第7章
田中は王様然として椅子にふんぞり返って、俺を待っていた。
「で、なんだ、佐藤。報告ってのは。手短にしろよ、俺はこれから会食なんでな」
その言葉とは裏腹に、奴のプライベートスケジュールに会食の予定などないことは、すでに調査済みだ。
俺の視界の端では、ドミネーターが冷静に田中の心理状態を分析している。
《TARGET: TANAKA, KOJI》
《EMOTIONAL STATE: 苛立ち 70%, 優越感 25%, 警戒 5%》
警戒、ね。さすがに、呼び出された意図を測りかねているらしい。
だが、まだ余裕しゃくしゃくといったところか。
俺は、無言で田中のデスクに近づいた。
そして、奴の目の前にある、真っ白な壁に向かって、ドミネーターの隠し機能の一つである、マイクロプロジェクターを起動する。
「な、なんだ、貴様……」
田中が訝しげな声を上げる。その声は、次の瞬間、驚愕に変わった。
白い壁に、くっきりと、一枚の画像が投影されたからだ。
それは、高級フレンチレストランで、満面の笑みを浮かべる田中一家の写真。
彼の妻がSNSにアップしていた、ご自慢の一枚だ。
俺は、表情一つ変えずに、静かに尋ねる。
「これ、見覚えありますか? 田中部長」
「なっ……!?」
田中が息を呑むのが、手に取るように分かった。奴の顔から、急速に血の気が引いていく。
俺の視界のUIが、リアルタイムで奴の醜い内面を暴き立てる。
《EMOTIONAL STATE: 混乱 80%, 動揺 75%》
《STRESS LEVEL: 75% (HIGH) - RAPIDLY INCREASING》
俺は、間髪入れずに、次の証拠を投影した。
写真の横に、会社の経費システムから抜き出した、同日付けの領収書のデータを並べる。
『クライアントA社様との懇親会費:15万円』。
レストランの名前も、金額も、完全に一致している。
「これは、どういうことです? ご家族とのプライベートなお食事を、会社の経費で落とされたのですか? これは、悪質な横領にあたると思いますが」
「き、貴様っ……! なぜ、その画像を……!」
田中は、椅子からガタッと立ち上がった。
その顔は、怒りよりも、恐怖で歪んでいる。
《PSYCHO-ANALYSIS RESULT》
【不安: 95%】
【恐怖(露見): 98%】
【攻撃性(虚勢): 60%】
「なぜ、ですって? 私には全てお見通しですよ」
俺は、さらに畳みかける。
壁の映像が切り替わり、今度は温泉旅館の貸切露天風呂で、若い女と抱き合う田中の無様な姿が映し出された。
「ひっ……!」
田中が、短い悲鳴を上げた。
「『新規プロジェクトの視察』ですか。ずいぶんと、楽しそうな視察ですね。相手の女性は、総務部の派遣社員の方でしたか。これも業務の一環だと?」
次から次へと、俺は奴の罪状を壁に映し出す。
部下の手柄を横取りしたメールの文面。
俺が過去に提出した設計図を、自分が考案したかのように改竄したレポートのドラフト。
その一つ一つが、奴の息の根を止める、確実な弾丸だった。
「やめろ……もう、やめてくれ……」
さっきまでの威勢はどこへやら。
田中は、デスクに手をつき、がっくりと肩を落とした。
その額には、脂汗がびっしりと浮かんでいる。
《STRESS LEVEL: 99% (CRITICAL)》
《PULSE: 145 BPM》
ほう、人間、極度のストレスに晒されると、ここまで心拍数が上がるものなのか。
「やめて欲しければ、それなりの誠意を見せていただかなければ」
「な、何が望みだ……金か? 金なら、少しは……」
「金? はした金に興味はありませんよ」
俺は、ゆっくりと首を横に振った。
そして、デスクを回り込み、崩れ落ちそうな田中の目の前に立つ。
見下ろす俺と、見上げる田中。
昨日とは、完全に立場が逆転していた。
「頼む……! 頼むから、これだけは誰にも……! 会社に知られたら、俺は……!」
田中は、震える声で懇願する。
その姿は、哀れで、滑稽で、そして、俺の心を最高に満たしてくれた。
「いいでしょう。では、条件があります」
俺は、奴の耳元に顔を寄せ、悪魔のように囁いた。
「一つ。今後は、私に対して、常に敬語を使うこと。私を『佐藤さん』と呼ぶこと。よろしいですね?」
「……っ!」
「二つ。毎朝、私のデスクに、あなたが淹れたコーヒーを持ってくること。もちろん、私が一番好きな、キリマンジャロの豆で。そして、三つ目。今後、私の業務に一切の口出しをしないこと。あなたが私にできるのは、私の提出する書類に、黙って判子を押すことだけです」
田中は、わなわなと唇を震わせ、俺の顔を睨みつけた。
だが、その目に、もはや力は残っていない。
壁に映し出された、動かぬ証拠の山。
それが、俺の言葉の絶対性を物語っていた。
数秒の沈黙の後、田中は、絞り出すような声で言った。
「……わか、り……ました……」
その瞬間、俺の全身を、今まで感じたことのない、強烈な快感が貫いた。
脳が、痺れる。
全身の細胞が、歓喜に打ち震える。
これだ。俺が求めていたのは、これだ!
金でも、地位でもない。
俺を虐げた人間が、俺の目の前でプライドをズタズタにされ、完全な支配下に置かれる、この絶対的な勝利の感覚!
俺は、満足げに頷くと、踵を返した。
「では、そういうことで。明日からのあなたの『誠意』、期待していますよ――田中くん」
最後にそう言い残し、俺は部屋を踵を返す。
背後で何かが崩れ落ちるような、鈍い音が聞こえた気がした。
誰もいない廊下を歩きながら、俺は笑いをこらえることができなかった。
ドミネーター。支配者。
こいつは、本物だ。
俺は、神の力を手に入れたんだ。
さて、と。
俺の復讐リストに載っている、次の獲物は誰だったか。
ああ、そうだ。
あの、美しい顔で、俺を「キモいオタク」と蔑んだ、あの女。
白石美咲。
俺の口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。
次のゲームは、もっともっと、楽しくなりそうだ。