二次試験
勇者に勝つ。
負ければ不合格ではあるが、なによりシャルロット様に宣言した以上、勝たねばならない。
まだ勝算はない。だが、不可能ではないのはわかっている。必要なのは作戦だ。
少し時間が欲しいな。
「準備運動をしてもいいですか?」
ベル嬢はうなずいた。
レオンハルト様はにやにやと笑って腕組みしている。お手並み拝見、といった様子だ。完全になめられている。素晴らしい。好都合だ。
僕はストレッチを開始した。
「イッチニイ、サンシイ。ニイニイ、サンシイ……」
「うるさいですよ。静かにしてください」
「すみません、これ言わないと順番わからないので」
「まったく。好きにしてください」
「すみませんね。イッチニイ、サンシイ……」
僕は念入りにストレッチをしながら作戦を練った。
この世界は【バッドエンド】と似ているが、完全に一致しているわけではない。例えば、今のような状況がそうだ。今の勇者の実力が、そう。現時点では、まだゲームは開始していない。ゲーム開始時点での主人公のレベルは当然1である。最弱の敵を倒すのも気をつけないといけない程度。
しかし、今目の前にいるレオンハルト様は最弱など程遠い。おそらくすでに迷宮もいくつか攻略しているに違いない。
そもそも、この世界にレベルという概念は存在しない。それが一番の違いだろう。
要するに、ゲームと同じ感覚で戦うと痛い目をみる、ということ。
「なあ、もうそろそろいいだろ?」レオンハルト様がしびれを切らしたように言った。「いつまで準備運動してるんだ? 日が暮れちまうぜ」
「いま終わります」
僕はしぶしぶストレッチを終えた。
正直、良い作戦は浮かばなかった。
時間が全然足りない。
「一つ確認ですが」
僕は一歩前に出た。ストレッチ中にベル嬢が描いた土俵のような円の中に入る。この中で戦え、ということだろう。
「勇者様は武器を使わず、素手で戦うということでいいですか?」
「いいぜ」レオンハルト様は自信満々に言った。「そっちは仕込みナイフでもなんでも使っていいぜ。素手で対応してやる」
「じゃあ、魔術もナシにしましょう」
「魔術駆動はアリか?」
「もちろん。そうじゃないと、ガードを割れませんから」
「へえ、勝つ気満々だな。いいぜ、それで」
「ありがとうございます」
僕はにっこりと微笑んだ。
もう一歩進み、レオンハルト様の目の前に立った。
頭一つ分上にある彼の頭を見上げる。
僕は、ベル嬢が手を上げるのを横目でみて、
「あ。僕は魔術使いますから」と言った。
「は!?」とレオンハルト様。
「はじめ!」ベル嬢の手が振り下ろされる。
試験開始だ。
その直後、ほぼノータイムでレオンハルト様の拳も振り下ろされた。
僕は後ろへ跳躍してかわしたが、拳が【防壁】をかすめて、べきっとヒビが入った。
この世界における勝負のルールについて、少し説明する。
【バッドエンド】でも反映されていた設定だが、この世界では「戦える人間=【防壁】が使える」という図式が成り立っている。ゲームでは【防壁】が壊れる、ということはHPが0になるということを意味していた。
【防壁】とは、魔術の基礎の基礎。最初に習得するものだ。これが使えるだけで魔術師と呼ばれる……なんてことはないが、使えなければ戦士にすらなれない。今回のように魔術にすらカウントされないこともよくある。
攻撃が来たときに肉体の代わりにダメージを肩代わりする盾であり、壁。そんな物理的なオブジェクトを生成する魔術。それが【防壁】なのだ。
魔物はどいつもこいつも凶暴で、強力だ。熊よりも厄介な相手に丸腰で挑むなど、正気の沙汰ではない。【防壁】が戦闘可能性をわけることの必然性はそのあたりから来ている。
【防壁】はその性質上、巨大で重く頑丈である。つまり、生成に少なくない魔力が必要になる。だから、戦闘前に作っておいて必要な時だけ呼び出して盾にする。
で、こういう決闘では「【防壁】が壊れた方の負け」という共通認識がある。
僕は今、【防壁】にヒビが入った状態だ。また攻撃を少しでも受けたら壊れてしまうだろう。
つまり、これはかなりのピンチだ。
以上、説明終わり。
「おお、怖い怖い」僕はヒビの入った防壁をながめながら震え声で言った。「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」
「やかましい。卑怯者め」
レオンハルト様は僕を指さした。
「試合開始直前に自分に有利なようにルールを引きやがって。貴様のような奴をシャルロット様の執事になどさせるものか! 俺がこの手で成敗してやる!」
「成敗なんて初めて聞きました」
「減らず口が!」
レオンハルト様は僕にむかって真っすぐに突っ込んできた。
当然だ。突っ込んでこない理由がない。
彼は不利なルールを飲まされたと怒っているし、なにより、僕はもう【防壁】に大きなヒビが入っている。
あと一撃でケリがつく。先手必勝。魔術を頼みにしているようだが、魔術を使うヒマなど与える必要はない。間合いを詰めて攻撃を仕掛け続けていけば、あとはジリ貧だ。逆転の芽はなくなる。
彼がそう思考したかどうかはわからないが、近いことを感じたはずだ。
攻めれば勝てる。顔にそう書いてある。
おめでたいことだ。
「うあっ!?」
レオンハルト様の驚く声が聞こえた。レオンハルト様の踏んだ地面が崩れて陥没する。頭の位置が下がる。彼は片足を五十センチほど沈めた状態で、僕の前で無防備な姿をさらした。
落とし穴だ。
レオンハルト様は僕の目の前で、僕が仕掛けた落とし穴にはまったのだ。
レオンハルト様がはっとして僕をみた。僕は【魔剣】を振り上げていた。【防壁】と同じく、隠し持っていたものだ。
「僕の勝ちです」
僕はレオンハルト様の【防壁】に剣を振り下ろした。
たしかにレオンハルト様の【防壁】は硬い。けれど動けない状況で、【魔剣】の一撃を防げるほどの練度はまだない。
僕はレオンハルト様の【防壁】を両断した。
勢いあまって剣が地面に深々と突き刺さる。
……勝った。
どうにも、フラフラする。【魔剣】を使って魔力を急激に消費したからだ。ベル嬢を見ると、彼女は僕が勝ったことに顔をしかめつつも、レオンハルト様が無様に負けたことに口元をかすかにつりあげて、片手をあげた。
「試験終了。クリム・ホワイトの勝利です」