第15話 『やる時は徹底的に』が信念ですから
まだ寝ぼけているフローラに甘い言葉がかけられた。
(ん……だれ……?)
ぼんやりした視界はだんだんはっきりとしてきた。
ようやく目の前にいるのがヴィルだと気づくと、びっくりして声をあげる。
「ヴィル様っ!」
どうして彼がここにいるのか。
そう必死に考えて、昨夜のことを思い出す。
(そうだ、昨日一緒に眠って……)
そこまで考えが及んだ時、ふとフローラは不安に駆られて自分の服装を確認した。
(服、着てる……よかった……いえ、これで「何もなかった」と決めつけるのはまだ早い。ヴィル様に確認して……)
一連の動作から彼女の脳内を推察したヴィルは、フローラの頬をぷにっとつまんで言う。
「何もしてないよ」
「え……?」
思考が読まれたことに彼女は驚く。
そんなフローラにヴィルは続けて事実を告げる。
「大丈夫、君が眠ったのを見届けた後、僕は自分の部屋で寝たから」
その言葉を聞いてフローラは首を傾げた。
(え、でも講師と生徒は一緒に生活を共にするって……)
すると、ヴィルはくすりと笑いながら言う。
「あ、講師と生徒は生活を共にするって言ってたのに、なんでって顔してる。ごめんね、あれ嘘」
「えっ!」
「いや~まさか信じると思わないからさ」
「あ、あんまりです! ヴィル様!」
フローラは騙された、とばかりに肩を落とした。
「でも……」
真剣な表情になったヴィルは、ベッドに彼女を押し倒した。
「僕は一向に構わなかったんだけどね。君と一晩を共にしても……」
「ヴィル様……」
彼の声はとんでもなく甘かった。
ヴィルの唇が彼女に近づいたその時、突然扉が開いた。
「殿下、頼まれていた参考書をお持ち……」
三人の視線が交錯する。
ヴィルに参考書を届けにきたのは、彼の側近であるフロレンツだった。
あ、この状況はやばい。
そう思ったヴィルだったが、もうすでに時遅し──。
フロレンツは無言のままベッドに向かうと、ヴィルの頭を参考書で殴った。
「いってぇ!」
「やはりあなたにお任せした私がバカでした」
冷たい声で言い放った後、フロレンツはヴィルの腕を思いっきり引いた。
そうしてようやくフローラは解放される。
「フローラ様、お怪我はございませんか?」
「え、ええ……」
ヴィルは叩かれた頭をすりすりと撫でると、フロレンツに抗議する。
「事情も聴かずに参考書で殴るのはひどいだろっ!」
「いいえ、淑女にあんな振る舞いをする男に、それもこの国の王子ともあろうお方がしていて、止めないわけがないでしょう」
「止め方ってものがあるでしょ! もっとマイルドな感じでさ!」
「あなたに生半可なことは通用しませんからね。ほら、ご自身も『やる時は徹底的に』と仰ってるではありませんか」
「それとこれとは別!」
突如勃発した言い争い。
友人同士の口喧嘩のようだが、フローラの目の前でおこなわれているのは「主従関係」を持つ二人の男のやり取り。
第一王子とその従者の会話には到底聞こえない。
しかし、フローラは首を傾げながらもとてもいいように解釈した。
(なんとも仲の良い感じ……?)
フローラはそう認識した。
しかし、それを間違っていると否定したのはヴィルであった。
「フローラ、こいつを見習ったらダメだからね。僕には穏やかに接して……」
「いいえ、フローラ様。もし次にこのようなことがあれば、ご遠慮なさらず殴って蹴って身の安全を確保ください」
ヴィルの言葉に被せるようにフロレンツは忠告する。
このままでは分が悪いと思ったヴィルは、フロレンツに告げる。
「もうっ! わかった、もうしないから参考書置いて執務に戻って!」
ヴィルの懇願の声が響き渡ったのだった──。
資格講座二日目も、みっちり座学がおこなわれた。
「四歳くらいになると、いろんな言葉を話すようになる。しかし、反抗的なこと、嫌なことを主張したりすることも増えるから、わがままに振り回されないようにすること」
(なるほど……わがまま……)
ヴィルの言葉に耳を傾けてメモをする。
それと同時にフローラはルイトのことを思い浮かべた。
(確かに、自分の思い通りにならないとすねちゃうこともあるな……)
まだ遊びたいとごねたり、危ないと注意されても高いところに登ろうとしたり……。
そんな彼の光景を思い出した。
(ここはちゃんと覚えておいて、と……)
文字の部分を強調するように、丸で囲む。
「また、基礎的な知識としてここでは教えているが、あくまで平均的なものだ。子ども一人一人に個人差があるから、それは理解しておくこと」
「はい、かしこまりました」
「では、ランチが終わったら、今日は実習にしよう」
(実習……)
フローラは緊張した面持ちになる。
「大丈夫、そんな難しくないから」
ヴィルはそう言って笑った。
ランチを終えたフローラは、ヴィルの案内のもと教会に来ていた。
そこは王宮近くにある小さな教会で、フローラがいくのは初めてである。
「教会、ですか?」
「ああ、そこで実はシスターたちが五人の元孤児の子どもの面倒を見ている。この子どもたち自身から彼ら一人一人の名前を聞くのが、今日の実習の課題だ」
「名前をですか? 子どもたちに直接聞いてもいいのですか?」
「ああ、構わない。ちなみに、課題の制限時間は一時間とする。時間内で全員の子どもの名前を答えられなければ、資格試験をするまでもなく失格とする」
「え……」
厳しい内容を聞き、フローラの顔はこわばる。
(でも、名前を聞くだけなのよね? それなら、大丈夫?)
課題が言い渡された頃、教会の中からシスター長と五人の子どもが出てきた。
「シスター長、悪いね。今日は」
「とんでもございません、殿下」
シスター長の隣には、三人の女の子と二人の男の子がいた。
「さあ、夕方の鐘までが時間だ。いいね。では、始め!」
「はいっ!」
早速フローラは子どもたちのもとへ行ってしゃがんだ。
(子どもと接する時は、目線を合わせて……)
ヴィルから教わったことを忠実に実行して、子どもに警戒心を持たれないようにする。
普段から教会に来る人々と接している子どもたちは、特にフローラを怖がることはなかった。
子どもたちの様子を気にしながら、フローラは名前を聞いてみる。
「あの、あなたの名前を聞いてもいい?」
「うんっ! リアだよ」
「ありがとう!」
一人目の子どもの名前を聞く。
意外にもすんなりと聞けたことで、フローラは自信を持ち、次々に名前を尋ねていく。
そうしてあっという間に四人の名前を知った。
(リア、キース、アリス、シャロン、四人まで聞けた。よし、最後の子)
少し離れたところにいる赤茶色の髪の男の子に、フローラは名前を尋ねてみる。
「こんにちは。あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
すると、男の子は振り返って睨みながら言う。
「誰が教えるか、バーカ!」
「え……」
男の子は舌を出してフローラに悪態をつくと、川の方に走ってしまった。




