晩餐会
晩餐会の日がやってきた。
会場は馬車で半日ほど行ったところにある貴族の館だった。僕らは一家総出で馬車に乗りこんだ。
一台の馬車に四、五人ずつ。
父上、母上、長男、次男、三男。
先生、僕、スクエラ、執事。
という組みわけで馬車に乗りこんだ。
僕だけ父上たちの馬車ではないが、これには訳がある。仲間外れにされたわけではない。僕とスクエラがぎくしゃくしているのは父上たちもとっくに気づいていたらしい。これはスクエラと仲直りしろ、という父上や母上からの無言の圧力なのだ。
決して仲間外れにされたわけではない。
しかし、狭い密閉空間に押し込められたからと言って、仲直りできるわけではない。物理的な距離と精神的な距離は比例関係には無いのだ。
一応、僕もスクエラに声をかけようと、仲直りをしようとはしてみた。だが、スクエラは僕を無視すると決めたのか、それとも単純に気に入らない言葉だったのか、彼女は一度も返事をせず、ずっと窓から外を眺めるばかりだった。
先生がスクエラに忠告めいたことを言っても、それにすら反応しなかったのだから、筋金入りである。
結局、僕は馬車の中でスクエラと仲直りするのをあきらめた。当然、そんな車内で楽しく会話などできるはずもない。僕らは、前を進む馬車から漏れ聞こえてくる楽し気な声を聞きながら、仲良く押し黙って地獄のような空気の中で呼吸をし続けたのだった。
***
ようやく目的地にたどり着いて、馬車から下りた時、僕は得も言われぬ解放感を味わった。新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、思い切り伸びをする。全身の筋肉が痛い。おかしなところに力が入っていた証拠だ。
ふと振り返ると、馬車の陰から出てくるスクエラと目があった。ぎろりとにらまれ、ぷいと顔を思い切りそむけられる。
スクエラも伸びをしていたのだろうか。僕に見られないよう、馬車の陰に隠れていたのだとしたら微笑ましいが、そんなことも言っていられないだろう。スクエラの怒りはどんどん増していっている気がする。
早く仲直りしないといけないだろう。
このままでは取り返しがつかなくなってしまうような気がする。
けれど、どうすればいいのだろうか……。
「クリム、中に入るようですよ」
「はい……」
ラグラン先生に呼びかけられて、僕は足を動かした。
スクエラのことも気がかりだが、今日の僕の本命はこっちだ。
シャルロット様に会う。
僕がずっと求めてきた「なにか」は彼女なのか。
それを確かめられるかもしれない。
僕の鼓動は少しずつ大きくなっていった。
***
僕の鼓動は少しずつ大きくなっていった……のだが。
肝心のシャルロット様が、僕には全然みえなかった。
僕たちが会場に入った時点で晩餐会はすでに始まっており、シャルロット様の姿は見えなかった。
姿が見えなかった、というのは「会場にいない」という意味ではない。シャルロット様と話をしたい人が多すぎて、人だかりになり、シャルロット様が見えなかったのである。
「見えませんねえ」
ラグラン先生が背伸びをしている。ただでさえ背が高いのに、そんな真似をするから先生は余計目立っていた。僕はたしなめるように言った。
「先生、はしたないですよ」
「あ。あはは……。失礼。これではどちらが先生かわかりませんね」
「社交でしたら、僕の方が上手のようですね」
僕はワイングラスを傾けながら、先生を横目で見やり、不敵に微笑んだ。ちなみにワイングラスの中身は水だ。
「さすが、貴族の坊ちゃんだ」
「そういえば先生のご出身を聞いたことがなかったですね」
僕は先生と雑談することにした。もちろん、シャルロット様の人だかりを観察しながら。時間つぶしである。
「私は商家の出身です。両親が裕福でして、商売のために勉強させてもらっていたのですが……。ちょっと余計に勉強しすぎて、こんなことに」
「こんなことって……」僕は苦笑した。「まるで僕の教師が不満みたいですね?」
「そんなつもりはないですよ。君の先生をするのは、退屈しません」
先生はワイングラスを傾けて微笑んだ。どうやら僕の真似をしているようだ。もっとも、先生はちゃんとワインを飲んでいる。
「それにしてもぉ、シャルロット様の周りが空く様子はありませんねぇ」
「先生、少し酔ってませんか?」
「……私ぃ、いいワインの方が酔いが回るんです。思ったより、いいワインみたいですねぇ」
「多分、先生が飲んできたどんなワインよりいいやつですよ」
「うぅん……。すみません、ちょっと酔いを覚ましてきます……」
「お気をつけて」
先生は返事もそこそこにふらふらと会場を後にした。
あまりにも退場が早すぎる。
いいワインの方が酔いやすい、という問題ではないような気はするが……。
僕はシャルロット様のあたりに視線を戻した。
しょうがない。僕もこの、どこが始まりともしれない行列に並ぶとしよう。
さあ、貴族としての僕の腕の見せ所だ。
えーと、この辺かな?
「おい、邪魔だ、どけ!」
「えっ」
押し殺した、小さな、低い声が聞こえた。
聞こえたと思ったら、突き飛ばされていた。
僕は尻もちをついた。
押した奴と目があう。
笑っている。
そのとき、僕は彼女と目があった。
人混みのなか。隙間からこちらを見つめている。
冷たい瞳が。
人形のようにきらびやかな衣装を着たお姫様が。
人形のように感情のこもらない瞳で、僕を見ていた。
それはシャルロット様だった。
隙間をぬって合った視線は人の動きですぐにさえぎられてしまった。
一瞬だった。
あまりにもあっさりしていた。
あまりにもあっけなかった。
予想していたような感動や感激は、これっぽっちもなかった。
僕は感動のあまり号泣してむせび泣いてしまうかもしれないとさえ覚悟していたのに……。
なんだか拍子抜けだ。
「おい、貴様、どこを見ている!」
「申し訳ありません」
僕は顔を伏せて立ち上がった。
もう僕がここにやって来た目的は達成した。
もうなにもかもどうでもいい。
この貴族の男の対応が終わったらここから離れよう。
「このわしを、誰だと、思って……?」
彼の声は少し小さくなった。
どうしてだろう、と僕は立ち上がりながら思った。
立ち上がる僕は意外と強そうに見えたのだろうか。
まあ、確かに僕だって毎日、ラグラン先生と剣術の稽古をしているんだ。ちょっとくらいは強く見え―――。
「謝りなさい!」
よく聞き覚えのある、凛とした声が響いた。
ぎょっとした。
胃だか、心臓だかが、ぎゅっと締め付けられたような気分だった。
僕と貴族の男の間に立っていたのは、スクエラだった。