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僕はあなたをハッピーエンドへ連れていく  作者: 甲斐柄ほたて
三十八年間のプロローグ
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三十八年間のプロローグ

 僕はぎょっとした。

 僕をかばうように前に立っていたのは、スクエラだった。


「謝りなさい! この恥知らず! 子供を押しのけて、恥ずかしいと思わないの!?」

「なんだと小娘!?」


 相手は大人だ。大の大人である。スクエラの身長の倍ちかい。

 いや! そんなこと考えている場合じゃない!


「スクエラ!」


 僕はスクエラの手を後ろから引いた。

 にらんでいる貴族の男に頭を下げる。


「ダメだよ、スクエラ。

 ぶつかってすみませんでした、侯爵閣下。お怪我はありませんか?」

「ふん、お前は多少礼儀をわきまえているようだな」


 男は少し気をよくしたらしい。襟を正して鼻を鳴らしている。

 僕は、暴れるスクエラの手をおさえながら、微笑んでもう一度、謝った。


「すみません。彼女はこういった場所は初めてなもので、少し気が高ぶっているんです。僕が転んで不安になってしまったのかも。重ね重ね、無礼をお許しください」

「ああ、いいぞ。わしは器が大きいからな」

「ありがとうございます」

「ああ、そうだ。ついでにこれを」


 男は僕に飲みかけのワイングラスを差し出した。


「飲み飽きてしまった。代わりに下げておいてくれないか? それで君の無礼な振る舞いを許してやろう」

「わかりました。お安い御用です。ご厚恩に感謝を」

「ふふん。早く行け」


 男は満足そうに笑うと、しっしっと手で追い払う仕草をした。

 もう僕たちを見てすらいない。

 僕はグラスを片手に、スクエラを振りかえった。

 スクエラは顔を真っ赤にして、涙ぐんでいた。

 僕は声をださずに尋ねた。


(大丈夫?)


 それを見て、スクエラは泣きだしてしまった。

 泣きだして、僕に抱きついてきた。

 僕は勢いに負けて、あやうくワインをこぼすところだった。


 僕はスクエラを連れて会場を出ることにした。

 扉を閉める直前、シャルロット様のいた人だかりに目をやる。


 シャルロット様は僕の追い求めていた人じゃなかった……。


 僕はそんな苦い気持ちを断ち切るように扉を閉めた。



 ***



「ごめん、ごめんね、クリム……」

「大丈夫だよ、スクエラ」


 僕はぐすぐすと泣いているスクエラの目元にハンカチをあてながら、彼女をなだめた。

 僕たちは会場をでて、用意されていたレストルームの一つにいた。スクエラはベンチに腰かけて、僕は彼女の前に立っていた。


「ごめん、ごめん……」


 スクエラはずっと謝り続け、泣き続けている。

 僕は彼女の涙をふきとる。もうとっくにハンカチは涙でびしょびしょだ。


「どうして謝るの? 助けてくれたのはスクエラじゃないか」

「私、なんの役にも立たないで、クリムに迷惑、かけて、それに……。ずっと、ずっと、クリムのこと、避けて……。ひどい態度とっててっ……」

「助けに来てくれて、僕は嬉しかったよ。それで十分じゃない?」


 どうにかなだめようと言った言葉だったけれど、逆効果だったらしい。ついにスクエラはせきを切ったようにわんわん泣き始めた。

 なにが悪かったのだろう。

 どどど、どうしよう。


 そのとき、レストルームの扉をノックする音が聞こえた。

 僕はスクエラの肩をたたいて必死になだめながら、「どうぞ」と返事をした。

 扉がひらく。振り返るとメイドさんだった。大きな丸眼鏡をかけている。


「どうかなさいましたか? なにかお手伝いできることはありますか」

「え、ああ、この子が泣き止んでくれなくて……。タオルがあれば……」

「かしこまりました」

「あ、それとホットミルクも欲しいです」

「砂糖は?」

「たっぷり」

「ただいま、お持ちします」


 必要最低限の会話だけして、メイドさんは部屋を出て行った。

 僕はスクエラを泣き止ませるのをあきらめ、彼女の隣に座った。こうなったらもう、泣きつかれるまで、涙が枯れるまで泣かせるしかないだろう。彼女の背中をたたいていると、泣きながら手をつないできたので、気のすむようにしてあげた。


 しばらくしてメイドさんが戻ってきた。

 トレイにタオルとカップを二つ持ってきている。

 静かに僕たちに近づき、タオルを差し出してきた。僕は繋いでいない方の手でタオルを受けとって、スクエラに渡した。

 その頃にはスクエラもだいぶ勢いをなくしていた。タオルが不要かというと、そんなことは全くないのだが。

 一通りふきおえて、スクエラはタオルを「ありがとう……」といってメイドさんに返した。

 メイドさんはにっこりと微笑んで、ホットミルクを渡す。スクエラは両手で受け取って、ひとくち飲んだ。それを見て僕もミルクを飲む。


「もし御用がありましたら。お呼びください」


 メイドさんはそう言って立ち上がり、また部屋から出ていった。



 ***



 僕たちはホットミルクを飲みながら静かにおしゃべりをした。時々スクエラは思い出したように涙を流したが、ハンカチやタオルが必要になるような洪水ではなかった。

 二人ともホットミルクを飲み終えて、カップが少し邪魔になった。そばにある棚に置いてもいいけれど、忘れたら申し訳ないし、僕は返しに行くことにした。


「ありがと」


 そういって微笑むスクエラをおいて、僕はレストルームを出た。どこに返せばいいのかはすぐにわかった。廊下の端にさっきのメイドさんが立っていたからだ。僕に気づいて、トレイをもって近づいてくる。


「ありがとうございます」


 彼女は、僕がカップをトレイに乗せると、軽く会釈を返してくれた。


 それにしても所作のきれいなメイドさんだ。なんだか気品まであふれているような気がする。

 メイド服を着ていたから気づかなかったが、ずいぶん小さい。よくよく見ると彼女はまだほんの子供だった。十歳くらいだろうか。

 それにしても大きな眼鏡だ。しかし、目元はほとんど歪んでいない。あまり度が入っていないのか?


 胸がどきどきしている。

 僕は、胸の中の叫び声がいつのまにかMAXになっていることに気づいた。


「どうかなさいましたか?」


 メイドさんが不思議そうに僕を見ている。



 僕は、頭の中で彼女が眼鏡を外した顔を想像した。



 ……実を言うと、僕はさっきまで安堵していた。ほっとしていた。僕がずっと探し求めていた人がシャルロット様かもしれないと思って、それが「違う」とわかって、ほっとしていたんだ。

 なぜなら、シャルロット様が僕の求めていた「本物」だったなら、僕はきっと全ての価値観を捨ててしまうだろうと思っていたから。どうしようもなく追い求めながらも、どこか怖かった。

 家族も、婚約者であるスクエラも、自分自身ですらも、なにもかも振り捨ててしまうのではないかと恐れる心がどこかにあった。

 だから、シャルロット様が「違う」とわかってほっとしたのだ。

 それはある種のあきらめだった。

 自分自身すらも焼き焦がすような「なにか」には、僕はもう出会えないのだというあきらめ。

 同時に自分の中の叫びが気にならなくなっていくような気もしていた。これなら、ごく普通のおだやかな日常を、スクエラたちと幸せをかみしめるようにして生きていけるのかもしれないと。


 ……そう、思っていた。

 目の前の少女の素顔をイメージするまでは。



「シャルロット様……?」


 まるで夢の中のような非現実感の中で、僕はそうつぶやいていた。

 実際に見たことはない。

 しかし、僕の心が、脳みそが、全力で「彼女はシャルロット様だ」と叫んでいた。


 僕は感覚がにぶったように感じていたけれど、視覚だけははっきりしていた。だから、僕の言葉を聞いてメイドの少女が一瞬「警戒するように眉をひそめた」のを見逃しはしなかった。


「人違いです」メイドの少女は即座に言った。「私がシャルロット様だなどと。私はシャルロット様のお付きのメイドですよ」

「あ、あ、あ……」


 僕はまるで聞いちゃいなかった。

 確信は僕の中で完結していた。


「あの、大丈夫ですか―――?」

「あぎゃあああああああああああああッ!?」


 僕は館中に響き渡るような声で絶叫し、アワを吹いてそのまま仰向けに倒れた。

 倒れる寸前、脳裏に走馬灯のように凄まじい速度で膨大な記憶が展開されていくのをみた。完成した巨大なパズルが、崩され、ピースがあちこちにばらばらに飛ばされるような。パズルの絵柄を確認する間もなく、崩壊していくような。


 僕の、僕だった誰かの人生が展開され、破棄されていく。

 その終着点に、彼はいた。


『君の死因はメテオです』

『君、【バッドエンドは猫も食わない】をプレイしただろ?』

『その猫がシャルロットだ』

『あーあ、発狂しちゃったか……』

『【ハッピーエンドなら猫でも食べるはず】。君の書いた二次創作小説だ』

『わかっているね?

 君はこれから、シャルロット嬢のいる世界に転生する。

 君が、君の手で、彼女を救うんだ』


『―――彼女を頼んだよ』



 この瞬間、僕の三十八年に渡る長いプロローグが終わった。

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