見据える先に何がある
私も、お礼を言おうと、思った。
目はびっくりするくらい冷たく見えたけど、優しい人だったから。歳はけっこう近い。十歳くらい。その年齢でメイドをやれるなんてすごいことだと、私でもわかる。
私は上機嫌だった。
つまらないことでケンカしていたクリムと、仲直りできたから。まだちゃんと謝れたわけじゃないけれど、仲直りしたようなものだと思った。
ケンカの原因もつまらないことだったとわかっている。ずっとわかっていた。
なんとなく、クリムには私よりもずっと大事なものがあるんじゃないかって気がしていた。それが気に入らなかった。確かめたわけじゃない。確かめるのが怖かったから。
どうやって謝ればいいかわからなかった。なんとかなってよかったと安心していた。私より大事なものがあるなんて、気のせいだと思えた。
私はレストルームを出るべきではなかったのだろう。
いや、結局は同じだったのだろうか。その叫び声は館中に響くようだったから。部屋の中でも聞こえただろう。
その声は、クリムのものだとすぐにわかった。
その声は、恐怖や嫌悪からくるものじゃないということもわかった。
その声は、むしろ好意や尊敬、崇拝するものに鉢合わせしたという調子をふくんでいた。
私にはそれがわかった。
わかるのだ。もちろんわかる。
なぜなら、その声をあげたのが、
私の婚約者で、私の好きな人だったから。
私の好きな人は、私が見ている前で、あのメイドの目の前でアワを吹いて倒れた。
***
僕が目を覚ました時、すでに日付が変わっていた。
晩餐会はとっくに終わっていて、あのメイドも、シャルロット様も帰った後だった。
もっと言えば、スクエラや母上、兄上たちも帰っていた。
残っているのは父上とラグラン先生だけだ。
二人は倒れた僕の看病のために宿を取って残ってくれたらしい。
「お前、どこか悪いのか?」父上は直接的に聞いてきた。「少し前から叫んでいただろう。授業が多すぎたのか……?」
「ああ、いえ。父上、違います」
僕はあわてて手を振って否定した。
「僕はシャルロット様を尊敬しているのです」
「尊、敬……?」父上は初めて聞く単語のように復唱した。「普通、どれだけ人を尊敬しても叫んだり卒倒したりはしないと思うが」
「僕は普通ではないので」
僕は絶句している父上をみて微笑んだ。
これでいい。これくらい尊敬していると認識しておいてもらった方がいい。
その方が、今後動きやすくなると言うものだ。
父上は僕が起きたことを伝えてくる、といって部屋を出て行った。執事に伝えて、馬車の手配をするのだろう。
どこか足取りがふらついて見えたが、気のせいだろう。
「なにかわかったのかい?」
父上の前ではずっと黙っていたラグラン先生が口を開いた。父上と先生はあまり話をしない。というよりも僕の目の前では話をしないようにしているらしい。どうも月に一回程度、僕の教育方針について話をしているらしいが、その内容は僕には全く伝わっていない。
「はい。確信しました」僕はうなずいた。「シャルロット様は僕のシャルロット様でした」
「うん……。ん? なんだって?」
「先生、僕を今まで以上に鍛えてください」
僕は、地球の神様とのやり取りのおおよそを思い出していた。
前世の記憶を全て思い出したわけではない。
ゲームだった【バッドエンドは猫も食わない】の内容もほとんど忘れたままだ。
ただ、ゲームの開始時点はわかる。
ゲーム内でシャルロット様は十九歳だった。
だから開始時点はシャルロット様の年齢から逆算できる。
細かい年数はあとで確認するが、おおよそ九年だろう。
九年でゲームの開始時点に追いつく。
準備期間は残り九年。
備えねばならない。
どんな敵が現れても時間を稼げるように剣術を。
どんな状況でもサポートできるように魔術を。
どんな問題が来ようとも冷静でいられるように学問を。
鍛えねばならない。
学ばねばならない。
至らねばならない。
「僕は、シャルロット様の執事になります」
***
「おかしな子がいたわ」
『メイド』が眼鏡を外して『お姫様』に手渡しながら言った。
時間はさかのぼって、晩餐会の後のことだった。
「クリム・ホワイト、でしたか? 姫様をみて絶叫したという……」
「言い方にトゲがあるわね」
メイド……ことシャルロット・ローズロール皇女はメイド服を乱雑に脱ぎながら言った。
「私の顔が怖かった、とでも言いたいの?」
「まさか。確認するまでもないことです」
「その言葉、どう受けとったものかしらね……」
シャルロットは口の端をつりあげて形ばかりの笑みを浮かべている。
お姫様……こと、本物のお付きメイドは肩をすくめた。
彼女の着替えはもうすでにほとんど終わっている。
「その子がどうかしたんですか? まさか姫様に気づいたなんてことはないでしょう? おおかた、コーヒーでもかけてしまったとか―――」
「気づいたのよ」
メイドは白い手袋をはめる手をとめ、眉をひそめた。
「ご冗談でしょう?」
「違うわ」
シャルロットは服を着るのにいらいらしながら(いちいちめんどくさいのよ、これ……)、答えた。
「私をみてはっきり名前を呼んだわ。で、私の反論も聞かずにそのまま気絶しちゃった。それだけ確信があったってことよ」
「信じられません」
「気持ちとしては私だって同じよ」
シャルロットはため息をついてテーブルに座った。
それとほとんど同時にメイドがティーカップを滑らせる。
「ありがとう。……でもまあ、問題はないわ。あんな子がなに言ったって誰も信じないでしょう」
「ですが、気になりますね。そんな甘い変装ではないと思っていたのですが」
「私たちも子供だったってことかなあ? みんな気づいてないふりしてくれてたと思う?」
「ありえません。現に姫様の望んだ調査はできています」
「そうよねえ」
シャルロットは紙片に目を落としながら、カップを傾けた。紙片にはいくつかの名前がメモされている。晩餐会でメイドにふんして観察し、リストアップした貴族の名前だ。
シャルロットは晩餐会の場で問題のある貴族を見つけ出そうとしていたのである。
「でも、あれだけ苦労したのに、たったこれっぽちじゃあ、割に合わないわ……。仮にも貴族だから、晩餐会でろくでもない振る舞いをする奴は滅多にいないし、晩餐会で問題があったって、統治能力に問題があるとは限らないし……」
「ですが、目安にはなります。そうでしょう?」
「まあね。裏を返せばそれだけろくでもない奴があぶり出せたってことだし。それについては、例のクリム・ホワイト君にも感謝だわ」
「一役買ったのですか?」
「そう。格上の貴族と一悶着あったのよ」
「そういえば見たような気がします。大人の貴族ともめている子供を。彼でしたか」
「彼、見事なものだったわ。婚約者をかばって、召使の真似事までしてかわしたの。微笑みながらよ? なかなかできることじゃないわ」
「私もできます」
「五歳のときにできた?」
「……今ならできます」
「素直でよろしい」
シャルロットは笑って紙片に目を落とした。
「しばらくはこいつらを調べてみましょう」
「はい。かしこまりました」
「私たち、正義の味方みたいよね?」
「……そうでしょうか?」
「そうなのよ」
シャルロットは無邪気にティーカップに差し出した。
メイドはその仕草に苦笑しながら、カップに紅茶を注いだ。
「お行儀が悪いですよ」
「いひひ」
「……あの、姫様、今さらなのですが」
「なに?」シャルロットは紅茶を飲んでいる。
「どうして姫様が直接調査なさる必要があったのですか? 私ではダメだったのでしょうか?」
「わからないの?」
「その、もしかしたら、私が至らぬせいかと……」
「馬鹿ね。理由なんか決まってるじゃない」
シャルロットは紅茶を飲み干した。
「私にだって息抜きは必要なのよ?」
「……そうですね。息抜きは必要ですね。もう一杯お飲みになりますか?」
「もちろんもらうわ」