答えの見つかる日
ラグランが先生になってから半年が経った。
僕は剣術の授業を終えてへろへろになりながら、自分の部屋に戻っていた。
「大丈夫、クリム? 肩かそうか?」
「大丈夫。ありがとう、スクエラ」
「うん」
「まったく、先生は見た目と言動に反してスパルタなんだよなあ……」
「スパルタ?」
「厳しいって意味だよ」
「初めて聞いたわ」
「スパルタっていうのは、昔あった国の名前で……」
僕は得意になって説明しようとして顔をしかめた。
由来が思い出せない。
というよりも、どう考えても由来がおかしい。スパルタなんて国は歴史上存在しないからだ。
「どうしたの、クリム?」
「ごめん。今の全部ウソ。忘れて」
「ええ!? ウソなの!?」
「ごめんね」
僕はあっけに取られているスクエラを置いて、部屋に戻った。
そのままベッドに倒れこむ。
……日に日にひどくなっているような気がする。
叫び声が強くなる。
今までも怒りをふくんでいたが、最近はもう鬼気迫る感じだ。
叫び声だけじゃない。
さっきの「スパルタ」のような由来不明の知識や考え方に気づくことが増えた。
一つや二つならまあ、夢かなにかだろうと思えるが、量が尋常じゃない。毎日一つ二つ見つけてしまう。気づいてしまう。
僕は叫び声が強くなってきたことと、「スパルタ」が増えてきたことに関係があるような気がしている。
僕は、なにか深刻な見落としをしているのではないか。
そんな思いが強くなっている。
それがなにかはわからない。父上や母上に頼まれた仕事ではないことは確かだ。
なら他の誰に頼まれると言うのか?
たとえ頼まれていたとしても、誰も何も言ってこないし、僕も忘れているのだから大したことはないのだろう。
……。
そう思えたらどれだけ楽だろうか。
そうだ。僕はこの気持ちが「大事なことを忘れている」という感覚によく似ていることに、ようやく気づいたのだ。
***
「……クリム、クリム?」
「え、あ、はい、なんですか、先生」
僕は魔術の座学中にぼーっとしていたらしい。
ラグランが目の前で手を振っていることにしばらく気づかなかった。
「大丈夫ですか?」
「……」
「最近よくぼうっとしていますが……、悩み事は解決しないのですか?」
「……」
僕はこの感覚が、誰かに理解されることはないとわかっていた。
しかし……、
「先生……」僕はもう限界だった。「僕の話を聞いてくれますか?」
ラグラン先生は「ええ」とうなずいてくれた。
僕は話した。
ずっと胸の奥から聞こえてきていた叫びを。
由来のわからない言い回しや、考え方を。
そして、日増しに強くなる焦燥を。
どうしようもないことだ。
話していれば否応も無くわかる。話したってどうしようもない。
自分自身の感覚を、誰かに話して、それで答えが得られるわけもない……。
問いを知っているのは自分だけだ。問いに触れられるのも自分だけ。
だから、答えに一番近いのは自分自身なのだ。
「……」
話し終えても、ラグラン先生は黙って考え始めた。
しかし、しばらくして先生は悲しそうに首をふった。
「ゴメンね……」先生は悔しそうに歯噛みしている。「せっかく話してくれたのに、力にはなれそうにない……」
「わかっています」
そうだ。わかっていたことだ。
でも僕はつらかった。必死で涙をこらえた。
泣いたって、先生を困らせるだけだ。
「ありがとうございました。先生、話を聞いてくれて……」
「ううん……」
先生は首をふった後で、思い出したように言った。
「あ、そうだ。君が描いたっていう絵を見せてくれない?」
「絵ですか?」
「そう。もしかしたら私が知っている人かもしれないし」
「そんなことあるわけないじゃないですか。たぶん実在する人じゃないし、それに下手ですし―――」
「クリム」先生は頭を下げた。「お願いだよ」
「……わかりました」
僕は机の引き出しから鍵をとりだして、保管箱の鍵を開けた。
先生が来てからは絵を描いていない。忙しかったからだ。
だから絵は保管箱の中にしかなかった。
僕は箱の中の絵を数枚、手に取って戻ろうとすると先生に止められた。
「全部持ってきてくれ」
僕は肩をすくめて先生の言うとおりにした。
先生は絵の束をうけとると、一枚一枚じっくりと絵を見始めた。
前に言ったかもしれないが、僕の絵はいつも同じ人物が描かれている。しかし、顔の造形はない。のっぺらぼうだ。服装も髪形も背景もなにもかもぼんやりとしている。
これで誰かわかるなんて、あるはずがないのだ。
トントンと絵の束をそろえる音がした。
どうやら先生は絵をすべて見終えたらしい。
しかし、先生はすぐに口を開かなかった。そろえた束を机に置くと、椅子に背をもたれさせた。目を閉じている。
「……一人だけ、心当たりがある」
少し緊張した声でそう言った。
口にすることを相当迷ったことがわかる声色だった。
「どれか一枚が似ていたってわけじゃない。ただ、絵をすべて眺めて、その人物と雰囲気がどうも似ているような……」
「だっ、誰ですか!!!?」
僕は今まで出したことのないような、大きな声を出していた。
気づけば叫んでいたし、先生に詰めよっていた。
「ち、近いよ」先生は僕を押しのけた。「雰囲気だよ。あくまでも。だから期待しないでくれ。君の言う通り、間違っている可能性の方が高いんだから……」
「でも、先生が初めてなんです!」僕は先生の腕をゆさぶった。「誰か一人を思い浮かべたのは! 誰ですか! 教えてください、先生!」
「シャルロット様だよ」
観念したように、ラグラン先生は言った。
「シャルロット・ローズロール皇女殿下ではないかと、私は思ったんだ」