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僕はあなたをハッピーエンドへ連れていく  作者: 甲斐柄ほたて
三十八年間のプロローグ
6/16

芸術には疎いので

「それで、あなたはどなたですか?」


 父上は玄関先で腕組みして立っていた。

 どうやら今日に限って、僕が勉強していないことに執事が気づいたらしい。あわてて父上に報告し、様子をみに玄関まで降りてきた父上のところへ、僕とラグランが折よくやってきた、というわけだ。


「私はラグランと申します」


 ラグランが凝りもせず深々とお辞儀をしようとしたので、僕はあわてて止め、リュックを下ろすようにすすめた。

 ラグランは忠告を聞き入れ、いらいらと指をトントンとしている父上の目の前で悠々とリュックを下ろし、お辞儀をした。


「教師として働けるとお聞きして、伺いました」

「ああ、どうも」


 父上の言葉は冷たい。

 もうすでに不採用と決めているのではないだろうか。

 無理もない。それほどラグランの格好はひどかった。

 顔面は土まみれだし、服にもひっつき虫がついたりと汚れているし、リュックはやたらと大きい。

 なにより、正門から入って来ていない。どこかに抜け道をみつけだして入りこんだことは疑いようもない。


「身分証はありますか?」

「え、ああ、はい! あります! 少々お待ちを……」


 ラグランは大仰に手を打つと、リュックを開いて中に手をつっこみ、引っかき回し始めた。


「こっちかな。これじゃないな、ええと、こっちか……」


 父上のこめかみに青筋が走るのを僕はハラハラしながら見ていた。あの血管が一定以上の長さに達したら、怒りが爆発するに違いない。


「ああ、あったあった、ありました。いや、お待たせして申し訳ありません。こちらです」


 ラグランはリュックの中から、しわくちゃの紙切れをとりだした。父上は紙切れに負けないくらいに眉間におもいきり皺をつくってそれをながめ、後ろにいた執事に無言で渡した。


「先生は、私のことを知っていますか? 家庭教師を募集してはいますが、私の問いに答えられなければ、雇うことはできません」

「存じています」

「話が早い」父上は無表情で言った。「では、答えてください。人は何のために学ぶとお考えですか?」

「……」


 ラグランの顔から笑みが消えた。

 父上と二人、無表情で見つめ合っている。

 と、僕を見下ろした。


「彼の前で答えなければいけませんか?」

「クリム」父上は僕を見た。「部屋に行っていなさい」

「嫌です」


 僕は首をふった。

 予感があった。僕がいなければ、父上は問いの答えに関わらず、ラグランを門前払いにするだろう。

 なにより、僕はラグランの答えが気になった。


「僕もここにいたいです」

「……」


 父上はちょっと考えてから、ラグランへ視線を戻した。


「息子はこう言っています。この子の前で答えてください」

「わかりました。では、私は答えられません」

「その場合、あなたを雇うわけにはいきませんよ?」

「構いません」


 ラグランは平然と言った。


「あと一月生きられるくらいの持ち合わせはありますから」

「……同情を引くつもりですか?」

「心配しないでほしい、と言ったつもりでした」


 ラグランは少ししゅんとして言った。

 彼はそのまま一歩さがってお辞儀をした。


「お手数をおかけしました。では、これで」

「待ってください」


 僕はラグランの背中に呼びかけた。

 僕は父上に言った。


「父上、この人を僕の先生として雇ってください」

「ダメだ」父上は腕組みをしたまま言った。「彼は問いに答えすらしなかった。認めるわけにはいかない」

「大事なのは答えですか?」

「そうだ。正しい答えを教え、導くのが教師だ。彼は答えを出すことを拒否した。いかなる理由であれ、認められん」

「……」


 僕は一歩さがった。

 どうも父上の意志は固いようだ。

 このまま真っ向から攻めても無駄だろう。

 さて、どうするか……。


「さあ、先生、どうかお引き取りを―――」

「ル・シトロワーヌ」


 僕がそう言うと、父上はびくっと肩を震わせた。

 ラグランは不思議そうに僕と父上を見比べている。

 僕はラグランに微笑みかけた。


「ご存じですか、ラグラン先生。高名な画家の先生なんですが」

「いえ」ラグランはゆっくりと首をふった。「あいにく芸術には疎いので、初耳ですね」

「ずいぶん前に亡くなられているのですが、最近その作品が流行り始めているそうです。うちにも何点かあるんですよ」

「へえ、素晴らしいですね。流行にふれるのはいいことです」

「ええ、そうなんですが、いかんせん、これが高くて―――」

「ラグラン先生!」


 突如、父上が叫んだ。

 驚いているラグランの手を強引につかみ、無理矢理握手した。


「ラグラン先生、先ほどの発言は撤回します。実はあなたを試していたのです。息子をどうかよろしくお願いいたします!」

「え、あ、はい。承りました……?」

「ありがとうございます! では、私は忙しいのでこれにて!」


 父上が足早に去っていく。

 ラグランは狐につままれたような顔でそれを見ていた。

 僕はずっと笑いをこらえ、父上が視界から消えた途端吹き出してしまった。つられて執事も可笑しそうに笑いをこらえている。

 ラグランは不思議そうに僕を見た。


「どういうことですか?」

「ええと、つまりですね……」


 僕は笑いをこらえ、一呼吸おいて言った。


「我が家で一番怖いのは、母上、ということです」

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