殻が破れる
「この卵、なんでしたっけ?」
「卵じゃない。何度言えば覚えるんだ?」
「……三回?」
「桁が足りてない」
「え? ええと、それって、つまり、ええっと……」
ユンは指を折ってなにかを数え始めたが、イニチェは最後までみずに目をそらした。自分の生徒の不出来が不憫で耐えられなかったのか。
かわりにイニチェは付き人に、二人分の名前を伝えて呼んでこさせた。
「この卵がなにかわかるか?」
呼び出した二人に、イニチェは質問した。イニチェが指さしたのは箱だった。きわめて高級そうな見た目の箱だった。中をのぞくと、クッションの上に大きな卵のような物体が乗っている。
二人が首をかしげる間もなく、ユンが口をはさんだ。
「やっぱり卵なんじゃないですか、イニチェ様!」
「……フロイ、頼む」
「ラジャー。【宵待】」
イニチェの座っていた椅子の後ろからフロイがひょこっと顔をのぞかせた。いきなり顔をみせた双子の片割れに、二人はびっくりしたが、現れたフロイがユンを黙らせるために躊躇なく魔術をかけて眠らせたことに、さらにびっくりした。
「すまないな、騒がしくて」
「い、いえ」二人は引きずられていくユンからイニチェに視線を戻した。「そ、それでイニチェ様、その卵は……?」
「これは強力な魔物を封じた結界だ。【封卵】と呼んでいる」
「エニグマ……」
二人は【封卵】から視線をあげてイニチェをみた。彼は笑みを浮かべていた。
「これをある迷宮の最深部に置いて来てほしいんだ。頼めるか」
「は、はあ……」
「ああそうだ、魔物はあまり殺さないでくれ。迷宮主は特にな。くれぐれも殺すなよ。大事なエサだから」
「わ、わかりました」
「うむ」
イニチェは満足そうにうなずくと、【封卵】の入っていた箱に、慎重に蓋をした。その様子をみて二人は顔を見合わせた。
「もし、もしも、この卵を割ってしまったら、どうなりますか?」
「死ぬ」
イニチェは事もなげに言った。その返答のあまりの早さに二人は息をのんだ。
「お前たちに迷宮主を倒せるほどの実力があるなら、話は別だがな」
「は、ははは……」
「それじゃ、頼んだぞ。下がってよろしい」
イニチェはにやりと笑って、二人に下がるよう、うながした。二人は言われるがまま、おっかなびっくり【封卵】を抱えて部屋を出て行った。
***
魔物が歩くたび、ぱきぱきと小石が割れる音がする。僕たちは息を殺して、様子をうかがった。といっても、のぞき見たりはしない。僕は目で見なくても魔物の放つ魔力で十分に情報を得られる。スクエラだって目玉や手足などの大ざっぱな位置はわかるだろう。
見た目は巨大な蛙、という感じの魔物だった。蛙のような巨大な仏頂面に四本の手足が生えている。その手足で跳ねるのではなく、牛のように歩くのだ。目玉はまるでカメレオンのようにぎょろぎょろと動いている。
そうだ。たしか、コイツの名前は【カメレオン】だったはずだ。
カメレオンは部屋の真ん中まで来ると、そこに置かれた卵を見て足を止めた。くんくんと匂いを嗅いでいる。そしていきなり卵に舌をのばすと、卵をからめとり、ムチのように振り回して、床に叩きつけた。
卵が割れる。
その上から、カメレオンは象のような足で執拗に踏みつけていく。何度も、何度も踏み潰す。おそらく、カメレオンは卵の中身が強力な魔物だとわかっているのだろう。つまりは、魔力をたくさん蓄えているということだ。カメレオンは卵の中の魔物を、きっちり殺して食べるつもりだったのだろう。
カメレオンの足になにかが巻きついた。カメレオンの足は空中でぴたりと動かなくなった。まるで厚みを感じないその白い触手はぐるぐるとカメレオンを覆っていく。カメレオンは叫び声をあげることもままならず、骨の砕ける音を口から発している。
僕は、スクエラが腕をつかんでいることに気づいた。
思わず魅入ってしまっていた。
僕は二匹の怪物から視線を外した。
『どうする?』
スクエラは声を出さず、ハンドサインで問いかけてきた。というか、サインなんか見なくても彼女が言いたいことは目をみればすぐにわかった。「逃げましょ!」彼女の目はそう言っていた。
でも、僕はふたたび二匹の怪物……、いやもうすでに一匹の怪物になりつつあった。カメレオンはもう息絶えていて、卵からかえった怪物に丸のみにされつつあった。
ゲームでも、見た覚えのない魔物だ。仮にオクトパスと呼ぶことにしよう。
たぶん、ただで逃げられるような相手じゃない。あの触手の速度では、後ろから巻きつかれて確実にどちらかは死ぬ。ただ、見たところ食事中は動かないらしいから、犠牲は片方で済むだろう。
この魔力の感じからして、レベル6くらいか。まさかこんな強い奴と戦う羽目になるなんて、思ってもみなかったな。
『クリム』
スクエラが僕の頬にふれた。
何を思ったのか、僕が数秒黙っているうちにえらく覚悟の決まった目をしていた。
『私、エサ、あいつの』
は?
僕は顔をしかめた。単純に意味がわからなかった。
スクエラが単語を間違えたか、僕が知らない隠語を使ったのだと思った。僕が唖然としていると、スクエラはもう一度ゆっくりと同じジェスチャーをくりかえした。二回目の途中でようやく意味がわかった。彼女は「自分が囮になる」と言っているのだ。
ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ。
僕は驚きのあまり、反論するためのハンドサインが出なかった。スクエラは通じたことに安堵した表情をみせた。やや緊張した面持ちで、スクエラは続ける。
『私、置いて、逃げて』
馬鹿言うな。待ってくれ、スクエラ。
僕はスクエラを止めようとしたが、あろうことかスクエラは僕にむけて弓を引いた。僕はおもわず身をかわした。スクエラが本気で矢を放とうとしていると感じたからだ。
その通り。スクエラは本当に矢を放った。矢は僕の肩から数センチ離れた位置をかすめていった。避けなかったら耳に当たっていたところだ。
体勢を崩した僕の隣をぬけて、スクエラが岩陰から飛び出す。そのまま部屋を突っ切り、矢を放つ。矢は食事を楽しんでいたオクトパスの足の一本に突き刺さった。
スクエラは、意図的にどうしようもならない状況を作っている。
スクエラは、僕が勝機も無いのに残るような感情的な人間ではないと知っている。
スクエラは、僕を強制的に逃げさせようとしている。
まったく、無鉄砲にも程がある。
オクトパスはカメレオンを食べる手を止めて、じろりと矢を放った下手人をにらんだ、ように見えた。
僕は岩陰から出た。インベントリから仮面を取り出す。
スクエラが弓を引き、矢を放つ。
矢はオクトパスに刺さる前に触手につかまって止まった。オクトパスは、これみよがしに矢をばらばらにした。そのまま紙のように薄っぺらい腕を、スクエラにむかって伸ばす。
スクエラが伸びてくる触手に、きつく目を閉じた。
『君は本当に変わらないね。相変わらず、無鉄砲だ』
スクエラはゆっくりと目を開けた。
彼女を抱えているのは触手ではなく、僕だった。
僕は、スクエラを転移魔術で引き寄せていた。
『僕の話を聞きやしないんだから』
僕は久しぶりに自分の目でスクエラを見て、微笑んだ。




