天使の目はどこまで見通すか?
あの時僕がやったこと。それはすごく単純なことだ。単純も単純。天使がわざわざ確認するようなことじゃない。
タネは簡単。【人形】だ。魔術で作った仮想物体の人形を用意する。シャルロット様そっくりなやつ。ただし、完璧なものではない。僕の空間把握で「シャルロット様だ」と誤認できるけれど、一目で人形とわかる程度。それをキャリオ様が来る前に書斎に置いておいた。シャルロット様が都合よく屋根裏部屋へ本を取りに行っていたからだ。キャリオ様や天使には屋根裏部屋にいるなんて発想はないだろうから、引っかかってくれると踏んだ。予想通りうまくいった。
人形から魔力の糸を伸ばしておき、部屋の前の扉、ドアノブにつないでおいた。これでドアノブを握った時に人形の自壊命令を発令することができる。無線ならバレるかもしれないが、有線なら大丈夫だろうと踏んだ。
不確定要素は三つ。
①キャリオ様がベル嬢が買い出しに行ったタイミングで来てくれるかどうか。
②天使の認識能力は完璧なのか。
③有線なら気づかれないかどうか。
①は上手くいってよかった。準備が無駄にならなくて済んだから。
②③は正直、失敗してもかまわなかった。
そもそもこの賭けは、天使の能力を見極めるためだけに仕掛けたものだったから。
キャリオ様と天使が賭けに乗った時点で、僕の目的はもうほとんど達成されたようなものだった。だから、勝ち負けの結果そのものはどちらでもよかったのだ。
『我らの問いに答えよ』キャリオ様、もとい天使は一歩詰め寄った。『命が惜しくなければな』
もっとも、天使がここまでこだわってくるとは予想していなかったが。僕は微笑んで両手をあげた。
「落ち着いてください、天使様。どうか落ち着いて」
『黙れ、人間。不要なことを言うために口を開くな。貴様は答えだけを述べればよい』
「話さなければ殺すと?」
『貴様次第だ。さっさと言え』
「聖書には無闇に人を殺すな、とありますが」
『人の創作物など知らん。神の掟にそのようなものは無い。貴様らがどれだけ死のうが神は気にも留めん。早く言え、人間』
「そうですか」
僕は目を閉じて深呼吸した。
「……【支援妖精】、再生しろ」
『命令を受理しました。録音した音声を再生します。
―――話さなければ殺すと?
―――貴様次第だ。さっさと言え。
―――聖書には無闇に人を殺すな、とありますが。
―――人の創作物など知らん。神の掟にそのようなものは―――』
「十分だ、アルテミス。もう眠れ」
『命令を受理しました。おやすみなさい、ご主人様……』
「……聞いての通りです。会話は録音しました」
僕がそう言うと、天使は丸くしていた目を吊り上げて、僕をぎろりとにらんだ。完全に敵意をむけている。
『なんだ今のは』
「録音です。今の会話を保存しました。いつでも、どこでも、誰にでも、何度でも、あなたがキャリオ様の声で発した言葉を聞かせることができます」
『……それがどうした。誰かに聞かせる前に貴様を殺せば済む話だ』
「今のをものすごく大きな音で再生することもできるんです」
『再生する間もなく、一瞬で終わらせてやる』
「未知の魔術を使った相手に? すごい自信ですね。さすが天使様だ」
『馬鹿にしているのか?』
「純粋な賛辞です」
『貴様がそれを誰に聞かせようと知ったことか。聞いたやつを皆殺しにしてやる』
「キャリオ様にも同じことが言えますか?」
僕がそう言うと、天使は僕をより一層きつくにらみつけ、ふと、肩の力を抜いた。
『……何が望みだ』
「何も。ただ、単純に手品のタネを明かしたくないだけです」
『何者なんだ、貴様は。なんだ、さっきの魔術は。我々天使ですら、全く知らない魔術があるなど、考えられないことだ』
「僕はただの執事ですよ。少々手品とマッサージが得意な」
『……少々? 一分で人間を気絶させるマッサージをしておいて、少々? それが人間の基準というものなのか?』
「ええ。そうです」
『そうなのか……。知らなかった。基準を訂正しなければ……』
「天使様、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
『なんだ』
「あなた方は……どういった目的で我々人間に、その、導きの手を差し伸べてくださるのですか?」
『もっとハッキリ言ったらどうだ』
「なぜ我々に干渉するのですか?」
『神がそうお望みだからだ』
天使は窓の外に目をやった。
『目的か。そのようなことは、我々も知らぬ。神の見ているものが何かなど……。御心をはかるなど、畏れ多いことだ』
「では―――」
『待て。次は私の番だ。質問に答えてもらうぞ』
「手品のタネも、正体も、明かせませんよ」
『承知している。この子に免じて別な質問に代えてやる』
天使は僕に指を突きつけた。
『貴様は、我らの敵か』
「……敵対する可能性は、あります」
僕は正直に答えた。おそらくは「味方です」と微笑むべきだったのだろう。しかし、それはきっと嘘になる。この場はしのげるかもしれないが、後になってその嘘がのしかかってくる、なんてのはよくあることだ。
僕はシャルロット様を助けたいだけだ。だから、天使を倒したいとかはこれっぽっちも思っていない。協力できるならそれに越したことはない。だから、多少の悪印象を与えても、裏切るような真似はしちゃダメだ。
なによりこの人、嘘を見抜いてきそうな気もするし。
『ふん。嘘ではない、か』
天使はため息をついた。
……ほ、本当に見抜いてきた。危なかった。
『なにやらよからぬことを企んでいるようだが、まあいいだろう。貴様は得体が知れぬ。処分は保留する』
「人間を処分したことあるんですか?」
『あるぞ、いくらでもな』
「悪いことしていない人間もですか?」
『……貴様は得体が知れぬ』
天使はうんざりしたように顔をしかめた。そして窓の外をちらりと見て、少し顔色をかえた。
『最後に、これだけは言っておく。くれぐれもこの子におかしなことを吹き込むなよ』
「おかしなことってなんですか?」
『貴様、私をおちょくるのも、たいがいに―――!』
天使は途中で糸が切れたように言葉を切った。身体の力が半分ほどぬけたように見える。身体を起こしたまま寝ているような感じだ。
しばらくして、はっと息をのむ音が聞こえた。キャリオ様はぺたぺたと顔を触って、自分が目隠しを外していることに気づくと、恥ずかしそうに顔を覆った。
「あっ、あああ、すみません、執事さん! みみみ、見ないで!」
「大丈夫です」僕は一歩下がってお辞儀をした。「お綺麗な目をされていましたよ、キャリオ様」
「はうう……」
「……なにをしているのですか、クリム・ホワイト」
ベル嬢の声がした。部屋の入り口に立って、殺人現場でも見たかのような顔をしていた。
「シャルロット様の大切なご友人であるキャリオ様を口説くなど、執事にあるまじき行為ですよ」
「くっ、くどっ!?」キャリオ様は飛び上がった。
「あはは、お二人ともオーバーだなあ」僕は笑った。「これくらいで口説くって言われるなら、思ってること全部言ったらどうなっちゃうんですかあ」
「……え?」キャリオ様は顔を真っ赤にした。
「……」ベル嬢も口を閉ざし、目を細めた。
「あれ、どうしてお二人とも黙っちゃうんですか?」
「……キャリオ様、もうお帰りになった方がよろしいかと」
ベル嬢は僕のことを完全に無視し、キャリオ様の手を取った。
「あっちの男のことは忘れた方がいいです。深く考えないでください。奴は何も考えていません、絶対。だから全て忘れてください」
「ひどいなあ」僕は言った。「何もってことはないですよ」
「黙りなさい、クリム・ホワイト。あなたは女の敵です。マッサージをするとき以外は口を閉じていなさい。貝のように」
「ひどいなあ」
「わ、わかりました。忘れるよう善処します……。シャルによろしく」
「またいつでもいらしてください」
キャリオ様はそそくさと出て行った。ベル嬢は一度僕をにらんで彼女を見送るために部屋を出て行き、見送ってから戻ってきた。じっと僕をにらみつける。
「えっと、ベルさん、なんでしょうか」
「別に。キャリオ様と何の話をしていたのですか?」
「そうですねえ」僕は天使との会話を思い出し、親指を立てた。「キャリオ様は可愛い、っていう話ですかね」
「……は?」
それから数日間、僕はベル嬢に無視されるようになった。原因は不明である。




