように告げた。リリアに謝罪する機会を得るためだけに、彼は公爵家としての矜持を切り売りしたのだ。


「交渉成立ね。では、明日の放課後、南の温室にいらっしゃいな」


 サリーナは満足げに、勝利の美酒を味わうような笑みを残して去っていった。



* * *



 旧校舎の隅にひっそりと佇む温室。

 放課後の柔らかな光が、手入れの行き届かないガラス屋根を透かして、色とりどりの花々に斑な影を落としている。


「サリーナ様、珍しいお花って……?」


 「見せたいものがあるの」というサリーナの言葉に誘われ、一人で温室の重い扉を押し開けたリリアは、そこに立っていた人影を見て息を呑んだ。


「……ノルン、様」


 リリアの翡翠の瞳が、微かに揺れる。

 そこには、温室の柱に背を預け、落ち着かない様子で床のタイルを睨みつけているノルンがいた。彼はリリアの声に弾かれたように顔を上げると、逃げ場を失った獣のような、ひどく不器用な表情を浮かべた。


「……来たか」


 その声は、昨日の怒声とは裏腹に、驚くほど低く、掠れていた。

 ノルンの手には、温室に咲くどの花よりも鮮やかな、一房の青い小花が握られている。それはポルトの海岸線にしか咲かない、リリアが大好きだった花だ。


「どうして、ここに……。今日は、お会いしないものだと……」


 リリアが戸惑いながら一歩下がろうとすると、ノルンは焦ったように距離を詰め、彼女の行く手を遮った。


「待て。……先日のことだ」


 ノルンは琥珀色の瞳を泳がせ、言い淀む。

 周囲に人がいれば、決して見せることのない弱腰。彼は自分のプライドを押し殺すように、リリアの足元に視線を落としたまま、絞り出すように言葉を続けた。


「……あんなことを言うつもりじゃなかった。俺の周りは、何を言っても笑う奴らばかりで……お前が泣くのは予想外だった。……その、悪かった」


 生まれて初めて口にする、真っ直ぐな謝罪。

 射抜くような琥珀色の瞳と視線がぶつかった瞬間、リリアの視界が歪み、意識は遠い記憶の底へと引きずり込まれた。



.



 脳裏に蘇ったのは、王都にある白亜の迎賓館の光景。眩い陽の光を浴びて、子どもたちの無邪気な笑い声が中庭に響き渡っている。

 その中心にいたのは、柔らかく輝く金髪の少年だった。

 薄い琥珀色の瞳は今と変わらない。けれど、そこには今の苦悩に満ちた揺らぎなど微塵もなく、澄んでいるのにどこか高慢さを帯びた光を宿していた。


 少年はまるでそれが世界の理であるかのように、当然の権利としてリリアを見下ろしていた。


「なぁ、お前。あれ取ってこいよ」


 傲慢で、不遜。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。

 当時のリリアは「冬の薔薇」として心を閉ざし、周囲からも腫れ物に触れるように扱われていた。そんな彼女の壁を遠慮なく踏み越え、対等にぶつかってきたのは、彼だけだったのではないか。


『誰かに期待されたり、叱られ、認められる中で少しずつでも出来るようになったり、自分を分かってもらえること。それってとても嬉しいことなのよ』


 それは、かつて母が教えてくれた言葉だったか。あるいは、あの傲慢な少年とのやり取りの中で、幼いリリアが導き出した答えだったか。


 目の前で不器用に青い花を握りしめ、顔を赤くして俯いている青年。その面影が、記憶の中の小さな少年と重なり、鮮やかに一つへと溶けていく。


(……あれは、もしかして、ノルン様だったの?)


「ノルン……様? 私たち、ずっと昔に、お会いしていませんでしたか?白亜の宮殿で」


 リリアの翡翠の瞳が、驚きと懐かしさで大きく見開かれた。その問いかけに、ノルンはさらに顔を赤くし、バツが悪そうに視線を泳がせた。


「……今更思い出したのかよ。本当、のろまな女」


 ノルンは吐き捨てるように言ったが、その耳元は隠しきれないほど真っ赤に染まっている。彼は持っていた青い花を無理やりリリアの手に押し付けると、苛立ちを誤魔化すように乱暴に髪を掻き上げた。


「あの時……俺は、驚いていたしムカついた。どいつもこいつも俺の顔色を伺って、言えば何でも思い通りになる。なのに、お前だけは違った」


 琥珀色の瞳が、過去の苛立ちと、それを上回るほどの熱を帯びてリリアを射抜く。


「『取ってこい』と言えば、お前は無表情なまま『嫌です』と即答しやがった。俺の言うことがきけないのか、なぜ俺に従わないんだと……。あんなに自分の思い通りにならない奴に会ったのは、人生で初めてだったんだ」


 ノルンにとって、リリアは自分を「公爵家の嫡男」としてではなく、一人の「傲慢な少年」として拒絶し、正面から向き合ってくれた唯一の存在だったのだ。


「……お前にあんな風に説教されて、俺がどれだけ混乱したか知っているか?」


 リリアは手の中の青い花を見つめながら、驚きと温かさが混ざり合った不思議な感情を抱いていた。


「……でも、ノルン様。私も、実は少しだけ嬉しかったんです。あの頃は、誰も私に本心を見せてくれなかったので」

 

 リリアがふわりと微笑むと、ノルンは絶句して、耐えきれないように顔を背けた。


「……フン。子どもには、厳しい世界だったな」


 二人の間に流れるのは、昨日までの刺々しさとは違う、どこか懐かしくも新しい空気だった。



 温室の影、手入れの行き届かない茂みの奥で、ルビー色の瞳が怪しく光っていた。

 ミラ・フェンディは、重なり合う二人の影を、息を潜めて見つめていた。リリアが青い花を手に微笑み、あの傲慢で氷のようだったノルンの表情は柔らかい。


「ふふ……あんなに可愛らしく乱れるのね、ノルン様」


 ミラは自らの唇に指を当て、恍惚とした吐息を漏らした。

 周囲の人間を意のままに操ってきたミラにとって、自分を拒絶し、あまつさえ他人のために心を痛めるノルンの意志は、何よりも魅力的な獲物に見えた。

 けれど、それ以上にミラの視線を釘付けにしたのは、リリアだ。


「そしてリリア様……貴女はやっぱり、特別なお人形。あんなに毒の強い男の心さえ、こうして溶かしてしまうなんて」


 ミラの瞳に宿るのは、純粋な嫉妬ではない。それは、最高級の宝石を二つ同時に見つけた子供のような、底なしの強欲だった。

 ノルンの猛々しいほどの情熱も欲しい。

 けれど、その熱を向けられ、可憐に、そして神秘的に咲き誇るリリアも、まるごと手に入れたい。


「二人とも、私に跪いてくれたら、どんなに素晴らしい景色かしら。……そう、二人セットで、私のコレクションに加えたいの」


 ミラの魔力が、彼女の興奮に呼応するように、周囲の空気をわずかに震わせた。

 彼女にとって、愛とは支配であり、所有だ。ノルンがリリアを想うほど、リリアが誰かに愛されれば愛されるほど、ミラの目には二人がより一層「美味しそう」に映る。


「仲良しなのは結構だけれど、私のことも忘れないでね? ……春の歓迎会、今から楽しみで仕方ありませんわ」


 ミラは音もなくその場から消えた。

 残された甘く、どこか刺すような香りが、これから訪れる嵐の予兆のように、温室の空気に混ざり合っていった。

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