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すごく昔の話③

「おい、お前、なにしたんだ?」

「どうしました?」

「社長がお呼びだ」


 翌日、出社するなり、課長が険しい顔で僕に言った。よく見ると、険しい顔というより、困惑や緊張という色合いが強い。まあ、心当たりは一つしかない。


「まあ、大体の見当はつくが……」


 課長は僕の顔をじろじろと見た。

 おそらくは昨日の今日で増えた僕の顔の名誉の勲章を見ているのだろう。さらに課長は、ちらっと社長の息子の席がある方を見た。もちろん彼は休んでいる。


 僕は肩をすくめた。


「大したことじゃないですよ」

「大したことじゃないって……」

「じゃ、ちょっと行ってきます」

「……ったく」




 ***





 社長室の扉をノックした。


「どうぞ」


 静かな返事を聞いて、扉を開いた。

 部屋の中にはいたのは社長だけだった。秘書はいなかった。なぜか電気はついていない。ブラインドは少しだけ上がっていたが、薄暗かった。


「悪いね、呼び出して」

 社長は立ち上がり、手前におかれたソファを示した。

「どうぞ座ってくれ」

「では」


 僕が座ると、社長は正面にゆっくりと腰を下ろした。


「すまなかった」

 いきなり、社長が頭をさげた。

「息子が君ともめたと聞いた。まずその非礼を詫びたい」

「いえ、お気になさらず。あなたのしたことではありませんから」


 社長はゆっくりと顔を上げた。無表情で、じろじろと僕の顔をみた。僕もなんとなしに社長の顔を見つめ返していた。

 若い頃は男前だったのだろう。いや、今も男前だと言っていい。才気にあふれている、その影がまだ残っている。ただ、時間が積み重なっただけだ。


「ふぅ……。やれやれ、悲しいことだ」

「なにがですか?」

「どうやら私は自分の息子が俗物だということを認めねばならないらしい」

「俗物、ですか。ずいぶんとオブラートに包んであげるんですね」

「まあ、息子だからな」


 社長は胸ポケットから煙草を取り出した。葉巻ではなかった。


「吸ってもいいかな?」

「どうぞ。葉巻じゃないんですね」

「好みじゃないんだ」

 社長は煙を吐いた。

「君には会社をやめてもらう」

「理由は?」

「私の息子の人生をめちゃくちゃにした。非は完全にこちらにあるが、私はあの子の父親として、一矢報いておかねば」

「勝手ですね」

「認めよう」


 社長は口の端を吊り上げて笑った。


「会社や私を訴えたければ好きにしたまえ。その時まで私がこの椅子に座っていれば、だが」

「そこまでするつもりはないですよ」

「ほう? ずいぶんと太っ腹だな」

「彼を止めるとき、こうなることは覚悟しましたから」

「そうか」


 社長は煙草の火を消した。


「今日までご苦労だった。君は……、クビだ」





 ***





 社長室から戻って、自分の仕事の引継ぎを簡単にやった。困惑する課長や同僚たちにお別れを言って、荷物をまとめた。1、2時間ほどですべてを終わらせた。長居はするな、と社長に言われたからだ。


「迷惑かけてすみません。皆さん、お元気で。さようなら」

「本当に辞めるのか……」


 課長は見るからに動揺していた。

 信じられないといった表情で、何度か僕の肩をたたいてきた。まるでそうすれば僕の存在が確定するとでも思っているようだった。


「君がいなくなるとつらいな」

「満足に引継ぎできなくてすみません」

「そんなこと……。どっちみち君の仕事を引き継げるような人はいない。関係ないよ」

「お世辞でも嬉しいです」

「世辞じゃない。君ならどこでもやっていける。もっと自信をもったらどうだ?」

「検討しておきます」

「まったく。……元気でな。また会えたらいいな」

「はい。課長もお元気で」


 荷物をもってオフィスを出た。

 エレベーターホールに後輩が立っている。

 彼女は休憩室を指さした。


「……先輩、少しおしゃべりしていきませんか?」

「そうだね、少しくらいいいかな」





 ***





「はい」

「ありがとうございます。先輩に飲み物おごってもらうのもこれで最後ですね」

「ははは、おごってほしかったら別の先輩をみつけるんだね」


 僕が笑うと、彼女はじろっと横目で僕をにらんだ。

 僕は笑うのをやめて、口を閉じた。


「ごめん」

「先輩、私のこと、そんな風に思ってたんですか? 先輩にたかってるって……」

「いやその、思ってない、です。ごめん……」

「……」

「えーっと……」

「ごめんなさい」


 彼女はいきなり頭を下げた。

 僕は彼女の気分の乱高下にまったく対応できなかった。


「へっ? えっ? な、なにが?」

「先輩が会社を辞めることになったのって……。私のせいですよね?」

「……んんん? なんで?」

「なんでって……」


 僕はコーヒーを一口飲んだ。


「昨日のこと、覚えてるの? かなり酔ってたでしょ?」

「まあ、あんなことがありましたから、さすがに……」

「ふうん」

「ふうんって……」

「なにをどう覚えてるのかわからないけど、君のせいだって本気で思ってるなら、たぶんその記憶は間違ってるから、忘れた方がいいよ」

「じゃあ、確認しますけど……。私が酔っぱらって」

「うん」

「そのせいであのボンボンにからまれて」

「ボンボン?」

「先輩とあいつが殴り合って」

「僕の圧勝だったね」

「警察をよんであいつを捕まえてもらった」

「そうだね」

「だからこうなったんですよね?」

「まあね」

「やっぱり、私のせいじゃないですか!?」

「それは違うよ」


 僕は笑ってコーヒーを飲んだ。


「言ってみれば君はそこにいただけだ。今回のことについて、君はなにかを意図したわけじゃないだろ?」

「それは、そうですけど……」

「僕の方こそ、油断したし、なにより……昨日あいつに、君と飲みに行くって教えちゃったのは僕だ。あのときのあいつの反応をもっと不審に思うべきだった。そのせいで、君をあんな目に……」

「先輩のせいじゃないです。天地がひっくり返っても先輩のせいじゃありません」

「物騒だね」

「自分のせいなんて、そんなこと言わないでください」

「ごめん。でもそれは君も同じだよ。悪いは君じゃない」

「……わかりました」

「うん」

「悪いのは全部あいつですよね!」

「そうだよ。悪いのはなにもかも全部あいつのせいだ」

「……話は変わりますけど、先輩」

「ん?」

「連絡先、教えてください」

「んっ!?」


 僕はコーヒーを吹き出した。

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