迷宮へ
「厄介なことになったなあ……」
僕は鏡の前で身支度を整えながらため息をついた。
皇弟殿下のご命令で、シャルロット様、レオンハルト様と(もちろんベル嬢も)ともに迷宮攻略へ向かうことになった。
それが昨日のこと。僕は宿で荷物をまとめ終えて、これからのことを考えて憂鬱になっていたのだった。
迷宮。
それはこの世界における魔力の排出点だ。地底から魔力があふれ出るポイント。魔力はエネルギーだ。そこには魔力をもとめて凶暴な魔物が集まるし、生まれもする。
放っておけば際限なく魔物は育ち、やがて手に負えなくなる。過去にはそうして強大な魔物が現れ、世界に甚大な被害をもたらしたことが何度もあったらしい。迷宮はそういう極めて危険な領域なのだ。
もちろん危険なだけではなく、うま味もある。いや、無い方がいいのかもしれないが……。迷宮は魔力が大量にある場所だ。それは原始的な魔術がかかった状態に近い。そのような環境だから本来は魔術を使用しなければ生まれないはずの仮想物体が生成されることがある。
長い年月をかけ、ある一定の方向性を与えられた仮想物体。仮想物体は時間経過で消滅するが、その時間は生成にかかった魔力の量に比例する。だから、通常はその場限りの一時的な道具という認識なのだが、迷宮産の仮想物体は違う。
生成に費やされた魔力の量が桁違いに多いのだ。性質や性能はランダムもいいところだが、消耗品ではない仮想物体という時点で十分すぎる価値がある。
このような迷宮産の仮想物体は【遺物】と呼ばれ、特に武器としての人気が高い。【遺物】を加工して作られた武器は【魔剣】と呼ばれている。
ついでに説明を加えると、レオンハルト様との戦闘で僕が使用した【魔剣】は魔力を与えると切れ味が増す、という性質を帯びたものだ。僕が家を出る際に父上がくれた。
こう言うと美談っぽいが、この【魔剣】、燃費が悪すぎて使い勝手が悪いから兄上たちも敬遠して余ったやつが僕に回って来ただけなのだ。こないだのような使い道はなくもないからガラクタとまで言うつもりは無いが。使いどころを考える必要のある武器ではある。
少し脱線してしまった。
だからまあ、迷宮攻略などロクなものではないのだ。たしかに報酬は出るし、【遺物】だって手に入るかもしれない。だが、【遺物】の品質はランダムだし、そもそも命がけだ。そんな場所にハンデありで行くなんて正気じゃない。
僕はもう一度ため息をついて、重いリュックを二つ背負って宿の部屋を出た。一つは迷宮まで持っていく荷物。もう一つはシャルロット様のお屋敷に置いていく荷物だ。迷宮に行く前にお屋敷の前で合流してから向かうことになっていた。そのときに置かせてもらう荷物だ。
そう。この迷宮攻略が終わったら、僕もあのお屋敷でシャルロット様とひとつ屋根の下で暮らせるのだ。ひとつ屋根の下などと言ったが、やましい気持ちはない。これっぽっちもとまでは言えないが、憧れの存在の近くにいられると思うと……、期待と、それ以上に不安や緊張で胸が張り裂けそうだ。ああ、【冷静】をかけないと……。
僕が宿を出ると、見覚えのあるシルエットの少女が立っていた。僕の顔をみて、小さく「あっ」と声を漏らす。
「久しぶりね、クリム」少女はにこっと微笑んだ。「元気?」
「……スクエラ?」
僕は、びっくりして足をとめた。
その少女は、スクエラだった。
「こ、こんなところまでどうしたの? ええと、僕は元気だよ。スクエラは?」
「うん。私も元気よ」
「久しぶり……。二年ぶり、かな」
「そうよ。二年ぶり」
初めてシャルロット様にあった年の暮れ、スクエラの実家の風向きがいよいよ怪しくなった。それでスクエラは実家に戻ったのだが、結局彼女の実家はそのままつぶれてしまった。領土は召し上げられ、別の貴族が領主になった。スクエラは貴族ではなくなった。スクエラは戻らず、婚約破棄を願い出る手紙を最後に音信不通になった。
連絡が取れるようになったのは二年前だ。ふらっとホワイト家に顔を出しにやって来た。彼女は魔物を狩る【狩人】になっていた。レオンハルト様も協会公認の勇者という肩書はあるものの、本業は同じ【狩人】だ。
スクエラはレオンハルト様と同じ、命がけの危険な仕事に就いたのだ。
「クリムが王都にいるって聞いたから、来てみたの。けっこう探したのよ?」
「それは……、ごめんね」
僕はうまく言葉が出てこなかった。シャルロット様を救うという使命を思い出してから、僕はスクエラとどう接すればいいのかわからなくなっていた。
婚約者というからにはきっとスクエラのことを一番に考えなければならない。そう、父上と母上も期待している。できることなら僕もそうしたい……。
でも、僕はシャルロット様を救わなければならない。別にシャルロット様と結ばれたいとか、そんなことは微塵も思っちゃいない。僕だって男だから、夢に見ることはある。想像もする。けれど、そんな夢は叶うはずもないし、叶うべきじゃない。
僕はスクエラを見捨てたも同然なのだから……。
「ううん」スクエラは笑顔で首をふった。「いいの。私が顔を見たかっただけだから」
「半分しか見えないけどね」僕は顔の上半分を覆って笑った。
「半分でもいいの」スクエラも顔を半分おおって笑う。「全部隠れてても来てたわよ。声を聞きにね」
「スクエラ……。僕、シャルロット様の執事になったよ」
僕は背負った荷物を少し持ち上げて言った。
スクエラの表情は微動だにしなかった。
「そう。おめでとう、クリム。よかったわ、あなたの夢がかなって」スクエラは笑った。「本当に……」
「スクエラ、まだ王都にいるの?」
「わからないわ。いま私がいるパーティ、たまに移動するから」
「そうか。僕、今日からしばらく王都から離れるんだ。戻ってからじっくり話せたらと思ったんだけど」
「それは運次第ね。どこ行くの?」
「北東。たしかブレッドとかいう町だったと思うけど」
「ブレッド? あんな町に何しに行くの? 迷宮くらいしかないでしょ、あそこ」
「え、そうなの?」
僕は「しまった」という顔をしていたらしい。スクエラの表情がにわかにくもった。
「まさか、迷宮に行くの?」
「……うん」
「シャルロット様の執事になったって言わなかった?」
「なったよ。初仕事がこれなんだ」
「大丈夫なの、クリム。迷宮攻略なんて、初めてじゃないの?」
「入るのは初めてじゃないけど、攻略は初めてかな」
「誰と一緒に行くの?」
「あ、そうだ。安心してよ。シャルロット様も一緒だし、強いメイドさんもいるんだ。なにより、レオンハルト様! あの勇者様も一緒なんだよ!」
僕はつとめて明るく言った。それでもスクエラは心配そうな表情のままだったが、レオンハルト様の名前を聞くといくらか表情をやわらげた。
「そう。レオンハルト様が一緒なんだ……」
「安心してくれた?」
「いーえ」スクエラは鼻を鳴らすと、僕の頬を引っ張った。「私のことチョロい女だと思ってるのは相変わらずみたいね」
「いたい。いたいよ、スクエラ」
「まったく……」
スクエラは少し背を伸ばして、僕の両肩をたたいた。
「元気で帰って来てよね」
「うん、ありがとう、スクエラ」
「クリム、くれぐれも気をつけなさい。あなたは時々とんでもない大ポカをやらかすんですからね!」
スクエラは僕の母上の口癖を本人そっくりにまねて言った。
「ふふふ、わかりましたよ、母上」
「ふふ。じゃ、また会いましょう、がんばってね」
「うん」
スクエラは手を振って去っていった。僕はしばらくその背中を見送って、反対方向へと歩き出した。