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「心象風景」探訪記

作者: 山谷麻也

 ◆旅立ち

 三四半世紀近くに及ぶ人生の中で、最も長く住んだのは、埼玉県のI市である。四二歳から六五歳まで、住居を構えた。

 次いで長かったのが、生地・四国のS村である。中学卒業までいた。


 ただし、埼玉県から都内に通勤し、いわゆる「埼玉都民」の期間が相当あった。思い返せば、人生の激動期に当たった。その意味では、私にとって東京、なかでもオフィスのあった池袋は「第二の故郷」と思っている。


 ◆耕して天に

 S村には現在、三軒に六人が住む。かつては二一軒あった。おそらく人口は一〇〇人を優に超えていただろう。

 私の生家は村の最奥部に建てられていた。

 明治も末期、祖父が荒れた山地に石垣を築いて、なんとか宅地らしきものを造成した。

 まず家の周囲を、次に山林に分け入って、田畑を開墾した。灌漑(かんがい)が可能なら棚田(たなだ)を、水利が悪ければ傾斜畑を拓き、文字通り「耕して天に」至った。


 大家族だった。肝心の収穫量は十分でなかった。いきおい、猫の額ほどの土地でもあれば、くわを入れた。我が国の寒村の例に漏れず、口にこそ出さなかったが、辛酸(しんさん)()めたに違いない。


 ◆遠距離通勤

 山育ちの私は体力には自信があり、健康自慢だった。

 異変は四〇歳の夏に起きた。左右が見えにくい。眼科を受診すると、難病であることを告げられた。


 五〇を目前にして専門学校に入り、鍼灸師の資格を取って転職した。東日本大震災の災害ボランティアに参加したことがきっかけで「過疎地の医療に貢献したい」と思い立った。

 やはり故郷を忘れることが、できなかったのである。


 Uターンは簡単ではなかった。四年間、毎週、埼玉と四国を往復した。

 夜行バスによる移動という強行軍が(たた)ってか、目の症状が進んだ。弱視から、医者の言った「失明」が現実のものとなってきた。

 やむに()まれず、盲導犬ユーザーとなった。


 ◆陸の孤島

 生まれ育った家屋敷に、もう一度行ってみるのが、長年の夢だった。

 生家近くの旧市街地に新居を建てた。生活も落ち着いてきたある日、妻の運転でS村に向かった。

 現地に近づくと、妻が言った。

「ここから先は、無理よ」


 行く手は、祖父の入植以前の姿に戻っていたのである。

 村を離れる時、将来の資産価値を見越して、家の周囲に杉を植えるのが習わしになっていた。このため、村のほとんどは鬱蒼(うっそう)とした杉林で覆われている。道は崩れ、廃屋はもう人を寄せ付けていなかった。 


 ◆頼みの綱

(私にはまだ、第二の故郷がある)

 希望がひとつ残っていた。

(盲導犬と、人世(じんせい)横丁を再訪するんだ)

 と、密かに考えていた。


 横丁は、渋谷・新宿と並ぶ三大副都心のひとつ・池袋にある。結論を先に言うと、あった。

 故・青江三奈の大ヒット曲『池袋の夜』で全国に知られた飲み屋街だ。

 仕事の帰り、毎日のように、立ち寄った。目の病気が分かった時、行きつけの店のママが親身になって、話を聴いてくれた。仲間もよく案内した。


 転職・Uターンで忙殺され、すっかりご無沙汰(ぶさた)していた。この間も、人世横丁を忘れたことはなかった。

 ところが、最近、ショッキングなことが分かった。()うの昔、二〇〇八年秋、再開発事業により、横丁の灯が消えていたのである。

 池袋時代のことを書いていて、調べたいことがあったのでネットで検索した。なんと、横丁に関する記述は過去形になっていた。


 ◆戦後日本とともに

 昭和の写真集から切り抜いたような街だった。

 池袋ターミナルから歩いて五、六分。狭い一角に四〇軒ほどの赤ちょうちんが軒を連ねていた。大半の店が間口わずか一間(いっけん)、五、六人も入れば満席になる。二階はたいていママの住まいになっていた。


 戦後の闇市を起源とし、日本の復興も繁栄も、そして停滞も見続けてきた。

 入り口に「人世横丁」と大書(たいしょ)されていた。少し傾斜の掛かった広場があり、コンクリート舗装がえも言われぬ風情を添えていた。


「人生」ではない。横丁開業時に中心になった天ぷら屋の店主が「人の世にはいつも横丁がある」と考えたことによる。なんという慧眼(けいがん)の持ち主だろう。


 私が大事にしてきた二枚の心象風景。一枚は大自然に(かえ)り、もう一枚は開発の荒波に吞まれてしまった。

 とどまることのない過疎化と都市化――。日本は、かけがえのないものを失っているような気がする。


 

 補記:筆者の少年期は拙書『村の少年探偵・隆』『疱瘡小屋』『和製ピンクパンサー』に、池袋時代は『横丁暮色』に詳述(ともにAmazon ペーパーバック・電子書籍)

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