すごく昔の話②
「せんぱぁ~い、もっとやあしくしてくださいよぉ~」
「僕、けっこう優しいと思うんだけどなあ」
「ダメです! もっと優しくしてくだあい!」
「飲み過ぎだよ」
「まだ大丈夫れす!」
「でろでろじゃん……」
後輩は日ごろのうっぷんがたまっていたらしく、居酒屋につくと、会社の愚痴を吐きまくり、その代わりなのかかなりのハイペースでお酒を飲んだ。そうして、気づけばでろんでろんに酔っぱらっていたというわけだ。
店を出ると、僕はいつものように肩をかして、駅まで彼女を連れていった。このまま彼女を自分の家に放り込むまでが僕にとっての「飲み会」だった。
「うう……、先輩、すとっぷ……」
「吐きそう?」
僕はかばんからエチケット袋を取り出した。彼女と飲むときは必須のアイテムである。
「はいこれ」
「いえ……、水が飲みたいです……」
「ああ、水か」
しまった。エチケット袋はあるけど、水は忘れていた。少し戻ったところに自販機があったはずだ。彼女を連れて戻るには遠いか……。
「ここで待ってて。ちょっと買ってくるよ」
「あ、せんぱぁい……」
「すぐ戻るから」
小走りで戻った。
水は売っていた。
どうしてただの水なのにこんな値段がするのだろうか。
などと考えながら小銭を取り出していると、小さな悲鳴のようなものが聞こえた。「ひゃっ」とかそんな感じの悲鳴だ。
後輩の声に似ている気がした。
小銭は落とした。急いで後輩を待たせた場所に戻ると、路地の暗がりに男らしき人影がいた。後輩の口をふさいで、乱暴にどこかに連れて行こうとしている。
「なにしてる!!」
僕が怒鳴ると、後輩の手を放して押しのけて、あわてて立ち去ろうとした。しかし、後輩は逃がすまいと彼のズボンのすそをつかんだ。男はそのせいで派手に転んだ。
「くそっ」
彼は乱暴に後輩の手を払いのけて、立ち上がって、走ってくる僕をにらんだ。
彼は、社長の息子だった。
「うっ……」
「あなたでしたか」
「ふん……」
社長の息子はすねたようにそっぽをむき、走り去っていった。
僕は彼を追いかけるべきだと思ったが、後輩が「せんぱい……」といって僕のズボンをつかんでいるのに気づいて断念した。
あいつのことは、また後で考えよう。
「ごめん。大丈夫? 立てる?」
「み……」
「ごめん。水は……、後でね」
「ち、がう。みぎ……」
「えっ」
彼女の指さす方をむくのと、僕の鼻が折れたのはほとんど同時だった。
僕は後ろにひっくり返った。
「ど、どうせ明日になったらぁ、捕まるんなら! 今日だけでもいい思いしないとなあ! なあ!?」
たぶん社長の息子はそんなことを言っていたと思う。
僕はいきなり殴られたせいか、頭がふらふらした。
怒りと痛みでアルコールが回ってきていたのかもしれない。
僕は気絶した。
***
気絶したのは、たぶん十秒くらいだったと思う。
僕はあやうく夢の世界にはまりかけた頭をふって、立ち上がった。
抵抗しながらさらに暗い路地へ連れていかれる後輩の腕が一瞬だけみえた。
「待てぇ!」
僕は自分で言うのもおかしなことだけど、獣のようだったと思う。
理性はひっこんで、ほとんど怒りに任せて身体を動かしていた。
鼻息荒く、よろよろと全力で歩きながら、少しずつ速度を上げた。
二人にはすぐに追いついた。
室外機があって狭くなったところでつっかえていたからだ。後輩は必死に抵抗していた。
僕は室外機によじ登った。
彼は僕に気づいて、目をむいた。
僕は上から彼の顔面を殴った。
一発。
彼が後輩から手を放して、防御するために顔を覆う。
二発。
彼は僕の足をつかんで、おもいきり引っ張った。
僕は室外機の上に尻もちをついた。彼は僕の腹を殴ろうとしたが、僕の足が邪魔で上手くいかない。
三発。
僕は彼の顔面を足で蹴った。
彼はよろよろと二、三歩後ずさって、壁によりかかるようにして崩れ落ちた。
それで終わりだった。
後輩は無事だった。壁でこすったのか、ところどころかすり傷があるものの、骨が折れたりといった大けがは、していないらしい。「せんぱぁい」と抱き着いてくる力が結構強いのがその証拠だ。
僕は彼女をおさえつつ、警察に電話した。駆けつけた警察官に事情を説明した。僕たちは警察の人と一緒にパトカーで送ってもらうことになった。警察署でもう少し事情を話すと、時間が遅いので詳しいことはまた後日ということになった。
そして、彼は、社長の息子は、現行犯で逮捕された。




