波乱の初仕事
勇者レオンハルト様に勝利して、ベル嬢に「あなたは合格です! 素敵!」と言われた翌々日。僕は意気揚々と幽霊屋敷へ足を運んだ。
いつものように呼び鈴を鳴らすが、いつまでたってもベル嬢は門を開けに来てくれなかった。留守、ということも考えにくい。今日を指定したのは向こうだし、時間もいつも通りだ。やはり聞こえなかったのだろうか。もう一度呼び鈴を鳴らそうか。
いや、これはあれか。「クリム・ホワイトはもうこの屋敷の執事なのだから、いちいち呼び鈴なんか鳴らさずに入ってきなさい」というシャルロット様とベル嬢の無言のエールなのだろう。
うん。そうに違いない。そうじゃなければ、僕を無視しているということになる。それは正直、ちょっとつらい。
「おじゃましま~す……」
僕は一応あいさつしながら、玄関扉をそっと開けた。ロビーは暗く、静かだ。
いや、奥から話し声が聞こえる。男の声だ。時折シャルロット様が相槌を打つ声が聞こえるが、基本的には男がべらべらとまくし立てているのが聞こえる。やけにおしゃべりだ。
……レオンハルト様ではないのか?
僕が屋敷に一歩足を踏み入れると、ぎいと床板が軋んだ。
「誰だッ!」
ベル嬢の鋭い声が飛んできたかと思うと、白黒の影が飛んできた。影は僕のすぐ目の前で立ちどまり、のど元に突きつけたナイフをひっこめた。
「クリム・ホワイト。あなたでしたか」
「ごきげんよう、ベルさん。今日もお元気そうですね」
「ふん」
ベル嬢はナイフをスカートにしまった。一瞬だけ、白い太ももがちらりと見える。
ベル嬢は不機嫌そうに眉をひそめて僕を見た。
「今、あなたに構っている暇はありません。裏庭にでも行っていてください」
「え」
「ああ、ちょうどいい。昨日あなたが開けたトンネルを埋めておいてください。……今日はストレッチ無しでお願いしますよ。うるさいので」
それだけ言うと、ベル嬢は奥へ引っ込んでしまった。どうやらトンネルの手品のタネが知られてしまったらしい。ベル嬢の態度がすっかり元通り、それどころか前よりも悪くなっているようだ。
けれど、僕はむしろ意気揚々と裏庭へむかった。
昨日の様子からして、ベル嬢が自分で手品に気づいたとは思えなかった。つまり、タネを見破ったのはシャルロット様だ。
シャルロット様は、僕の戦う様を見ていてくださっていた。
それだけで思わずほくそ笑んでしまうくらい嬉しかった。思わずトンネルを埋める作業を魔術なしの素手で行い、無意識のうちに半分近く終わっていたほどだった。
「終わりましたか、クリム・ホワイト? お客様は帰られましたから、中へ入っても……。何をしているのですか?」
ベル嬢は、にこにこと笑いながら裏庭を掘り返していた僕をみて、気味悪そうに口元を曲げた。
***
僕は初めて居間に通された。
なんと、シャルロット様がスカートをつまんで出迎えて下さった。
「ごきげんよう、クリム。今日からよろしくね」
そう言って微笑んだのだった。
僕は……、僕はもう、叫び出したいくらいだった。事前にこっそり【冷静】の魔術を使っていなければ、確実に叫んでいたし、発狂していただろう。
最初に彼女を見た日から、九年が経った。
ようやく、僕は、今日ここに、来れたのだ。
僕はひざまずいて頭を垂れた。
「シャルロット様にお仕えできること、光栄の極みです。全霊の忠誠を捧げます」
「大げさね」
シャルロット様はくすくすと笑い、ソファに腰掛けた。そのとき、ようやく僕はベル嬢以外にも誰かがいることに気づいた。居心地が悪そうに、シャルロット様の隣に座っていたのはレオンハルト様だった。
「……いらっしゃったのですか、レオンハルト様」
思ったよりも低い不機嫌そうな声が出た。しかし、レオンハルト様は気にした風もなく、肩をすくめただけだった。
「おう、いたんだ。呼ばれてな」
「おかけになったら?」シャルロット様が対面のソファを指さした。「首が痛くなっちゃうわ」
「それはいけませんね。では失礼して」
僕はシャルロット様とレオンハルト様の対面に座った。
……なんとも奇妙なツーショットだ。
もっとも、この組み合わせを奇妙だと強く感じる人間はこの世界には、そうそういないだろう。ゲームでは展開によっては殺し合う二人だけれど、それを知っているのは僕くらいなものだろうから。
その二人がいま、僕の目の前で微笑みすら浮かべながら、仲良く並んでお菓子を食べている。
僕は急に泣いてしまいそうになった。あわてて冷静をかけ直す。
「さきほど、父上がいらしていたのよ」シャルロット様が言った。「あなたのことを報告したわ。新しい執事を雇うことにしましたとね」
「皇弟殿下、ですか」
僕はあまり浮かない気分だった。
皇帝殿下。シャルロット様のお父上だ。しかし、どうにも気分が悪い。その名前を思い浮かべるだけで胃がむかむかして仕方がない。
繰り返しになるが、僕は【バッドエンド】の記憶を全ておぼえているわけじゃない。なんとなくおぼろげな印象だけが残っていることが多い。皇弟殿下についてもそれは言える。
思い浮かべて嫌な気分になる、ということはまず間違いなく悪役だ。少なくともシャルロット様に害をもたらす存在には違いない。
「おかしな反応ね。会ったことなんて、ないでしょう?」
「え、あ、いえ! その、あまり畏れ多い方々に僕のことを知られるのが、申し訳ないって言うか……」
おかしな応答をしてしまった。慌てているのが自分でもわかる。両手がせわしなく動いているし。
「ふーん」シャルロット様はベル嬢がいれてくれた紅茶を飲んでいる。「そういえば私のことも初対面で見破ったわよね」
「ぶっ」
僕は、気を落ち着けようと飲んだ紅茶を吹き出してしまった。ベル嬢が顔をしかめる。
「私がせっかく淹れた紅茶を吐き出すなんて……」
「豪快だな」とレオンハルト様。
まずい。これはまずい。どうにかフォローしなければ。
シャルロット様にこれ以上怪しまれるのはまずい。
「申し訳ありません」とりあえず僕は笑顔を作った。「あまりに美味しい紅茶で吹き出してしまいました」
「どういう言い訳ですか、クリム・ホワイト?」
「ふふふ、良かったわね、ベル?」
「シャルロット様! 甘やかしちゃダメですよ!」
「ふふふ……」シャルロット様はゆっくりとカップを置いた。「じゃあ、そろそろ本題に入りましょうか」
その言葉で、レオンハルト様もカップを置く。ただし、すでにつまんでいたクッキーは口の中に放り込んだ。
「皇弟殿下からのご指示がありました。北東にある迷宮の一つを攻略するように、との話です」
「シャルロット様にですか?」
僕は顔をしかめた。たしかに、シャルロット様は天才魔術師だ。彼女よりも強い魔術師など、同年代はもちろんだが、ずっと年上の魔術師の中にだってそういない。だから迷宮の攻略にも活躍することはできるだろう。
しかし……、迷宮は危険な場所だ。ほんの一瞬油断しただけで死んでしまう。シャルロット様は天才だが、ミスをしないわけではないし、ましてや不死身でもない。
なのに、実の娘を迷宮に派遣するなんて……。
「ええ。私と、勇者様もですね。それに……」
シャルロット様はすっと手を前に出し、指をさした。
「あなたもです、クリム。私の執事として同行させるよう、殿下におおせつかりました」
「え?」
僕はシャルロット様の指をみつめた。細い、きれいな指だ、と思った。僕を指しているように見える。
後ろを振り向くが、誰もいない。
シャルロット様の顔を見ると、にっこりと微笑んでいた。
「クリム・ホワイト、あなたも迷宮攻略に同行してもらいますよ。私の騎士としてね」