落とし穴の話②
スクエラがいなくなって、ホワイト家は少し静かになった。食事の席は黙って料理の味をたしなむ色合いが強くなったし、僕は勉強と稽古の間に休憩することがなくなった。
休憩しないならしないで、集中力は案外持つものだとわかったけれど、わかったところで意外と嬉しくなかった。
「クリム、ちょっとお出かけませんか」
ラグラン先生が提案したのは、そんな時期だった。
先生の方は悩みが解消しつつあるのか、普段通りに戻りつつあった。
「最近元気がないようですから、少し遠出して息抜きしませんか?」
「それは、どこに行くんですか?」
「まだ内緒です」
ラグラン先生は口元に指を立ててみせた。
息抜きか。悪くないかもしれないな……。
僕は首を縦に振った。
***
「先生、大丈夫ですか?」
「な、なんのこれしき……」
ラグラン先生はぜえぜえと息を切らし、杖にすがりつきながら十歩ほど後ろを歩いていた。
「この道で合ってるんですか?」
「そう、だよ……」
「この先に何があるんですか?」
「君を連れていきたいところだよ……」
ここは馬車に乗って半日ほど移動してきたところにある山だ。ふもとの村から登ること一時間。ラグラン先生はすっかりバテてしまった。
迷宮も近くにないため魔物はほとんどいない。野生動物はいるが、獣除けの鈴などを持っていればおおむね平気らしい。
空気が冷たい。木々のざわめきと鳥のさえずりが聞こえる。土をふむ感触が楽しい。屋敷の周りの地面は踏み固められているから、ふかふかした土というのは久しぶりだった。
僕は久々の余暇を満喫していた。山の自然に心の中のなにかが満たされていくのを感じる。スクエラがいなくなった虚無感にはとうていおよばないが、知らぬ間に勉強ですりへっていた神経が修復されていくようだ。
来てよかった。
僕はそう感じていた。
「ぜー、はー……」
ただ、先生の荒い息遣いだけがこの自由な空間にそぐわなかった。現実に引き戻される感じがする。
「大丈夫ですか、先生?」
「なんのこれしき……」
そういいながら青い顔でよろよろとついてくる。大丈夫だろうか。使用人がいなくてのびのびできるのはいいが、ラグラン先生が倒れたらもうどうしようもない。先生を運ぶほどの力は僕にはないので、置いていくしかない。
「死なないでくださいね、先生」
「えっ、どうして? 急に怖いこと言わないでくださいよ……」
「冗談です」
ラグラン先生をからかって満足して、僕は少し先に進むことにした。先生のペースに合わせると遅すぎる。
スクエラはいなくなってしまった。でも、これで良かったのだと思う。もうこのまま彼女は帰ってこない方がいい。他に好きな人を見つけた方がいい。そうすべきだ。
僕には、やるべきことがある。シャルロット様を助けなきゃならない。そのために強くならなきゃならない。
僕はどうしてもシャルロット様には幸せになってほしい。
スクエラのことは二の次になる。スクエラは……、僕がいなくても幸せになれるだろう。彼女は自分で幸福をつかみとれる人だと思う。よほどの困難がない限り、幸福になれるだけの強さが彼女にはある。
僕は、いつかスクエラを見捨てるだろう。
シャルロット様とスクエラのどちらかと言われれば、僕はシャルロット様を選ぶ。シャルロット様に幸福な結末が訪れることは無いと知っているからだ。
僕は、スクエラを見捨てて、シャルロット様を救う道を選ぶ。
必ず。必ずだ。
でも、その選択を、スクエラには知られたくないとも思う。
これは僕のわがままだ。個人的で、利己的で、感情的な、ただの……わがまま。僕のことを好きでいてくれた彼女に対して、あまりにも不誠実だと思う。
でも、それでも、知られたくない。ショックを受ける彼女の顔をみたくないと思ってしまうから……。
だから、一緒にいない方がいい。
「……なんだあれ?」
ふと気づくと、木々の上を煙が泳いでいた。
水色の空に、毒々しい赤紫色の煙がふらふらと立ち上っている。
「着きましたね」
気づけば隣……ではなく十歩ほど後ろにいたラグラン先生は木に寄りかかりながら、疲れ切った笑みを浮かべた。
「ここが目的地ですよ」
「あの煙が、ですか?」
「そうです。さあ、もうひと踏ん張りですよ」
「踏ん張るのは先生だけですよ」




