豆スープ戦争
僕たちがその村に入ったのは、王都を出てから一週間ほどたった時だった。ひどい夕立ちにおそわれて、視界は悪く、足元がぐちゃぐちゃになった中をどうにか進んでたどりついた村だった。馬車のわだちでデコボコになった道をふらつきながら歩いてきた。
シャルロット様、キャリオ様はあからさまにつらそうだった。ベル嬢はつらいのを我慢している感じ。レオンハルト様たち【狩人】組は慣れっこなのか、平気そうだった。
当然だが、激しい雨の中、ほとんど誰もいなかった。いたとしても忙しそうに走り回っている。気づくと、レオンハルト様が仲間うちでなにか言っていた。その仲間の二人、スクエラとリズリーはうなずくと、走って村の中に消えていった。
「どうかしたんですか?」
僕はレオンハルト様に近づいた。
「んん? ああ、宿と食堂の手配を頼んだんだ!」
レオンハルト様は僕の耳元で叫ぶように言った。雨で声が聞きとりづらい。レオンハルト様はシャルロット様たちを指さした。
「君たちは慣れてないだろう! 俺たちは平気だからな、任せてくれ!」
「ありがとうございます」
「なんだって?」
「ありがとうって言ったんです!」
僕が叫ぶとレオンハルト様はにやっと笑って、背中をばしばし叩いてきた。痛かった。
***
きっかけは些細なことだった。それはたった一言の感想だった。
「このスープおいしいわ。ね、クリム?」
スクエラはそう言って、隣に座る僕に微笑みかけた。
僕はあいまいに笑った。僕は……、おいしいと思えなかった。
味の薄い、豆のスープだった。普段ベル嬢が作ってくれるスープとは、まるで違う。ハッキリ言って、素材の味と調味料の相性が悪い、とさえ思った。まずい、と言っていいレベルだ。
ところで、一度、席順について述べておく。
右端から、
ベル嬢、シャルロット様、
キャリオ様、僕、
レオンハルト様、スクエラ、
もう一人のレオンハルト様の仲間のリズリー、
という並びでテーブルに座っていた。
僕の笑顔をみて、スクエラはハッとしたように他の面々の表情をみた。そして、恥ずかしそうに顔を赤くし、うつむいた。
たぶん、僕よりも右側、つまりシャルロット様側の人はみんな僕と同じような感想を抱いただろう。こちら側は貴族の食生活を営んでいて、むこう側は【狩人】……、おそらく庶民の食生活を営んでいる。
レオンハルト様はなんとも言えない表情をうかべていた。レオンハルト様は勇者だから、貴族と会食に呼ばれることもあるのだろう。どちらの気持ちもわかる、という立場だろうか。
ところで、もう一人の【狩人】のリズリーはというと……。
ガン、とテーブルを叩く音がした。僕のむかいのキャリオ様は完全に不意を突かれたようで、びくっと二十センチくらい跳んだように見えた。そのせいで浮きあがった小鳥がパタパタと翼を動かして彼女の肩に着地する。
「おい、執事殿」
低くうなるような声を出して、リズリーが僕を指さした。彼は盾役らしい、大柄な男だった。
「女性が、同意を求めたら、黙ってうなずくものだろう。恥をかかせるものじゃない」
彼は低く、淡々と、重々しく言った。普段は無口なのだろう。僕は彼の声を初めて聴いた。
「失礼しました」
「あっ、あのっ、大丈夫! リズリーさん、大丈夫ですから!」スクエラが慌てたように手を振る。
「謝る相手がちがう」
彼は静かに言った。すでに自分の料理に目を落としている。
なるほどたしかに。謝る相手はスクエラだ。しかし、僕が謝ろうとすると、割って入る声があった。
「待ってください」ベル嬢だった。「嘘をつき、ただ相手を喜ばせることがいいことだと言うのですか?」
「……なんだと?」とリズリー。
「あっ、あの!」
スクエラがたまりかねて、割りこんだ。
「リズリーさん、ありがとうございます。でも、大丈夫です。もう大丈夫ですから……」
「嘘だと? 今俺たちの前に出されているこの料理を美味いと言うことが、嘘になるのか」
リズリーはスクエラを無視して、ベル嬢に返した。
ベル嬢は即答した。
「なりますね」
「ほう」
ベル嬢とリズリーは、間にキャリオ様とレオンハルト様をはさんでいるので、お互いの顔こそ見えていなかったが、間違いなくにらみあっていた。
「食べられないわけではありませんが、シャルロット様にお出しできるレベルではありません」
ベル嬢はハッキリと言った。声が大きい。僕には、食堂の店主がそれを聞いてショックを受けている顔が見えた。
ごめんなさい、店主さん。ベル嬢はハッキリ物を言い過ぎるだけなんです。悪気はないんです。
……いや、悪気がない方がむしろ問題か?
「皇……、貴族様のお口には合わないと? さすがだな。そんなことだから庶民の暮らしや声に気が回らないのでは?」
リズリーはシャルロット様のことを「皇女様」とは呼ばなかった。僕たちはそう決めたからだ。知られると余計な問題を招くと。本当は「シャルロット様」とも呼ばない決まりだったのだが、ベル嬢は普通に呼んでしまっている。頭に血がのぼっているのだろう。
「……なんですって?」ベル嬢はテーブルに手をつき、身を乗り出した。「今の発言、無礼が過ぎるでしょう。撤回して―――」
「ベル」
シャルロット様はベル嬢を手で制した。
「私は構わないわ」
「しかし……」
「構わないの。実際と大差ないでしょう?」
「……っ」
ベル嬢は顔をゆがめた。
本当に悔しそうな表情だった。その表情は、やはりシャルロット様を一番近くで見続けてきた彼女だけのものだろう。僕ではダメだ。年季が違う。
「リズリーさん、やはり聞き捨てなりませんね」
それまでおろおろしていただけだったキャリオ様だが、リズリーの揶揄するような発言にはご立腹だったらしい。彼女は少し静かになった中で、ゆっくりと立ち上がった。
レオンハルト様の顔から血の気が引くのがわかった。
「キャ、キャル……」
「……」
キャリオ様はレオンハルト様に一瞬顔をむけたが、すぐにリズリーに向き直った。
「あなたは、シャルがあなた方のことをわかっていないと言いました。しかし、では逆に、あなたにシャルのことがわかるのですか? なにがわかるのですか? なにを知っているのですか?」
キャリオ様の口調は丁寧極まりなかったが、その奥底に激しい怒りがにじんでいた。正直、これまで交わされたやりとりの中で、一番怖かった。
「う……。その、しかし、シャル様はご隠居されてから数年になります。その間、放蕩三昧の生活を送っていると……」
よせばいいのに、リズリーはもごもごと口答えした。キャリオ様は微動だにしなかった。
「そんな噂があるのですか?」
「そ、その……、はい」
「どこの誰が言ったかも知れない話を信じて、目の前にいる相手を疑うのですか、あなたは?」
「……」
リズリーは立ち上がればキャリオ様の倍近い大男だ。しかし、今はまるでそのサイズが逆になっているように、僕にはみえた。
「キャル、あの、どうかそこらへんで……」
レオンハルト様がしどろもどろになりながら、言った。キャリオ様は無言でレオンハルト様を見下ろした。
「……」
「リズリーもわかっております。ただ、頭に血がのぼって、余計なことを言ってしまっただけなのです。申し訳ない。元が無口なので、しゃべるだけで上がってしまっておかしなことを口走るのです。どうか、ご容赦ください」
「……わかりました。私も言い過ぎたかもしれません。ここまでにしましょう。すみませんでした」
キャリオ様はすとんと座った。そして、シャルロット様を指さした。
「まとめは、シャルに任せます」
「え?」
「私、疲れちゃったから」
キャリオ様はやや崩れた姿勢になっている。どうやら「オフ」のモードに入ったようだった。
「はあ、しょうがないわねえ」
シャルロット様は立ち上がった。そして、まず、僕を指さした。
「クリムは後でスクエラちゃんに謝ること。フォローもしなさい」
「は、はい」
「スクエラちゃんは許してあげてほしいわ。クリムもだけど、できれば私たちも」
「は、はい! もちろんです!」スクエラはフードを外して何度もうなずいた。
「リズリーさんは……私からは特にありません。わざわざ言わなくてもいいでしょう」
「……」リズリーは顔をしかめて無言でうなずいた。
「レオンハルト様も無しで……。キャル、あなたは……」
「え、なあに?」キャリオ様はすっかり気が抜けた様子だ。
「あなたは怒ると怖いのよ。今回だったら、あの半分で十分だったわ。次からは加減を覚えてちょうだい」
「私、そんなに怖くないでしょ。ねえ、執事さん?」
「えっ」
僕は迷った。本音を言えば、怖い。怖かった。しかし、ついさっきリズリーに「女性の言葉は肯定しろ」と注意されたばかりなのだ。話の流れ的には……肯定するべきか? どっちだ? いやしかし、そもそも、肯定するということはシャルロット様の言葉に反することに……。
「キャ、キャルは……」
「うん」
「キャルは、怒っているお顔も大変、お美しいです」
「ひゃっ!?」
キャリオ様はまた二十センチほど飛び上がった。すると、小鳥は僕の頭の上にとまり、木の実でも割るように僕の額を突き始めた。
「痛い! 痛いです!」
「……異議のある人はいるかしら?」
シャルロット様は何に、とは言わなかったが、誰も手を上げなかった。みな一様にうなずいている。わかっていないのはどうやら僕だけらしかった。
「全員一致。天使はどうぞ気が済むまでクリムの頭を叩いていてください。……最後に、ベル」
「いえ、おっしゃる必要はありません。わかっております」ベル嬢は誇らしげに胸をはった。「シャルロット様のメイドとして当然のことをしたまでです」
「うん、わかってないわね。あなたが一番よくなかったわよ、ベル」
「え?」
「私に出せるレベルの料理じゃないなんて、あんまりだわ。あなたはこの店の店主さんとお客さんに謝ること。いいわね」
「あ、あの……」
「いいわね?」
「は、はい……」
ベル嬢はしゅんとして言った。
シャルロット様は少し間をおいて言った。
「ただ、未熟なのはそうね、たぶん合っていたと思うわ。だから、あなたは改善点をアドバイスしておきなさい。それも含めてあなたへの罰ね」
「わかりました」
「……ふぅ」
シャルロット様は嵐のように総評を終えると、席につき、スープを飲み始めた。僕らはなかば呆然としながら、食事を再開した。スープはもうすっかり冷めてしまっていた。
「あ、あの……、貴族のご令嬢の方、だったのでしょうか?」
見ると、店主がシャルロット様の前に立っていた。緊張しているのだろう。震えていた。ベル嬢は罪悪感と警戒心の混ざった目で彼を見ていた。
「申し訳ありません。お口に合わなかったのでしたら、別の料理を……」
「いえ、大丈夫です」
見えなくとも、シャルロット様が微笑んだのがわかった。
「ごめんなさいね。この雨で、私たちは疲れていたの。だから怒りっぽくなっていたのでしょう。お見苦しい所を見せてしまいました。
こちらはいただきます。残念ながらもう冷めてしまったけれど、少しでも温まってもらおうという、お気づかいを無駄にしたくないですから」




