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僕はあなたをハッピーエンドへ連れていく  作者: 甲斐柄ほたて
三十八年間のプロローグ
3/11

霧の中の幼年期

「クリム、おはよう! おはよう、クリム!」

「ん、んん……」


 窓の外で鳥のなく声がする。

 目を開けると、スクエラが僕の顔をのぞきこんでいた。

 両手でベッドをぽふぽふしている。


「……なにしてるの、スクエラ?」

「起きるの待ってたの」

「ああ、そう……」僕は起き上がった。「起こしに来た、の間違いじゃなくて?」

「今日の朝ごはん、なにかしらね! ここのご飯は美味しいから楽しみ!」


 スクエラはそう言いながら窓の外を見ている。

 窓枠に手をかけ、ぴょんぴょんと跳びはねている。

 僕は服を着替えながらそれを眺めた。

 彼女はいつも元気そうでなによりだ。


 僕はこないだ五歳になった。

 ホワイト家という田舎の領主の四男坊だ。一番上が姉で、その下に兄が三人いる。家督は長男が継ぐことは、僕が生まれる前から決まっていた。

 その長男は今まさに、庭で乗馬に興じている。


「朝から精が出るなあ……」

「クリムも何かすればいいじゃない!」


 スクエラは、まん丸な目で僕を見ていた。


「そんなにうらやましいんだったら!」

「うらやましいわけじゃないんだけど……」

「ねえ、何かしましょうよ! 私と結婚するなら得意なことの一つや二つ持っててよ!」

「そうだねえ」


 僕は曖昧に返事をした。

 スクエラは僕の婚約者だ。彼女は隣の領主の四女で、我が家に居候にきている。我が家と比べると、どうやらあまり裕福な家ではないらしいが、政略上の利点があるのか、僕との婚約が決まっている。


「得意なことねえ……」

「優秀なお兄様方がいると大変よねえ!」


 スクエラは着替えを終えた僕の周囲をじれったそうに走り回っている。


「ファストお義兄様は剣術と騎馬、セカンお義兄様は魔術、サドお義兄様は学問がそれぞれ得意だものね。

 ああ、でもクリム、お絵描きが好きでしょ! ほら、画家さんになるっていう手もあるんじゃない? 実家があるんだから、パトロンさえ見つかれば―――」

「僕は、別に絵が好きなわけじゃない」


 僕はちょっと憂鬱な気分だったらしい。思ったよりも冷たい声が出ていた。

 スクエラは驚いたように、手をきゅっとしている。


「ご、ごめん、クリム」


 しまった。声色に気をつかうのがおろそかになっていた。

 気をつけないと……。


「ううん。僕の方こそ、ごめん。ちょっと、嫌な夢を見たから……」


 僕が申し訳なさそうに笑うと、スクエラは不安そうな顔のまま僕の手を握った。


「怖い夢? 大丈夫?」

「うん。もう大丈夫。スクエラのおかげだよ」


 僕がうなずくとスクエラは安心したように笑った。


 夢というのは、もちろん嘘だ。スクエラを安心させるためだけの方便だ。僕は笑顔の裏側で心が冷たくなっていくような気分だった。


 僕は……、なんだかずっと違和感のようなものを感じている。なにかが間違っているような感覚が胸の奥にずっとある。

 胸の奥に誰かがいる。

 その誰かは怒ったようにずっと叫んでいるんだけど、なんて言っているのかよくわからない。

 彼は叫んでいる。

 毎日、一日中。朝から晩まで。

 その叫びが止まることはない。


 ごく稀にその叫びが届くことがある。彼が求めている何かを僕もほんの少し見たりする。

 そういうとき、僕はたまに絵を描く。人物画だ。

 誰かは知らない。女の人だ。スクエラじゃない。子供じゃない。母上でもない。

 その絵を見ていると余計に胸がざわざわする。描かれているのが誰なのか、知りたくなる。

 五歳にしては上手い方だと思う。でも、その絵を見せても「上手だね」とは言われても、描かれている人物を当てられたことはない。

 当てずっぽうで知り合いの名前を言われても、僕は首を振るだけだった。

 同年代の子供と比べれば上手だとは思うけれど、それでも大したものじゃない。仮に描かれた人物を見たことがあったとしても、僕の絵を見てそうとわかる人は多くないだろう。

 そもそも顔を描かずに終わらせているのだから。顔がわからないのだから。


 そう。僕は絵が好きなわけじゃない。

 ただ、叫び声を少しでもなんとかするために書いているだけだ。



 ***



「クリム、お前に家庭教師をつけようと思う」


 食事の席で、父上は唐突にそう言った。

 僕はスプーンを落としてしまい、皿に当たって大きな音が鳴った。

 父上は片方の眉をあげて僕をみた。


「どうかしたのか?」

「そ、その、父上、まだ、その……、早いのでは、ないでしょうか?」


 僕は抗議することにした。

 どうにか家庭教師がつくような事態は避けたかった。

 体術だろうが学問だろうが、叫び声のせいでろくに集中できない。できなければ、つまらない。

 このままではよくないとは思うのだが、叫び声のせいで身が入らないのだ。

 僕はまず叫び声をなんとかしたいと思っていた。まだまだ核心からは遠いが少しずつ近づいているような気がするのだ……。


「兄上たちも家庭教師がついたのは七歳からだったと聞いていますが……」

「いや、お前にはもう教師をつける」父上は断固として首をふった。「お前は兄たちにはない才がある。まだ五歳だというのに恐ろしいほど物分かりがよく、大人びている。

 なのに、なのにお前ときたら……」


 父上はフォークを持った手を握りしめた。腕がぷるぷると震動する。フォークがぐにゃりと曲がった。

 え、怖っ……。


「毎日毎日ふらふら、ふらふら……。何かを学ぶでも修練するでもなく、絵ばかり描いて……、いや、本気で芸術を目指すならまだしも、未完成の絵ばかりではないか! なにがしたい!?

 何を考えているのだ、お前は!」

「ええと、その……」


 これはまずい。

 どうやら相当フラストレーションをためこんでいたようだ。もはや僕が何を言っても聞く耳を持つまい。

 ちらりと母上や兄上たちを見る。どうも手遅れな気はするが、藁にもすがる思いだった。

 援軍の見込みはないだろうか?


 ダメだ!

 全員仲良く目をつぶってスープをすすっている!

 ああ、これは「父上が怒ってるから」とか以前に、もう根回しはすんでいる感じのやつか! クソッ、さすが父上、抜かりない!


 最後の頼みの綱は……、スクエラだけど……。


 スクエラと目があった。合ってしまった。

 怯えたような目で僕を見ていた。

 そうだよね。父上、怖いよね。何も言えないよね。僕だって言えないもん。いや、うん、ごめん。目があっちゃったけど、気にしないで……。

 と思っていると、スクエラが急に意を決したように立ち上がった。


「お、お義父様、あ、あの……、クリムの話を聞いてあげても、よ、よろしいのでは、ないでしょうか……」


 スクエラは消え入りそうな声だったが、そう言った。

 そう、言ってくれた。


「クリムは、まだ、自分のやりたいことが見つかっていないだけで、それさえ見つかれば……」

「スクエラ」父上は静かに言った。「婚約者としての君の意見は尊重したいが、こればかりは聞けない。

 君の言うやりたいことが見つからなければどうなる? いつまでも待った末に一人で生きていくだけの力が身につかなければ?

 ……こういうことを言うのはまだ早いかもしれないが、君も婚約者なら、クリムを甘やかすだけではいけないよ、スクエラ」

「……は、はい。……失礼しました」

「いいよ。座りなさい」


 スクエラはしょんぼりして座った。

 今にも泣きそうな表情でスープに目を落としている。目を合わせてくれない。


「クリムよ」


 父上に急に呼びかけられて、びくっとした。

 さっきまでスクエラにかけていた優しい声色とは違う、厳しい声だ。


「私はお前の話をしているんだ、クリム。

 なのに、お前は……、なぜ私の顔をみず、母上や兄上、スクエラの顔を見ている!? なぜ自分の言葉で反論しない!

 お前自身の言葉で、私に言いたいことがあるのではないのか!」


 父上はまっすぐに僕を見つめている。

 言いたいことは、ある。伝えたいことはある。

 叫び声のことを伝えたい。

 しかし、結果は目に見えている。

 父上は叫び声のことなど意に介さないだろうし、そもそもすでに父上が言ったことで決着がついている。同じことをまた言われるだけだ。わざわざ言うまでもない。

 大体、父上が完全に正論なのだ。父上は建設的な方向をむいていて、僕は感情的な方向をむいている。


 要するに、僕は勉強がしたくないと思っているだけなのだ。


「わかりました、父上。家庭教師をつけてください……」

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