巫女の鳥は笑わない
いまさらではあるが、【バッドエンドは猫も食わない】にはヒロインがいた。シャルロット様ではない。シャルロット様だって、そりゃあヒロインになれるほどのポテンシャルはある。むしろポテンシャルの塊ではあるが―――。いや、よそう、きりがない。
でも、どんなキャラクターだったっけ……。シャルロット様以外に興味がなさ過ぎたのか、おぼろげな記憶しか残ってない。
なんだか小動物を連れていたような気がするけど……。
「考え事ですか、クリム・ホワイト」背後からナイフで刺されそうな低いささやき声が聞こえた。「ずいぶんと余裕ですね」
僕がゆっくりと振りかえると、頬になにかが突きささった。ベル嬢の指だ。彼女は無表情で指を突きさしていた。
「あにするんへふか」いつまでたっても彼女が指を離さないので、僕はそのまましゃべった。
「ちょっとした罰です」ベル嬢は冷ややかに言い、ようやく指をひっこめた。「クリム・ホワイト、今日の予定を覚えていますか?」
「ええと……」僕は記憶の糸をたぐった。「今日は何もない日ですよね。一日掃除をしろと今朝言われました」
「誰に?」
「あなたです。ベルさん」
「私はそんなことは言いません」
ベル嬢は完全な無表情で首をふった。けれど、確かにベル嬢は僕に掃除を命じたのだ。これまでの付き合いで僕にも段々とわかってきた。彼女は存外抜けているのだ。おそらく予定をすっかり忘れていたのだろう。シャルロット様もシャルロット様で、ベル嬢が忘れていることに気づきながら知らんふりして楽しむようなところがある。ポンコツ先輩と傍観者の上司か。とんでもない職場もあったものだ。
「今日はゲストがいらっしゃいます。そしてその応対は、クリム・ホワイト。あなたにやってもらいます」
「え。僕ですか」
「そうです。クリム・ホワイトが他にいるのですか?」
「探せばいると思いますけど」
「探すのは面倒です。あなたがやりなさい」
「ベルさんは何を?」
「私は買い出しに行きます。お茶の葉もお菓子の材料も足りません」
ベル嬢はポンコツだが、ごくたまに発揮されるポンコツを除けば、スーパーメイドである。炊事、洗濯、掃除に、接客応対。さらにはシャルロット様の護衛まで一人でこなしてきたのだから尋常ではない。さらに仕事の質も高い。そう考えると彼女のポンコツはむしろ完璧さに茶目っ気をつけ足す長所だとさえ言えるだろう。
「買い出しなら、僕がいきますよ」
僕は接客が苦手だ。一応一通りの訓練はしてきたが、前世で人見知りだったためか、いまだに接客に苦手意識があり、ふとした拍子にボロボロになる。できるかぎり避けたいのだが……。
「ふん」ベル嬢は鼻を鳴らした。「あなたにお茶の葉の選定ができますか? 今日の市場にならぶ良い果物を一つ一つ買いながらどのようなお菓子を作るのがベストなのか、決めることができますか?」
「……できません」
「素直でよろしい」ベル嬢は勝ち誇ったような笑みをニマーッと浮かべて僕の頭をこれみよがしにポンポンとなでた。「わかればゲストをお迎えする準備をしておいてください。なに、心配しなくともそんなに早く来ることはないでしょう」
「本当ですか?」
「万が一、私が留守にしている間にゲストが来たときのために応対する心づもりでいてください」
「ゲストって、どなたなのですか?」
「ああ、言っていませんでしたね」
ベル嬢は僕の頭をなでるのをやめて、一歩下がった。
「本日のお客様は、聖教会の【預言巫女】、キャリオ様です。くれぐれも失礼のないよう」
「あ」
「なんですか?」
「い、いいえ、なんでもありません」
「……?」
僕は怪訝そうな顔をしているベル嬢に手を振ってごまかした。
ゲストの名前を聞いて、思い出した。
【バッドエンド】のヒロインはその、【預言巫女】キャリオ様だったと。
***
「こんにちは」
ベル嬢の言葉とは裏腹に、買い出しに行ってすぐ、門の呼び鈴が鳴った。急いでお出迎えに行くと、小柄な少女が立っていた。口元にニコニコと屈託のない笑顔をうかべている。
「はじめまして、キャリオ・オリオンです。前の予定が早めに済んだので、来ちゃいました。約束のお時間より早いですが、シャルは起きていますか?」
【預言巫女】の少女はゆっくりとそう言うと、にこっと笑った。明るい。顔面から陽光が照っているようだ。
ただし、その目元には白い布が巻かれ、彼女の瞳を完全に覆っている。僕と同じように。
僕はまぶしさのあまり蒸発してしまいそうになりながら、お辞儀をした。深く腰を折って、キャリオ様よりも頭が低くなるようにする。
「どうぞ、お気になさらず。キャリオ様のお早いご到着でシャルロット様もお喜びになられます」
「うふふ、お邪魔します」
キャリオ様は一礼して、門の中に入った。手に持った錫杖がしゃん、と音をたてる。肩に乗った白い小鳥が僕を見つめていた。
「おや?」キャリオ様は不意に足をとめた。「珍しいですね。気になるのですか?」
キャリオ様は肩に乗る小鳥の頭を指でなでながら言った。顔をむけている方向と、声のトーンからして、話しかけているのは僕ではない。
鳥に話しかけている。
こう言うと、ペットの鳥に話しかける頭のおかしい少女、という印象だが、それは違う。彼女の場合、まったくおかしなことは起きていない。彼女は【預言巫女】である。神の声を聞くことのできる少女なのだ。
神の言葉は天使を介して伝えられる。
この少女の肩に乗る小鳥こそが、天使なのだ。
「あの、執事さん」キャリオ様は僕に向き直った。「この子があなたのお名前を聞きたがっているのです。お教えいただいてもいいですか?」
「ええ、構いません」
僕はつとめて平静を装い、言った。小鳥は丸い目で、じっと僕のことを見つめている。
「僕はクリム・ホワイト。シャルロット様の執事です」
「クリム・ホワイト……。ソルティ地方の領主、ホワイト家の四男……。そうですね?」
「はい」
僕はもう、心臓をにぎられているような気分だった。そんな僕をみて、キャリオは錫杖をもった手を口元に寄せ、くすくすと笑った。
「そんなに緊張しないでください。天使はうわさ話のような、恐ろしい方ばかりではありません。この子はむしろ、とても好奇心旺盛なんですよ」
「好奇心、ですか」
「ええ。シャルは使用人嫌いでしょう? ベル以外の。それが殿方の執事を雇うなんて。一体どんな方が執事になったのかと、そういうところが天使の好奇心をくすぐったのだわ。きっと」
「はあ……」
僕は笑っているキャリオ様から小鳥に視線を戻した。相変わらず、小鳥は僕を凝視している。まるで……「全部お見通しだぞ」とでも言わんばかりに。
落ち着け。大丈夫だ。神様の、僕を転生させた方の神様の言葉を思い出せ。
『天使たちには気をつけた方がいい。恐れた方がいい。目をつけられれば、常に視線をむけられてしまうから。
ただし、連中も万能ってわけじゃない。能力は素晴らしいが、本質的には人間と大差ない。出し抜けない相手ではないさ』
落ち着け。彼らにはわかりっこない。
僕がどれだけ例外的な存在であろうと、彼らには僕を除去する根拠も口実も無いのだ。
今はまだ。
『彼らは過去を見ることはできない』
『彼らは心の中を読むことはできない』
『彼らは神の定めた未来の断片を知っている』
『彼らは嘘を口にすることができない』
あとは……なんだっけ?
とにかく「心を読まれる」ことはない。過去の出来事をさかのぼって確認されることもない。だから、僕が何者か看破されることはない。おそらく本来のシナリオに存在しない「シャルロット様の執事」である僕に反応しているのだろう。
落ち着け。大丈夫だ。彼らにはわからない。
僕が例外そのものなのか、例外に巻き込まれただけのただの人間なのか。
彼らに知るすべは無いのだ。
やがて、天使の宿る小鳥はぷいと顔をそむけた。
「あら、気が済んだようですね」
キャリオ様は無邪気に笑っている。天使は興味を失ったのか、判断を保留にしたのかわからないが、ともかく急場はしのいだらしい。
僕は前に進み出た。
「では、シャルロット様のところまでご案内します」
「はい。エスコートよろしくお願いします」
そう言ってキャリオ様はくすくすと笑った。




