シャルロット様とデート
「おいし~」
「おいしいですね」
僕とシャルロット様は市場で果物や屋台料理を食べ歩いていた。
「ねえ、次はあっちのを食べましょうよ」シャルロット様は蒸し料理の屋台を指さして言った。「前から食べてみたかったの、あれ」
「いいですけど」僕は財布から小銭を取り出した。「病弱っていう設定はどこ行ったんですか?」
「いいのいいの、そんなの」シャルロット様は満面の笑みで屋台の湯気を吸いこんでいる。「お屋敷の近くで目立たなければいいんだから」
「目立たなければ……」
口を閉じたまま叫びつつ、シャルロット様をおんぶして歩いていた僕をみて、近所の子供が泣きだしていたのを思い出す。
あれが目立っていなかったと……?
「よし、それじゃあ、行きましょうか」
「どこへ行くんですか?」
「楽しそうなところよ」シャルロット様はにやりと笑った。「それが休日の過ごし方ってものよ。知らないの?」
***
シャルロット様と僕は王都を練り歩いて、楽しそうなところを転々とした。
服屋があればシャルロット様は吸い込まれるように入っていき荷物を増やした。本屋があれば中をのぞき、木陰で一息ついて、お腹が空けばまた市場で買い食いをして、遊んでいる子供に仲間に入れてもらい……。
そんな風に過ごしているうちに、いつのまにか夕方になっていた。
「……まだお昼なのに空が赤いわ。世界の終わりかしら」
「勝手に世界を滅ぼさないでください。ただの夕焼けですよ」
僕がそう言うと、シャルロット様はぷくりと頬を膨らませた。
「クリムも小うるさくなってきたわね。ベルに似たのかしら」
「はいはい、そうですね。暗くなる前に帰りますよ」
「あ、待って、クリム」シャルロット様は指を立てて笑った。「もう一か所だけ、いいかしら?」
その笑顔をみて、僕は気づけばうなずいていた。おかしいな。もうそろそろシャルロット様に慣れてきたと思ったけれど。僕はどこまでもこの人に弱いらしい。
「ええ、いいですよ」
「ありがと、クリム」
丸眼鏡の奥で目を細めた彼女はくるりと踵をかえすと、活き活きとした足取りで通りを縫うように進んでいく。僕は両手に荷物をかかえて彼女に遅れないようについていった。
どこへ行くのかと尋ねてもシャルロット様は「行けばわかるわ」と笑うばかりで答えない。僕は楽しそうに歩く彼女の後ろを黙ってついていった。
しばらく歩いてたどり着いた場所は時計塔だった。王都中どこからでも見える時計塔は見上げると圧倒的な存在感でもって僕たちを見守っている。
見守っているのはいいのだが……。
「シャルロット様、もしかして……」
「そうよ」シャルロット様はにっこりと微笑んだ。「登るわよ、クリム」
「うあああああ……」
僕がへなへなと猫背になったのを見て、シャルロット様はとことこと近づいて、僕の背中をたたいた。
「情けないわねえ。ほら、行くわよ」
***
一番上まで登り切った時、僕とシャルロット様はどちらも息が上がっていた。僕よりむしろ、シャルロット様の方がつらそうだった。
「情けないって言ったの、撤回するわ……」
「ありがとうございます、光栄です」
僕はにっこり笑ってシャルロット様にハンカチを差し出した。シャルロット様は笑って汗をふいた。
一応、僕だって鍛えている。九年間、まあ色々あって、体力にはそれなりに自信がある。もちろんレオンハルト様には負けるが……。
あの人はこれくらいなら走って登り切るくらいのことはやりそうだ。
「迷宮では、ありがとう」
シャルロット様はベンチに腰掛けて言った。隣をぽんぽんと叩いて僕を呼ぶ。僕は荷物を置いてシャルロット様の隣に腰掛けた。狭いベンチだった。地平線に沈んでいく夕日と赤く染まっていく王都が見えた。
「あの時、あなたが来てくれなかったら私はきっと死んでいたわ」
シャルロット様が穴に落ちていった時のことだ。僕は苦笑した。
「僕が飛び下りなくてもレオンハルト様が飛び込んでましたよ」
「そうね」シャルロット様は嬉しそうに言った。「レオンハルトもそう言ってくれたわ。自分が行くべきだったのに、すまないって」
「……」
僕はいたたまれない気持ちになった。やはり僕は飛び込むべきではなかったのだ。その方がシャルロット様にとっても、よかったのだ。レオンハルト様がそばにいたなら、【沈黙の密猟者】なんか出る幕さえなかった。シャルロット様を危険にさらすこともなかったのだ。
「申し訳ありません、シャルロット様。僕が軽率な真似をしたばかりに―――」
「レオンハルトが褒めてたわ」シャルロット様は僕の言葉をさえぎった。「いえ、褒めてたっていうのは違うわね。あれはもっとこう……。そうね、驚嘆してたって感じね」
「驚嘆、ですか」
「レオンハルトはあなたが飛び下りるところを見てたのよ」
僕はあの瞬間の位置関係を思い出した。たしかにレオンハルト様は僕のすぐ後ろにいたんだから、見たのだろう。
僕があの時のことを思い出していると、シャルロット様が不意に顔をぐいと寄せてきた。まじまじと僕の目をみて言う。
「飛び下りるときにまったく躊躇しなかったって、ホント?」
「えっ、ちゅ、躊躇ですか」
「そう。全力疾走のまま、飛びおりたって」
「はあ」
「穴の深さとか全然、確認もせずに飛びおりたって」
「はあ、まあ、そうかもしれないですね」
とくに違和感はない。目の前でシャルロット様が奈落の底に落ちようとしていたら、迷わず飛び下りるだろう。深さなんて関係なく。
シャルロット様は続けた。
「レオンハルトも最後には飛び降りたかもしれない、って言ってたわ。立ちどまらず飛び込むこともできたかもしれない。でも、」
そこでシャルロット様は言葉を切って苦笑した。
「覚悟を決める前に飛び降りるのは無理だって言ってたわ」
「覚悟……」
「覚えてる? 本当に覚悟を決めずに飛んだの?」
「あんまり覚えてないですね」
覚えているような、覚えていないような。あいまいだ。あのときは夢中だったから。
「覚悟は大切でしょうか?」僕はふと思った疑問をシャルロット様に聞いてみた。「どう思いますか?」
「覚悟? そうねえ。覚悟ねえ。大事だと思うわ」
「なぜですか?」
「覚悟っていうのは、要するに……、目的のためなら何を、どこまで捨てられるか決める、っていうことでしょ。レオンハルトが覚悟を決めるために立ち止まるっていうのは、つまり……、私を助けるために自分の命を捨てられるか考える、ってことじゃない。そりゃ大事よ」
「……」
僕は黙っていた。シャルロット様の意見に同意できなかったわけじゃない。むしろ、ほとんど同意見だった。覚悟について、僕も似たようなことを考えていた。黙ったのは、僕の覚悟について言及するのが急に怖くなったからだ。
「あなたはどうなの、クリム」シャルロット様はほぼ無表情で僕の顔をのぞきこんだ。「あなたは命知らずなのかしら」
「僕は命知らずじゃないですよ。痛いのは嫌いですし、死ぬのも怖いです」
「じゃあ、どうして飛んだの?」
「そりゃあ、そういう気分だったんでしょう」
「はぐらかしても無駄よ。ここには私しかいないから」シャルロット様は笑わなかった。「私の気をそらす誰かはいないのよ」
「……」
「だんまり? 無駄よ? 答えてくれるまで待つからね」
僕はため息をついた。どうやら逃げるのは無理らしい。
「僕も同意見です。覚悟は大事です。なによりも大事と言ってもいいと思います」
「じゃあ、どうしてためらわなかったの?」
「前提が違います。覚悟せずに飛び降りたんじゃなくて、覚悟は決めていたんです、最初から。迷宮に入る前から」
いや、なんなら転生(生まれる)前から、か。
「覚悟なんて、そんなものは最初から決まっていたんです。だから穴から飛び下りるくらいどうってことなかった。僕の命は、あなた無しでは成立しえないとわかってますから」
「どういう意味?」
「あなたの命は、僕にとって最重要事項だということです。自分の命が何番目に来るのか、よくわかっていませんが、一番はシャルロット様です。それだけは断言できます」
「そう……」
シャルロット様は僕の顔をみるのをやめて、ため息をついた。疲れたように背中をベンチにもたれさせる。
「嬉しい、と言ってあげたいけれど、ちょっと怖いわね」
「でしょうね」
「やっぱり、あなた、変よ」シャルロット様は髪の毛をいじっている。「会ってまだ一か月かそこらじゃない。しかも飛び降りたときなんか、十日くらいでしょう、執事になってから。それで飛び下りるなんて、わからないわ。十年以上の付き合いっていうならともかく……」
「ふふふ……」
僕は思わず笑った。十年以上の付き合い、というのがあまりにもドンピシャだったからだ。たぶんベル嬢のことを思い浮かべただけなのだろうけれど。
僕は【バッドエンド】をまさに十年以上プレイしてきた。彼女の生存ルートが存在しないとわかるまで何百回リトライしたか知れない。何千回かもしれない。ゲームのキャラクターと現実の人間を混同するなんて、と自分でも思う。それはそうだ。
だって、現実のシャルロット様の方が、ゲームなど比較にならないほど活き活きしている。当たり前だ。生きているんだから。
「どうして笑うの?」シャルロット様は面白くなさそうに言う。「クリムは本当に不気味ね」
「不気味ですか!」僕は嬉しかった。ちゃんと見てくれている気がしたからだ。そう、僕は不気味なやつなのだ。「さすがシャルロット様です。よくわかってますね!」
「……一応、言っておくけど」
シャルロット様はややうんざりしたような表情をうかべて言った。
「褒め言葉じゃないの。皮肉だからね。わかってる?」




