シナリオに対するイレギュラー
「起きて」シャルロット様の声がする。「クリム君、起きて」
シャルロット様に揺さぶられて、僕は目を覚ました。水の音がする。そうか、この水のせいで空洞ができたのか。魔力の匂いがする。のどの奥まで痺れるような甘く苦い匂い。
高レベルの迷宮の匂いだ。
「いてて……」僕はあちこちが痛む身体を起こした。「おはようございます、シャルロット様。お怪我はありませんか?」
「足をくじいたけど、もう治したわ」シャルロット様はどうでもよさそうに言った。「クリム君こそ、大丈夫なの? 一応【治癒】はかけたけど」
「あちこち痛いですが、大丈夫そうです」
僕がそういって笑うと、シャルロット様も少しほっとしたように微笑んだ。
僕は立ち上がり、頭上を見上げた。僕の目では見通せないほど、穴は深かった。
「連絡は取ってないわ」シャルロット様が言った。「叫ぶのも、魔術で合図するのも危険でしょ?」
「そうですね。向こうからの合図もなかったんですか?」
「私が起きてからはないわね」
僕はうなずいた。
穴の底の空洞は広い空間だった。
足元の地面は滑らかな石灰で、くるぶしまで水が張っている。
地上の遺跡とはまったく異なる鍾乳洞が広がっていた。
不気味な場所だ。
これまで通ったどこよりも魔力が濃いにもかかわらず、魔物の姿も気配も全くない。
どこまでも静かだった。
ここが例の隠し部屋だろう。
「移動しましょう。出口を探さないと」
僕はシャルロット様の前でかがみこんだ。女性を背負うのは、スクエラで慣れている。最高の乗り心地のはずだ。
「どうぞ」
「いいわ。自分で歩けるから」
シャルロット様は少し冷たいトーンで言った。僕はしゅんとして、彼女の半歩後ろを歩いた。
しばらくして、シャルロット様がぼそっと言った。
「助けてくれて、ありがとう。来てくれて、嬉しかったわ」
「え?」僕は周囲を警戒していたので、少し上の空だった。「ああ、はい。僕は執事ですから」
「なにそれ」
シャルロット様はつまらなそうにつぶやいた。
その後、僕たちは黙ったまま鍾乳洞の中を進んだ。
僕は落ち込んでいた。
シャルロット様のご機嫌が悪そうだからではない。
シャルロット様を穴に落ちる前に助けられなかったからでもない。
このサブストーリーをついに思い出したからだ。細かい部分はまだ思い出せないが、このシナリオはシャルロット様が恋に落ちる場面なのだ。相手は主人公。
穴に落ちるのはその重要シーン。落ちていくシャルロット様をレオンハルト様が助け、なんやかんやあってシャルロット様がレオンハルト様を好きになるというシーンだ。おそらく、レオンハルト様は僕が飛び降りたことで、上に踏みとどまる決断を下したのだろう。
そう。完全に「やってしまった」のである。
僕はシャルロット様が生き残るルートを探している。それが最重要だ。しかし、それ以外はできるだけゲーム上で展開されたような自然な成り行きにそってことを進めたいと思っている。そうでなければ、さっさとシャルロット様をさらって外国でもどこでも行けばいい。そうしないのは、それでシャルロット様が幸せになることはないからだ。
理由はない。記憶も無い。ただの感情的な判断だ。
それでも僕はこの感情は正しいと信じている。最初にシャルロット様に会った時と根本的には同じだと感じるからだ。つまりは、忘れられた記憶の片隅にかすかに残る直感だ。あいまいで不明確なこと極まりないが、これを否定するならそもそも正しいものなど何もなくなってしまう。
だからこそ……、今の状況はよくない。あろうことか、シャルロット様の恋愛ルートを僕自身でねじまげてしまうなんて……。いや、ねじまげただけならいい。最悪なのは自分に好意をむけられることだ。
僕こそが、このシナリオにとっての例外的存在だったのだ。
おかしなことになる前にレオンハルト様に合流しよう。シャルロット様のご機嫌が悪いのはむしろ歓迎すべき事態だ。後のことは一旦忘れて、このままここを出よう。出てからフォローすればいい。僕の好感度など最低限でいい。
それにしてもまるで出口が見つからない。この場所の正確な地形はわからないが、おそらく不規則に広がるアメーバのような形状だろう。ところどころに細長い道があるが、たいていは行き止まりだ。どこかに地上部分へ通じる出口があるのだろうが、今のところ手がかりはない。
僕の視界について少し説明する。
僕は二つの視界魔術を合わせて使用している。光学視界と空間把握だ。
光学視覚は、まあ普通の視覚だ。ただ僕の場合は魔術でこれをやっているというのが違うだけ。解像度は悪いし、色味もちょっと変だと思う。でもまあ実用には耐えるレベル。
空間把握は文字通り、周囲にある物体や地形を感じ取る魔術だ。周囲に魔力を飛ばし、その反射で三次元像を得ている。三次元像といったが大したことはない。要は全てのものが無色透明のガラスのように見えるということだ。材質によって透明度が変わったりするから石と魔物の見分けとかはできる感じ。ぶっちゃけ、かなりわかりづらい上に、有効射程は短く、魔力の燃費も相当悪い。
とても光学視界と同じようには使えない。ごく限られた範囲内を認識することにしか使えないのだ。その点、迷宮の狭い通路では役に立つのだが……。
この広い鍾乳洞で、出口を探すのに空間把握は相性が悪い。おまけに魔力が濃くて視界も悪い。最悪と言っていいだろう。
「行き止まりのようね」
シャルロット様も前方をながめて言った。
地上の遺跡もそうだったが、蛍光性のコケがところどころに生えている。わざわざ魔術を使用して光源を用意する必要はない。
こういうときは、やはり通常の視界の方が優れている。付け焼刃の魔術的な視界よりもよほど。
僕たちが来た道を戻ろうと踵を返したとき、後ろから―――いままさに戻ろうとした先から―――何かが落ちる重い音がした。
遅れて、くっきりとした水の波紋が足元まで届いた。




