美女と野獣
「それではしばらくお暇をいただきます、シャルロット様」
ベル嬢が休暇を取ることになった。
どうも彼女のお祖母さんが病気をこじらせたらしく、スティラ家の皆が集められているという。「大したことはないそうなので」とベル嬢は最初断るつもりだったが、「クリムもいるんだから大丈夫よ」というシャルロット様の勧めで帰省することになった。
「こちらのことは気にしないでいいから」シャルロット様はにっこりと微笑んだ。「お祖母様によろしくね」
「はい、ありがとうございます。……クリム・ホワイト、シャルロット様のことを頼みますよ」
「はい。任せてください、ベルさん」
「……くれぐれも、おかしな気を起こさないように。手を出さないように!」
……ベル嬢は、僕のことを何だと思っているのだろう?
僕とシャルロット様は苦笑してベル嬢を送り出した。彼女は大きな旅行カバンにメイド服で出て行った。実家に帰るならメイド服である必要はないのだが、「私はこの服を生涯脱ぐつもりはありません」と言っていた。メイド服は彼女の覚悟の証なのだろう。ただ、そう言った直後、シャルロット様に「ちゃんと洗ってるのよね?」と返されていたが。
……なんとなく、ベル嬢のいないお屋敷が心なしか、ずいぶんと広くなったような感じが―――。
「さてと」ベル嬢を見送った玄関で、シャルロット様は伸びをした。「私たちも出かけましょうか」
「えっ、なにかご予定がありましたか?」
「ないけど、せっかくだから二人で出かけましょうよ。いいお天気だし。この屋敷に引きこもってると心までじめじめしてくるのよね~」
そう言ってシャルロット様は鼻歌まじりに自室へと戻っていった。
ベル嬢がいなくなった寂しさも、情緒もへったくれもない。
***
「聞いてるかどうか知らないんだけど、私、病弱っていう設定なのよ」
着替えを終えて出てきたシャルロット様に驚いた僕を見て、彼女は笑った。シャルロット様はまるで別人のようだった。動きやすそうなシャツとズボンにハンチング帽。病弱な少女という「設定」らしいが、むしろ新聞記者見習いの少年という感じの格好だ。ベル嬢と同じ大きな丸眼鏡をかけている。
シャルロット様はその格好で、ずい、と僕の目の前に立った。やけに近い。いつもの微笑をうかべたまま、僕の顔をのぞきこんでいる。
僕はすぐさま【冷静】を使用した。
「ええっと、なんでしょうか、シャルロット様?」
「おんぶしてちょうだい」
「ん?」
あれ、おかしいな。耳がおかしくなったのだろうか。今、おんぶするよう頼まれたような気がしたが。
「いま、なんと?」
「おんぶしてちょうだい」
幻聴じゃなかった。
「えっ、なっ、ななな、なんで!? どうしてですか!?」
「病弱なのに外を歩き回ってるなんておかしいわ」
「でっ、でも、」
「嫌かしら?」
「光栄でございますが!」
「そう。じゃ、よろしく」
「ですが、その、あの」
「なに?」
「多分、叫んでしまうと思うのですが……」
「たまに小声で叫ぶくらいなら別に構わないわ」
「……えっ?」
なにをおっしゃっているのだろう。僕の叫びにそんな微調整機能が搭載されているとでも―――。
「ほらほら、いいから行くわよ。叫びたいなら叫んでもいいわ。もう出発しましょう」
シャルロット様は二の足を踏んでいる僕の背中をつかまえて、ほとんど無理矢理よじのぼってきた。のど元まで出かかった叫びを【冷静】で押さえつける。しかし、それで根本原因が取り除かれるわけではない。原因(シャルロット様)は現実問題として、僕に物理的に接触しているのだ。
……どうする? こっそり【支援妖精】を起動して、【自動魔術:冷静沈着】を発動させるか? いや、ダメだ。この感じは一時間程度で帰ってくるような雰囲気じゃない。とてもそれだけの長時間稼働できるだけの魔力は無い。もちろん手動で【冷静】を使用するのも同じだ。いずれは魔力が底をつく。
待てよ、今まさに僕は【冷静】なしでシャルロット様をおんぶできている。そうか。考え事をして気がそれている場合はあああああああ!
「ああああああ! シャルロット様をおおおおお!
おんぶしてるうううううう!」
「あら、叫んじゃった」
「うああああ! んああ、むああああああ!」
「うーん……、思ったよりうるさいわね。じゃあ、こうするのはどう?」
シャルロット様は指を振った。途端に、僕の口はものすごい力で押さえつけられたように開かなくなった。あの、あれだ。猟犬の口輪に似ている。あんな感じだ。自分ではよくわからないが、叫び声もなんだかくぐもっている気がする。ついでに人間としての尊厳も少々失ったような気がするが……。
「うん、まあ、そんなにうるさくないわね」
「んんん、んんんんん!」
「あはは、そうねー、お外行くの楽しみねー」
シャルロット様はがさごそと紙切れを取りだして、腕を回して僕に見せた。地図だった。
「ええっと……、どこだったかな」
シャルロット様は片手で地図をもち、もう片方の手で道をなぞっている。そして、体勢をたもつため、地図を見るためになんと! 僕の頭の上に、あごを乗せている!
シャルロット様が! 僕の頭に、あごを! 乗せて、乗せ、うああああああ!!
「うががが! んぬがあああ!」
「そうねー、地図みるの楽しいねー。あ、ここだ。まずは、ここ。ここへ行ってちょうだい」
「……うが?」
地図?
いやいやちがうちがう!
シャルロット様だ! シャルロット様!!
シャールロット! シャールロット!!
シャールロット! シャールロット!!
ちず? なんだそれ! 読めない、そんなの!
「うがげがうがああああ!」
「そうか、無理かあ。読めないかあ。しょうがない。私が案内してあげるわ。じゃ、出発進行!」
「うがー!」
「あ、これ、日傘。差してちょうだい」
日傘! オレ、日傘、差す!
シャルロット様のため!
シャルロット様のため!
「うがががが!」
「ふふふ。いい子ね、クリム」




