第2話 代理母の「ある契約」
実はルイトが国で保護されて他家への養子縁組みがおこなわれることが決まった際に、ルイトの両親は「邪魔だったから保護してもらえるならありがたい」と迷いなく彼を手放したのだ。
(邪魔だったなんて、そんなひどいこと言っていいはずない!)
フローラはそう思い立ち上がった。
いてもたってもいられなくなり、自分の家で育てる決心を固めたのだ。
「あなたに……あなたたち家族にひどいことをされたルイト様をこのまま見捨てることは、私にはできませんでした。幼い子どもを痛めつけるような方とは、私も一緒にはやっていけません。それでは、ごきげんよう」
ディーターに背を向けて去っていく彼女の長く美しい髪が揺らめく。
彼女はじっと待っていたルイトに声をかける。
「さあ、ルイト様、いきましょうか!」
「フローラとあそべる!?」
「ええ、いーっぱい遊びましょうね!」
悪事を同級生たちの前で暴かれた彼は、呆然として動けない。
この後、彼が冷たい視線を受け続けて生きることになるのは、避けられないだろう。
そして、講堂でこの騒動の一部始終を見ていたある人物は、ふっと笑った。
「フローラ・ハインツェ……君は勇ましい。そんな君に興味が出てきたよ」
彼の胸元には王族紋章が輝いている。
立ち上がった彼は銀色の長髪を靡かせて、講堂を後にした。
一方、フローラたちは楽しそうに学院玄関へと向かっていく。
「私があなたを絶対幸せにしてみせますからね!」
「しあわせ~!」
ルイトの嬉しそうな声が響いた。
それから二人は学院から馬車を使って、彼女の実家であるハインツェ伯爵家の屋敷へと向かうこととなる。
フローラはルイトの育児に専念するべく、休学届をあらかじめ提出していた。
「ねえねえ、これからどこいくのー? おでかけ?」
椅子に座って足をバタバタさせながら、ルイトは無邪気に尋ねた。
幼い彼はまだ自分の状況を理解していない。
それでもフローラはなんとかわかりやすく説明しようとしてみる。
「ううん、これから私の実家に行くんですよ!」
「じっか?」
「ええ、おうちです」
「フローラのおうち! ぼくいきたい!」
さらに笑顔になったルイトは嬉しそうに手をあげた。
(よかった、機嫌も良さそうだし、屋敷まで持ちそうね)
それからもルイトはご機嫌な様子でぴょんぴょんと跳ねて遊ぶ。
馬車の中で危ないとフローラは注意しながらも、内心は安心していた。
しばらくして、ルイトは動く事に疲れたのか、今度は外を眺めている。
その表情はにっこりと嬉しそうで、たまに馬車とすれ違うと指を指してフローラに伝えた。
彼の近くに寄り添ったフローラは尋ねる。
「ルイト様、楽しいですか?」
「うんっ!」
夢中で外を見ていたルイトが、フローラにとびきりの笑顔を見せた。
(可愛い……!)
何もかもが愛らしく、フローラの心は温かくなる。
そんな愛情が溢れ出した彼女は、思わずルイトの頬をふにふに触ってしまう。
「もうっ! ふにふにしないで~」
「すみません、可愛くてつい……」
フローラからの真っすぐの愛情に、ルイトはなんだか恥ずかしそうにする。
先程までのはしゃぎっぷりとは反対に、口を尖らせて呟く。
「ぼく、かわいいの?」
その声は耳を澄まさないと聞き逃してしまうほどだった。
フローラはきちんとそれを受け取って返事する。
「ええ、とっても可愛いですよ!」
「このクマちゃんよりも?」
ルイトがいうクマちゃんとは、彼のお気に入りのぬいぐるみだ。
フローラと遊ぶ時も何度か一緒に連れてきては、大切そうに抱えていた。
そんなクマちゃんは今日も彼と共にいる。
クマちゃんを抱きしめた彼は、つぶらな瞳でフローラに問いかけた。
フローラはそんな彼が大事にしているクマちゃんとルイト両方を撫でて言う。
「はい! クマちゃんも可愛いですが、ルイト様も可愛いです!」
「えへへ~! フローラもかわいいよ~」
あどけない表情を見せながら、ルイトはフローラに告げた。
素直で真っすぐなその言葉に、彼女の心はぎゅっと掴まれて苦しい。
しかし、それはとても嬉しい苦しさだ。
(な、なんて嬉しいお言葉なんでしょう……!)
四歳児の無邪気な殺し文句は、フローラの胸を打つ。
ルイトの愛に応えるように、彼女はルイトを抱きしめる。
「フローラのぎゅー、すき~!」
「私もルイト様が大好きです!」
二人を乗せた馬車は、徐々に屋敷へと近づいていった。
ハインツェ伯爵邸に着いた頃には、すでにルイトはすやすやと眠っていた。
フローラはそんな彼を起こさないよう、慎重に抱きかかえて屋敷へ入る。
「フローラ、おかえりなさい!」
「お母様、ただいま戻りました」
フローラを出迎えたのは彼女の母親のエミリであった。
事前にルイトについての仔細は手紙で伝えており、家族も了承済みである。
エミリの隣には侍女アデリナもいた。
エミリは娘の腕の中で眠るルイトを眺める。
「抱っこしていいかしら?」
「ええ、もちろんです。お母様」
エミリはルイトを抱きかかえると、愛おしそうに彼の髪を撫でる。
その表情は母親のそれそのものだった。
「すーすー」
疲れも溜まっていたのか、ルイトはすっかりと寝入ってしまっている。
ルイトの愛らしい寝顔に、エミリは「まあ、可愛いこと」と嬉しそう。
穏やかな時が流れる中、フローラはエミリに尋ねる。
「お母様、私のお部屋ってそのまま?」
「ええ、少し掃除した程度よ。それから、一緒に寝たいって手紙に書いてたから、ルイトくんの分のベッドも横に並べているわ」
「お母様、ありがとう」
「ふふ、実際ベッドを動かすのに人手が足りなかったから、お父様がやってくださったのよ」
「お父様が!?」
「今日はお仕事で戻られないみたいだけど、帰ったらお礼を言ってあげて」
「ええ、そうします」
それから部屋へ向かったフローラとルイトは、そのまま夜中まで眠ってしまった。
夜中、フローラは水を取りに行こうとベッドから出たその時、誰かに服を掴まれていることに気づく。
振り返ると、ルイトの手が掴んでいた。
「フローラ、いかないで……」
彼女がどこかに行ってしまうのではないか。
そんな不安と眠さの狭間で、彼は闘っていた。
ルイトの気持ちを汲み取った彼女は、小さなその手を優しく握って囁く。
「私はどこにもいきませんよ。ずっとあなたの傍にいます。ずっと……」
フローラの言葉を聞いて安心したのか、ルイトの瞼はゆっくりと閉じていく。
そして、再び静かな寝息を立て始めた。
(ルイト様……)
この時期はまだ夜は肌寒い。
風邪を引かないようにとフローラはルイトに布団をかけ直した。
彼を起こさないように立ち上がると、月が彼女の目に入る。
(とても綺麗ね……)
満月は二人の新しい生活を見守るように煌々としていた。
(ルイト様、私があなたの母となります。あなたを傷つけるものから、あなたを守りましょう。願わくば……いえ、私が隣にいられるのは、一年だけです。そういう契約ですから……)
彼女の視線は机にある『貴族の縁組み許可書』へと落とされた。
フローラとルイトを繋ぎとめるもの。
そこには国王の署名つきでフローラをルイトの代理母として認める内容が書かれていた。
だが、その最後にはこう記されている。
『但し、フローラ・ハインツェが母となるのは本日より一年とする』
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