規格に対するイレギュラー
僕とシャルロット様は同時に動きを止めた。
間違いなく強力な魔物だ。おそらくは例の「食べ歩き」の魔物だろう。僕たちに気づいているだろうか。気づいていないならやり過ごすのが得策だ。音からして、今僕たちがいる道の根本あたりを陣取られている可能性が高い。こちらに来るようなら、戦闘になる。スルーして道を抜け出せると想定するのは甘すぎるだろう。
残念ながら、悪い予想が当たった。近づいてくる気配がする。僕たちを探す魔力の波を肌で感じる。……気づかれている。
「僕が先行します」僕は沈黙を破り口を開いた。「時間を稼ぎますから、大火力の魔術を使ってもらえますか?」
「ええ」シャルロット様はこわばった笑みを浮かべてうなずいた。「デカいのを一発お見舞いしてやるわ」
「口が悪いですよ」
「お嫌い?」
「いいえ。ちっとも」
僕は道の根元に少し進んで、相手を待った。相手の速度と道の形状から考えて、ここで迎え撃つのが一番だろう。シャルロット様が動かずに済む。移動なしで最大限の時間をかけて魔術を準備することができる。
魔術には準備が必要だ。
僕は魔術を「蒸気機関」のようなものだと考えている。蒸気機関とは、石炭などの燃料を燃やして水蒸気を発生させ、水蒸気の圧力をうけとって運動エネルギーに変換し、機械に仕事をさせるシステムだ。そう理解している。
一方の魔術は、魔力を燃料として、現実に対してなんらかの作用をおよぼす技術だ。……多少ふわっとしているが、「燃料」がインプットで、「仕事」がアウトプットである点は変わらない。ついでに言えば、魔力は燃料であるという面も説明できる。
魔力は燃料である。自身を消費してエネルギーを発生させる。その性質がある。そして、エネルギーを取り出す過程には「時間」が必要になる、ということ。
通常の燃料を一気に燃やすのが難しいように、魔力からエネルギーを一気に取り出すのも難しい。薪を燃やすときは小さな枝に火をつけ、徐々にくべる薪を大きくして火を大きくする。それと同じだ。自転車のギアをいきなりマックスにしてこぐのが難しいのも同じ。
これが魔術に時間がかかる原理だ。実際には、さらに魔術の方向性の問題なんかもあって、より複雑なのだが、これが根本的な原理と言っていい。要は「大火力の魔術を使用するには、その分のエネルギーを確保できるだけの魔力の燃焼状態が必要になる」ということだ。それには時間が必要なのだ。
だからその時間は僕が稼がなければならない。
「初めまして」僕は怪物の前に進み出てお辞儀をした。「主人はあいにく取り込み中でございます。ここを通りたければ私を倒してからにしてくださいませ」
怪物の身体から、ばらばらと無数のツルが剥がれ落ちる。そのままムチのように回転して攻撃してきた。僕はジャンプし、身をよじって回避した。インベントリからひっぱり出した【防壁】はあるにはあるが、これは奥の手だ。最後まで取っておきたい。
回避できる攻撃は回避し、シャルロット様の準備を待つ。
……この無数のツルを相手にするのは、ちょっと面倒だが。
それにしても、この怪物の名前はなんだろう。ゲームに出ていたなら、名前があったはずなんだけど。というか、こいつがさっきまで探していた標的でいいんだよな? ツルを伸ばすからこいつだと思うんだけど……。
僕は休みなく襲いくる無数のツルを、跳ねまわってかわしながら考えていた。手数は多いが、攻撃は読みやすかった。この魔物、魔術の扱いは上手くない。はっきり言って下手くそだ。おそらく、同レベルの相手との生存競争を経験していないから、これだけ雑な魔力運用でも生き残ってこられたのだろう。動かない他の植物系魔物をつまみ食いするだけで生きてこられたのだから、当然か。
よかった。ありがたい。こんな強力で高速なムチ攻撃があるのに、攻撃も読めないなんてシャレにならない。お手上げだ。
僕は手ぶらだった。攻撃したくてもツルは速すぎてナイフを弾かれそうだし、近づいたら押しつぶされそうだし、盾は重くて邪魔になる。手ぶらでいい。
「……クリム君。準備できたわ」シャルロット様の叫び声が聞こえた。「下がって」
僕は即座に後退した。僕が怪物の射程外に出ると、シャルロット様は魔術を発動させた。
「【紅火蝶々】」
シャルロット様が差し出した手のひらから、蝶のような形の高熱の炎が無数にあふれ出した。わらわら、ばたばたと羽ばたいて散らばっていく。赤い光を放ちながら怪物に近づいていく。怪物はツルを振って蝶々を消すが、その度にツルは焦げ、傷ついていく。おまけに蝶の数が多い。どれだけツルを振ろうとも雨を防げないのと同じ。焼け石に水だ。
怪物は次から次へと蝶々にとりつかれて、めらめらと燃えはじめた。ジタバタと暴れているが、蝶々はまだ生まれ続けている。
勝負はついた、と僕はほっとした。
いやあ、レオンハルト様が来るのを待たなくて済んで、本当に良かった、良かった……。
……などとほっとしたのも束の間だった。
怪物が、燃え上がる炎の塊が、宙に浮いた。
ジャンプしたのだ。
そのままの勢いで着地し、水を跳ね上げた。さらに地面に横倒しに倒れた。水の中からツルがうねうねと持ち上げ、地面に次々と突き刺した。刺したツルに力を加えて横倒しになったまま回転する。大量の水が蒸発し、湯気がもうもうと立ち上がる。怪物の体表を燃やしていた炎はほぼ全て消されてしまった。
シャルロット様はあわてて追加の蝶々を飛ばすが、効果はなかった。たしかに燃えはするし、ダメージもあるが、消されてしまう。致命傷にはならないのだ。トドメの一撃にならない。動きを止められない。
シャルロット様は【紅火蝶々】の発動を止めた。
「ごめんなさい。失敗したわ」シャルロット様の声は震えていた。「植物だからって甘く見てた」
「他に手はありますか?」
「……もちろん」
違和感をおぼえて振り返ると、シャルロット様はをきつく結んでいた。強がっているのだとわかった。自信はなく、手もまだないのだろう。
それでも、やるしかないから嘘をついてくれているのだ。
僕に希望はあると思わせるために。
つまり、僕のために。
僕は笑った。
「わかりました。では、また時間を稼いできますね」
「気をつけて。無理しないで」シャルロット様は笑わなかった。「……ダメだと思ったら、あなた一人でも、逃げて」
「……」
僕はどう返答したものか、少し迷った。迷って、答えた。
「いいえ」僕はお辞儀をした。「たとえ、この身が朽ちるとも僕はあなたの執事です」
「馬鹿!」シャルロット様は本気で怒ったようだった。「命令です! 今すぐ逃げなさい! 逃げて!」
「承服しかねます」
僕は苦笑して、怒って叫んでいるシャルロット様に背を向けた。これ以上の問答は、無用だろう。
僕は怪物に近づいた。
その様相はさっきとはまるで異なっていた。さっきまでは一応「歩く木」とでも呼べるような形だったが、今はイガグリ、またはウニである。転がるときに足代わりにしたツルをそのままにしている。
怪物は僕が近づくと、ゆっくりとこちらへ移動し始めた。
さて……、どうしたものかな。




