悪役令嬢とヒロインのお茶会
【預言巫女】、キャリオ様はゲーム【バッドエンドは猫も食わない】におけるヒロインの一人だった。主人公と共に旅をし、協力し、時にケンカをしながら、苦難を乗り越えていく。そういえば、戦闘のときはどうしていたんだっけ……?
「執事さん、執事さん」
「ぐえっ」
僕は突然タキシードのえりをつかまれ、のどをしめられた。だ、誰だ。僕の意識外から攻撃をしかけるなんて……。
「あ、ごめんなさい」
キャリオ様の声と同時に締めつけが止まった。振りかえると、キャリオ様は苦笑していた。全く敵意を感じなかった。さすがヒロインの名は伊達じゃないということか……。僕が感心していると、キャリオ様はやや困惑した様子ですぐ近くの扉を指さした。
「シャルはここでしょう?」そこは書斎だった。確かにこの時間ならシャルロット様がいらっしゃることが多い。「どうして通り過ぎるのですか?」
「そこにシャルロット様はいらっしゃいませんよ」
「え?」
キャリオ様は書斎の扉を二度見した。ドアノブに伸ばしかけていた手をひっこめ、代わりに小鳥ののどをくすぐった。
「ですが、この子はこちらだと言っていますが……?」
「では、賭けをしませんか。キャリオ様」
「賭け?」キャリオ様は声を弾ませた。「背徳的な響きです。私を巫女と知っての発言ですか?」
「もちろんです」
「乗りました。何を賭けるんですか、執事さん?」
「では、お菓子を賭けましょう。ベルさんが作ってくれるお菓子です」
「全部ですか?」
「いえ、30%にしておきましょう」
「弱気なのですね」
「いいえ。ゲストのお菓子を執事が全て取り上げるわけには、いかないでしょう?」
「ほほう……」
キャリオ様は腕組みし、不敵な笑みを浮かべた。
「神を味方につける巫女を前にずいぶんと自信がおありのようね」
「僕はシャルロット様の執事ですから」
「それもそうね。シャルの執事なら、私に勝負を挑むくらいじゃないと」キャリオ様はくすくすと笑った。「勝てない勝負だとしてもね」
「いいですか?」
「ええ、もちろん」
「では」僕はドアノブをつかんだ。「開けますよ」
「ええ。……えっ?」
不意にキャリオ様は素っ頓狂な声を出した。
「き、消えた? シャルがいつの間にかいなくなっている? なにを言っているの、エル?」
「どうかなさいましたか、キャリオ様」僕はドアノブを持ったまま尋ねた。「今ならまだ無かったことにしても構いませんが」
「くっ……!」
キャリオ様は絶句して、唇をかみしめている。おそらく【預言巫女】としてのプライドと、お菓子の誘惑が葛藤しているのだろう。しかし、彼女の中の綱引きは長くかからなかった。
「ふっふっふ……、なめられたものですね、執事さん。私がたかだかお菓子ごときで、【預言巫女】の名に泥をぬり、勝負を踏み倒すとでも?」
「ええ」
「なぜですか」
「たかがお菓子ごとき、ですから」
「ふっ、ふっふっ……。本当になめられたものですね、いいでしょう。この勝負……」
キャリオ様は精一杯背をそらし、僕にびしっと指をさして宣言した。
「この勝負、踏み倒させていただきます!」
そう。全力で敗北宣言をした。
僕は黙って微笑んだ。
***
「……だって、ベルのお菓子おいしいんだもん! 万が一にも負けるなんて、思ってなかったもん!」
キャリオ様はケーキをほおばりながら涙声で、叫んだ。シャルロット様は笑いながらそれをながめている。
「あはは、キャルらしいわねえ」
「仕方ありません、キャリオ様」ベル嬢は冷ややかな目で僕をみて言った。「あの男は勇者レオンハルト様ですら卑怯な手段で負かしてしまうようなやつなのです。どうせ今回もキャリオ様を手のひらの上で転がすように騙くらかしたに違いありません。それと、お褒めの言葉をいただきありがとうございます。次はさらに腕によりをかけてお作り致しますね」
「ありがとう、ベル!」
キャリオ様は愛おしそうににっこりと微笑んだ。
「ああもう、本当に私のところに来てほしい! ねえ、シャルを見限って私のところに来てよ! それで、私に毎日おいしいお菓子を食べさせて! 私を幸福で太らせて!」
「ちょっとちょっと」シャルロット様は紅茶を飲む手を止めて苦笑した。「私の目の前でベルを口説くの、やめてくれる? 気まずいから」
「気まずい? どういう意味ですか、シャルロット様」ベル嬢はむっとした顔をした。「私がシャルロット様以外の方にお仕えするとでも? 私の主は、生まれる前から死ぬまで、永遠にシャルロット様お一人です」
「うわーん!」キャリオ様は目隠しの布からぼたぼたと涙を垂らして泣き始めた。「そんなに嫌なの!? 私、そんなにダメな子なのぉ!?」
「ええと、うん……」シャルロット様は気まずそうにカップを置いた。「まず、ベル。あなたの忠誠心を疑ってはいないわ。気まずいってのは、つまり、こういうことね」
シャルロット様は黙って視線をキャリオ様に向けた。彼女はずっと泣き続けている。
「うわーん! ちくしょう! 悲しい!」
「この状況が、気まずいってこと。わかった?」シャルロット様は首をかたむけた。
「なにか問題でも?」
ベル嬢はしれっと言った。シャルロット様がため息をつく。
「ゲストを泣かせちゃ、ダメでしょ」
「ゲスト!」キャリオ様は急に起き上がり、テーブルをガン!と叩いた。「私のこと、ゲストって言った! 前は、ともだちって、ともだちだって、言ってぐれだのにぃいいいぃいいいい!!!」
「ね?」シャルロット様は表情を変えずにキャリオ様を指さして言った。「キャルの扱いにはくれぐれも注意しなさい。彼女は【預言巫女】としての激務のせいで情緒不安定なの。さっきみたいな場合、私のことは多少ないがしろにしていいから、オブラートに包んだ返答をすること。いいわね?」
「うっうっ……。私をガチでめんどくさいやつみたいな扱いしないでよぉおぉおおお……。シャルの、シャルのばかぁ!」
「お断りします」ベル嬢は無表情で言った。「私の忠誠心は完全無欠であり永遠に不変です。たとえそれがシャルロット様ご本人のご要望であろうと、これを損ねることは承服いたしかねます」
「僕も同意します」
僕はベル嬢の後ろから顔と口を出した。
「いついかなる時であろうとも、シャルロット様への忠誠を損ねるような真似は許されません。我々にとっては万死に値する罪です。そうでしょう、ベルさん?」
「ふっ……」ベル嬢は静かに笑った。「なかなか良いことをいいますね、クリム・ホワイト。執事として、少しは見所があるようです。あなたなら、私の右腕くらいにはなれるかもしれません」
「恐縮です」
「ねえ、キャル、どうしましょう。メイドと執事が私の言うこと聞かないんだけど、どうしたらいいかしら?」
「知らないわよ」キャリオ様はふてくされた顔でケーキを頬張っている。「おいしい……。いいじゃない。忠誠心マックスの従者たちに囲まれてて。何が不満なのよ。こちとら欲望と陰謀マックスの人間しか周りにいないのよ?」
「あらまあ」
「あらまあ、じゃないのよ、マジで。はー……、あなたがうらやましいわ。気楽そうで。私も事件をやらかしたら暇がもらえるのかしら?」
「しばらくは無理でしょ」
シャルロット様はクッキーをかじった。
「あなた今度、火都に行くんでしょ? 視察だっけ? 仕事できるって認められてるのね。よかったじゃない」
「話聞いてた?」とキャリオ様。
「聞いてた」とシャルロット様。
「じゃあ、ケーキちょうだい」
「ダメ」
「ケチ」
「で、何しに行くの? 火都」
「知らないの?」
「うん」
シャルロット様はキャリオ様が伸ばすフォークをフォークで妨害しながらうなずいた。
「私、こないだの聖教会の演説、ちゃんと聞いてなかったのよね」
「私の演説も!?」
「ごめん。ちょっと考え事してて」
「ふーん。なに考えてたの?」
「え? あなたの話しないの?」
「つまんない話だもん、巫女の仕事なんて。それより、シャルが上の空になるほど考え事するなんて珍しいわ。聞かせてよ。なに考えてたの?」
キャリオ様はひょいとフォークをひっこめた。シャルロット様は拍子抜けしたように、フォークの先を宙にただよわせた。先端がくるくると回る。
「あー……、ええと……。この話、やめない? 他の話にしましょうよ」
「怪しいわね。男かしら?」とキャリオ様。
「怪しいですね。男ですか?」とベル嬢。
「うっ……」シャルロット様はおもむろに扇を広げると顔を隠した。
「本当? 本当に!?」キャリオ様が嬉しそうに笑う。「あの色恋に無縁だったシャルについに春が来たのね!? 相手は誰? こっちの執事さん?」
「……なんですって?」ベル嬢はすごい目で僕をみた。「執事の分際でシャルロット様に手を出すなど万死に値しますよ、クリム・ホワイト」
無実です。濡れ衣です。
「わかってます。そのような畏れ多いこと、僕はしません。わかってますよ、ベルさん……。わ、わかってますから、ナイフを突きつけないで!」
「……」
「クリムじゃないわよ、ベル」
「そうですか。シャルロット様がそうおっしゃるなら、本当でしょう」
ベル嬢はシャルロット様の言葉でゆっくりとナイフをひっこめた。
目がまだ怖い。シャルロット様がいないところで疑われたら、僕本当に殺されるのでは?
「それで、お相手は誰ですか?」
「なんか怖いわね。まあ、その……、強い、殿方よ」
ベル嬢はむっと顔をしかめた。
「レオンハルト様ですか」
「えっ? ああ、ええっと、ノーコメントで」
「きいいいい! あの勇者め! 今度会ったらぎたぎたにしてやります!」
「私、ノーコメントって言ったわよね」
「いっそ強い男をこの世から一掃すればいいのではないかしら。どう思いますか、クリム・ホワイト」
「僕は強い男に含まれますか?」
「含まれます。レオンハルト様に勝ってますから」
「じゃあ、反対です」
「では、シャルロット様のパンツをこっそり一つあげましょう。どうですか?」
「なに言ってんの、ベル!?」シャルロット様は叫んだ。「わ、私だってあなたのパンツを渡すわよ!」
「あなたもなに言ってるの、シャル……」キャリオ様は呆れた目で紅茶をすすっている。「なーんか、思ってたのと違うなあ……。もっと楽しく恋バナしたかったんだけど」
「パ……、パンツ……」
僕は脳みその処理速度が著しく低下していた。いや、低下させていた。もしもベル嬢の言葉を理解してしまえば命に関わると計算結果がでて、前頭葉かどこかが低下させたのだ。その間に脳のどこかでパンツ以上に僕の気をそらす発想が生まれることを期待して。
しかし、発想は生まれなかった。
「パ、パパパ、アパパパパパ……。うゔっ……!」
僕は鼻から血を流して、その場に倒れた。まだ、意識はある。危なかった。【冷静】を重ね掛けしていなければ、間違いなく即死だった。時間稼ぎは無駄ではなかったのだ。
シャルロット様とベル嬢は目を血走らせて、まだ不毛な争いを続けている。
キャリオ様は倒れた僕をドン引きした表情でみつめ、シャルロット様たちのケンカをながめ、クッキーをつまみ、小鳥の頭をなでた。
「はぁ……、お仕事したくないなあ……」
キャリオ様がクッキーをかじる音が聞こえる。
誰も僕の心配をしていない……。
でもまあ、シャルロット様がお元気ならそれでいいか……。
僕はゆっくりと広がる血だまりの中で意識を失った。




