世界に対するイレギュラー
私は、甘く見ていた。
クリムが戦っているあの巨大な怪物を。
彼があまりに華麗に攻撃を避けてみせるものだから、強くないのだと思ってしまった。……いや、彼のせいみたいに言うのはやめよう。私が怪物の力量を測り違えた。そもそも、その力量に手が届いていなかっただけだ。
植物系なのだから、火が効くと思った。それは正しかった。ただ、相手の出方を、痛みを、状況を、わかっていなかった。
かといって、それ以外の方法が上手くいったかと言えば、それも疑問だ。
一点集中の火力では、弾かれたら終わりだと思った。
雷撃は水を伝って、自分たちにも当たるかもしれない。
氷結は芯まで届かないかもしれない。
石を操るのは、崩落が怖い。さすがに懲りた。
風の大魔法はそもそも習得していない。
継続的に燃やし続けるのが有効だと、思ったのだ。
ここまで激しく暴れて火を消してくるのは想定外だった。
「どうすれば……」
こうして悩んでいる間にも、クリムは怪物の攻撃を避けてくれている。私のために命がけで時間を稼いでくれている。……私は、なにも思いついていないのに。
考えなければ。
考えなければ。
考えなければ。
今の状況で、最適な魔術を考える。
火は……ダメだ。さっきのような連続攻撃は効果がないとわかったし、一点突破の魔術は当たる保証がない。さっきまでと違い、怪物は魔力の消費量を考えずに動いている。ずっと速いのだ。おそらく、クリムが引きつけていてくれなければ当たらないだろう。つまり、クリムが死んでしまう。
雷撃もダメだ。やはりクリムが巻き添えになる。後退させれば怪物もついてくる。倒せるかもしれないが、自分たちも感電してしまうだろう。
氷結は……、あれだけ動いているのだから、凍り付くまで待ってはくれないだろう。
けれど、巨大な氷柱を飛ばすのはどうだろう。……厳しい。どれだけの威力で連射できるかにかかっているが、今の私ではあの怪物を仕留めるには足りない気がする。
そうだ。私には、実力が、足りていない。
……だが、このまま黙ってみているわけにも、いかない。
氷柱だ。氷柱の魔術でいこう。
十発だ。十発の氷柱に私の全ての魔力を注ぎ込む。
全弾でなくてもいい。
半分でも当たれば、倒せるはずだ。
そう決めて、氷柱魔術の構築をはじめた、矢先だった。
不意に、丸太で岩を叩きつけたような音がして、何かが洞窟の壁に叩きつけられた。あまりに唐突すぎて、見間違いかと思った。
それはクリムだった。ずっと怪物の攻撃を避けつづけた彼だったが、ついに怪物のツル攻撃に当たったのだ。クリムの姿は見えなかった。壁が粉砕したせいか砂煙がたっていた。
私はおそらく数秒、息をするのも忘れていたと思う。魔術の構築も手が止まり、砂煙をじっと見つめていた。煙が晴れたら、クリムがそこに立っているのではないかと、そんな風に思った。期待した。夢を見ていた。
当然だが、期待は外れ、夢は破れた。
クリムは立っていなかった。岩陰から出ているつま先がみえた。ぴくりとも動かない。怪物は自分が叩きつけた獲物をじっと見つめている。
私は魔術の構築を再開した。自分がクリムの元に駆け寄る想像をしながらも、足は一歩も動かさなかった。
そうしたところで状況は好転しない。クリムの稼いでくれた時間が無駄になるだけだ。なによりクリム本人が喜ばないだろう。……いや、喜んでくれるのかな。わからない。
わからない。
私は急いで魔術を構築した。怪物がクリムに興味を失くして私の方へ近づいてくる。トゲトゲの怪物は回転し、静かに水しぶきをあげながら近づいてくる。遅い。私がまだまともな魔術を発動できないとわかっているのだ。構築は目標の半分も終わっていない。とても間に合わない。
こんなことなら、倒れたクリムに駆け寄った方がよかったのだろうか。そうすれば彼の、あの異常に高い忠誠心に報いることができたのではないだろうか。そうしたら、主人として、人として、誇ることのできる最期になったのだろうか。
最期……。最期か。
私はここで終わるのか。死ぬのか。
そうか……。
ごめんなさい、ビスキュイ。
あなたを置いて死ぬ私をどうか許して……。
どうか……。
『命令を受諾しました』聞いたことのない金属的な声が響いた。『【反転重力】を行使します』
怪物と、その周囲の水が持ち上がり、宙に浮く。誰かの腕が伸びて、宙へ落ちていくツルの一本をつかんだ。怪物はハンマーのように地面に叩きつけられた。水しぶきと石の破片が舞い上がる。そこに男が一人立っていた。
男の周囲からまた金属的な声がした。
『命令により【自動魔術:強化】を開始しました。稼働可能時間は残り―――』
音声はそこで途切れ、すぐに再開した。
『命令を受諾しました。【自動魔術:冷静沈着】を開始します。つづけて、代替通話を開始します』
私には、何が起きているのかさっぱり理解できていなかった。さっきまで私たちを追い詰めていた怪物は男の目の前で地面にめり込んで動かない。クリムの足が男のすぐそばに見える。
男はゆっくりと、こちらを振りかえった。
冷たい目の男だった。口元を大きな鉄製の仮面でおおっている。どうも嫌な感じだ。呪われた装備だろうか。
先ほどと同じ声が鳴り響く。
『お前は誰だ』
男は冷たい目で私を見据えていた。




