落とし穴の話①
「クリム、起きてよ。ほら、お話ししてよ」
「……」
「もう! 戻ってこないなら、勝手に……キ、キスしちゃうからね! いいの!?」
「それはよくないね」
「なんで起きちゃうの!?」
「君が起きろって言ったんじゃないか」
「そうだけどお……」
「キスはいつか大事な人ができたときのためにとっときなよ」
「婚約者は大事な人でしょ?」
「婚約は君が破棄したって聞いたけど?」
「むぅ……」
「じゃあ……、あらためて、話そうか」
僕はスクエラのふくれた頬をつついた。
「僕のこれまでの九年間について」
「……いいから、さっさと話して」
「……はい」
***
ラグラン先生はここしばらく、浮かない表情で悩んでいる様子だった。
僕は、シャルロット様とあって、転生したこととその目的を思い出した。そのあと僕は以前にも増して、かなり増して、熱心に授業を受けるようになっていた。
朝はにわとりのコケコッコーで始まり、夜はフクロウが鳴いても終わらない。来る日も来る日も、剣術と魔術と学問にはげみ続けること、はや数か月。
今日、僕は通常の貴族の子供が十二歳で修了する過程を終えたことを、ラグラン先生に告げられた。
「どうですか、先生。僕もやるものでしょう?」
「……ああ、実に大したもんだ」
「?」
なんだかラグラン先生の様子がおかしい。そう思った。どこがどうとはいえないけれど、とりあえず元気がない。返事もワンテンポ遅く、どこか上の空なのだ。授業は相変わらず的確なのだが、それ以外の日常会話となるとかなりおかしかった。
「先生、今日は天気がいいですね」
「そうだね。晩御飯、なんだろうね」
「小鹿をわけてもらったそうですよ。シチューかもしれません。お好きでしたよね」
「そうだね、スクエラは元気だねえ……」
こんな感じ。壊滅的と言ってよかった。
気になったので、執事に頼んで動向を探ってみるよう頼んだらその場で返事が返ってきた。「最近はお手紙のやり取りをされているようです」とのこと。
手紙? 誰とだろう。恋人だろうか。
でもずっとこの屋敷に住んでいるし、ほとんど外出したこともないはずだ。だから新しく恋人ができたということはないだろう。プラス「最近は」という話だから、昔からの恋人という線もなさそうだ。
じゃあ、誰だ? 身内だろうか。誰かが病気とか。それで悩んでいる……? それなら身内だけじゃなくて、親しい友人も当てはまるか……。なんだかよくわからなくなってきた。
「ラグラン先生、お手紙はどなたとやり取りされているんですか?」
「えっ?」
よくわからなくなったので、直接聞いてみた。授業の小休止で聞いてみたところ、ラグラン先生は数秒硬直したのち、ぎこちなく微笑んだ。
「……バレていましたか」
「最近悩まれているのは、その手紙が原因ですか?」
「バレバレでしたか」
ラグラン先生はため息をついた。
けっこうな間をおいて、先生は続けた。
「私個人の問題です。まあ、ちょっと、色々あるのですよ」
「そうですか」
どうやら詳しく話すつもりはないらしい。なんだか踏み込んでほしくない空気を感じる。これ以上つつくのは、やめておいた方がいいようだ。
「わかりました。でも、もし力になれることがあればいつでもおっしゃってください」
「ありがとう」
そういってラグラン先生は微笑んだ。
***
ラグラン先生が悩んでいたころ、スクエラに手紙が届いた。実家からの手紙だった。
「なんて書いてあったの?」
学問と剣術の授業の合間に、スクエラに聞いてみた。朝食の席で執事から手渡されていたから、もう読んだはずだと思ったのだ。
「……まだ読んでないわ」
「あ、そうなんだ」
まずかったかな、と思った。表情をみるまでもない。声色から、スクエラが手紙を読んだことはわかった。その内容があまり良いものではなかった、ということも。
「……まだ何かあるの?」
手紙の内容を想像していて、スクエラににらまれていることに気づかなかった。
「えっ、い、いや、ないけど……」
「そう。じゃあね、お勉強、がんばってね」
「うん、ありがとう……」
スクエラは踵を返してさっさと行ってしまった。
なんだか最近スクエラの態度がきつくなった気がする。最近、というかあの晩餐会以来か。あそこで仲直りできたと思っていたのだが、あの後スクエラはやけに落ち込んでいた。その落ち込みから回復するにつれてますますトゲトゲしくなっていっているような気がしたのだ。
……。
やはり、シャルロット様に会っていたところをみられたのだろうか。
僕が叫んでいる声を聞いたのかもしれない。
でもスクエラはそのことについて何を言わなかったし、何も聞かなかった。
わからない。
スクエラが何を考えているのか、わからない。
スクエラのことは、いまだによくわからない。
***
それから一週間ほどして、スクエラは帰ることになった。
急に決まったことだったが、その準備はあっけないほどテキパキと進んで、その話を僕が聞いた翌日にはもう支度が済んでいた。
あまりにも現実感がなくて、当日になって、スクエラを迎える馬車がきてもまだ、「夢なんじゃないか」と思っていたくらいだ。
スクエラは無表情だった。何の感情もみせなかった。
僕は動揺した。スクエラがあまりに冷静だったために、様々な思考が脳裏をよぎった。
その思考とは、驚きや疑念、不安といったもので、その根本は要するに「スクエラは僕のことを好きではなかったのではないか?」ということだった。
「さよなら、クリム」
スクエラは僕の目をじっと見つめて言った。不安げにうつむいていたりはしなかった。
「う、うん、またね、スクエラ」
「……さよなら」
スクエラはそう言ってスカートを翻して、馬車に乗りこんだ。馬車は滑らかに発車して、スクエラを地平線の向こうまで連れて行ってしまった。
少し寒くなってきた秋の終わりのことだった。




