第11話 ある一つの決断
王宮では、ヴィルが執務をおこなっていた。
フローラの監視官ではあるものの、彼も一国の王子である。
特に来週に控えた他国との会談に向けての準備に忙しくしていた。
ヴィルは書類に目を通しながら側近であるフロレンツと話す。
「この会談のミッションは、貿易ルートを我が国有利で協定を結ぶこと。それ以外に方法はない」
「ですが、殿下。その条件に他国がのるでしょうか?」
彼はそう尋ねる。
ヴィルは書類を置くと椅子の体を深く預けて言う。
「そうだな。のらないだろう」
「では……」
「のらないと知って、父上はこの無理難題を僕に押しつけてきた」
フロレンツはヴィルの言葉の真意を図ろうとしている。
国王はなぜそんなことをしたのだろうか。
そう思った彼はヴィルに尋ねる。
「では、陛下はなぜ……」
その言葉に対し、ヴィルは素早く返答する。
「ゲームだ」
「ゲーム?」
「ああ、父上は僕にゲームをしかけている。チェスでチェックをかけられてから、お前はどう動く、どう次の一手を考えるか。それをいつも問いかけてくる」
フロレンツの顔は険しくなる。
そんな彼とは裏腹に、ヴィルは自身の唇を細い指でなぞり笑った。
「だからおもしろい」
フロレンツは訝し気な顔をした。
そんな彼とは対照的に、ヴィルは嬉しそうに言葉を続ける。
「圧倒的勝利なんておもしろくないだろう? さあ、どうやって攻め落とすか、考えようではないか」
ヴィルは不敵な笑みを浮かべた後、チェスの駒を投げる。
駒は宙を舞い、ヴィルの手の中に収まった。
その瞬間、一人の従者がフロレンツに耳打ちする。
従者から内容を預かった彼は、ヴィルにそれを伝える。
「殿下、フローラ様が殿下にお会いしたいといらっしゃっているそうで」
「フローラが? 通していいよ。それと僕と二人だけにしてほしい」
「殿下、それは!」
声をあげたフロレンツに向け、ヴィルは笑みを見せる。
「僕は大丈夫だから」
フローラが何か自分に危険なことをするはずない。
彼女と接したことのある彼はそう言う。
しかし、フロレンツの心配はそこではなかった。
「そうではありません。フローラ様が心配なのです!」
「へ?」
あまりにも素っ頓狂な声が響いた。
しかし、フロレンツは言葉を続ける。
「当たり前でしょう! 密室で若い女性と二人。殿下が何をするかわかったものではありません」
「僕をなんだと思ってるの! てか、さすがに僕も僕に好意を持ってない人とあれこれするつもりは……」
「そのあれこれで悩まされたのは、どこの誰だと思っているんですか!」
今までかけられた厄介事を思い出しながら、フロレンツは言う。
その表情は怒りと呆れが混じったもの。
それでも彼は「第一王子」である彼の意向を受けて、部屋を後にしようとした。
そうしてドアノブに手をかけると、ヴィルに念押しする。
「くれぐれも、何もないように、お願いしますよ!」
「わかってるって」
「それでは、私は別案件の処理に先に向かっておりますので」
そう言って彼は去った。
「たくっ! 僕の扱いが雑なんだから」
その場から去った彼への文句を口にした。
やがて、フロレンツが部屋を去ってから数分後、ドアがノックされる。
「失礼します」
従者と共に現れたのはフローラだった。
その表情はひどく暗い。
「どうしたんだい、フローラ」
彼の問いかけに返答もせずドアの傍で立ち尽くしている彼女に、ヴィルは歩み寄っていく。
俯く彼女に彼は声をかけてみる。
「どうしたの?」
ヴィルがもう一度尋ねると、ようやくフローラは口を開く。
「殿下」
その声はあまりにも小さい。
ヴィルはその言葉にあえて明るく返してみる。
「殿下じゃなくてヴィルって呼んでって言ったじゃない」
すると、彼女は何も言わず彼に手紙を差し出した。
それを受け取ったヴィルは尋ねる。
「これは?」
ヴィルは何か嫌な予感がした。
目の前にいる彼女のあまりにも暗い表情とこの手紙。
彼の中で国王へ「手紙」でルイトの代理母を嘆願した彼女のことを思い出す。
そして、彼の予感は当たった。
「代理母の辞任表です」
フローラはそう口にした。
彼女の意思を受けたヴィルは、鋭い視線で彼女に尋ねる。
「どうして?」
「私にはやはり、母親は務まりませんでした。私では、彼を……ルイト様を守ることはできません……」
「それが、この数日育児をした結果、ということ?」
「はい」
フローラは完全に自信を無くしていた。
申し訳ない、彼を守れないという気持ちから、彼の目を見ることができない。
フローラが黙ったままでいると、ヴィルが告げる。
「そうか。君が決めたのなら僕は止めない。ルイトはどこにいる?」
「我が屋敷にいらっしゃいます」
「では、迎えを手配しよう」
「ありがとうございます。要件は以上でございます。お忙しい中お時間割いていただき、ありがとうございました」
深々とお辞儀をしたフローラは、早々に執務室を後にした。
ヴィルは椅子に戻ると、じっと考え込む。
しばらくしてヴィルは立ち上がり、窓の外を眺める。
その視線の先には王宮から去るフローラの姿があった。
その背中をじっと見つめると、彼は急いである場所へと向かった。