55 迷案
弘治二年(1556) 十月十日
尾張国愛知郡 中中村 木下屋敷 広間
木下家に古田家、青木家が出仕するようになって幾日か経ったある日、織田家から新たな家臣が二人派遣されてきた。
「以前軍議でお見かけしましたが、言葉を交わしたことはありませんでしたな。某は桑山彦次郎重勝と申します。 殿の命で木下家の与力と相成りました、どうぞお引き立てのほどよろしく願います」
「某は道三入道が末子、斎藤新五利治と申します! 木下家中には某と同じ年嵩の武辺者が多くいるとお聞きしました。 その者らと共に技を磨くようにと殿に命じられ、ここに来た次第であります!」
そう言って重勝と利治は俺の目の前に平伏した。
信長からの返事がなかった為、与力は貰えないものだと高を括っていたが、まさか二人も来るとは…
しかもうちの弱点である中堅枠に桑山重勝は願ってもない人材だ。
彼なら内政は勿論、部隊の指揮も任せることができる。
桑山重勝 後世では桑山重晴で通っているが、重勝の名を長く使っていたようで重勝と読む花押が多く残っているらしい。
丹羽家の与力として主に奉行職で活躍をしていたが、長浜時代の秀吉にも仕えていた記録が残っている。
前述の通り、奉行としての功績が大きい重勝だが、紀州征伐では自ら敵の首級を上げるなどの手柄を立てているため、内政一辺倒の人物ではないことが分かる。
ちなみに重勝も千利休に茶を学んだ茶人である。
そして若手枠で斎藤利治が来るのは予想していなかった。
斎藤利治は斎藤道三の末子で、信長、信忠親子に側近(馬廻り)として仕えた武将だ。
長良川の敗戦後、信長に国譲状を渡したところから歴史の表舞台に登場し、以後織田家臣として活躍する。
濃姫の弟であることから一門並の信頼を受け、側近として数々の功を立てていった。
特に越中で起きた月岡野の戦いでは、河田長親率いる上杉軍を打ち破り信長包囲網の崩壊に一役買っている。
しかし信忠付きの重臣として二条御所に滞在中本能寺の変が勃発、奮戦するが同族であり義兄の斎藤利三に討ち取られ、その生涯に幕を閉じた。
「貴殿らが当家に来てくれたことを嬉しく思う。 成り上がりの木下家に仕えることに思う事はあるかも知れんが、貴殿らの寄親として恥ずべき事の無いよう努めていく所存だ。 しかし我らは同じ織田家臣、思うことがあれば気兼ねなく俺に伝えてほしい。 そして二人の役割についてだが、彦次郎殿は平時には内政官を、そして戦になれば一隊を率いてもらう事になる。 内政については小一郎に、戦については兵庫に聞いてくれ。 新五殿は俺や兵庫たちの下で槍を振るってもらう事になる。平時は領内の巡察や修練等に励んでほしい、詳しいことは清右衛門に聞いてくれ」
「「はっ!」」
俺の言葉に二人は力強く応えた。
自らの家柄に誇りを持っている者からしたら、木下家のように素性が確かでない家に仕えるのを不服とする者もいるかもしれないが、二人の目を見る限りはそのような気持ちはなさそうだった。
信長からの返事がなかったのも、差別しない人材を選定するためだったのだろうか?
住居などを用意するなど、こちらにも準備があるのだから前触れなく人材を送り付けるのは、正直やめてほしい…
しかし、人がいなかった木下家も多数の家臣を抱える事となった。
二千貫は織田家中でも中堅所の身代となるので、戦が起きればそれなりの兵数を出さなければならないだろう。
「少しずつ常備兵も増やさねばならんな」
俺はそう呟きながら、足軽の調練を見に行くのだった。
弘治二年(1556) 十月末日
尾張国春日井郡 清州城 信長私室
新しい家臣を迎え賑やかになった家中も落ち着きを見せつつあった頃、信長から呼び出しが掛かった。
しかし供を連れず内密に来るようにとあり、書状でなく直接信長に耳打ちをされたことに少々引っ掛かりを覚えた。
俺は耳打ちの際の声が暫く頭から離れず、悶々としながら登城するのであった。
登城すると信長の私室に招かれ、そういう感じか!?と脳内に桃色の妄想が膨らんだが、戸を開けるとその妄想は吹き飛んだ。
そこにはバツが悪そうな顔をする信長と、どうみても怒っているようにしか見えない濃姫がいたのだから…
「わるぅな藤吉郎、儂孕んだわ」
てへっと言わんばかりに信長は悪戯っぽく舌を出した。
俺は思わずその場に倒れ伏した。
「一体お二人はどうなさる御積もりですか!? 殿は戦に出る身なのですよ!? 孕んでおっては戦に出られませぬ!! それだけではありません!!! 殿が女子なのは秘匿中の秘匿!! 今は目立たぬ故良いかもしれませぬが、腹が大きくなっては家臣の前にも出られませぬ!!!」
般若をも想起させる濃姫の剣幕を前に、俺も信長も何も言えず正座をしていた。
まさか信長と俺の間に子が… 予想外の事が起きすぎていて俺の脳内はショート寸前だ…
「か、影武者を用意するなどとは…」
「勝三郎のように何の変哲もない顔なら兎も角、こんな見目麗しい方の変わりがどこにいるのですか!?」
俺がおずおずと言ったこともバッサリと切り捨てられた。
そして唐突な流れ弾が恒興を襲った。
今ここには居ないが、どこかでくしゃみをしているかもしれない…
「三十郎はどうじゃ? 奴は兄弟の中で一番儂に似とるぞ?」
「三十郎はまだ元服前ではありませぬか!」
「むぅ… なるべく家臣の前では座るなどし、腹が目立たぬ恰好をするしかないのう。 儂ならけったいな服装でも流されるじゃろうしな。 戦についてはしゃ~ないの、家中も戦の後に纏まりを見せておるし、伊勢守家は家中で揉め事が起きているようじゃから、暫く戦はないとみてよいじゃろ」
信長はそうあっけらかんと言い放った。
確かに次の戦は二年後の浮野の戦いになるので、若干の猶予はある。
「それにこの事も悪いことばかりではない。 どの道世継ぎの問題があったんじゃ、これはまたとない好機ととらえることも出来るぞ?」
信長は愛おしそうに腹を撫でながら、そう話した。
「ですが産まれた子の出自はどうするので? 殿には側室は居りませぬし、妾の子とするにも妾は今孕んでおりませぬ故無理があります。 出自が不確かな子は御家騒動の元ですよ?」
しかし濃姫の追求が止まることはなかった。
確かにその問題はある。
どこかから側室を貰うのは信長の性別がバレるリスクがあるので出来ない。
かといって行きずりの女に産ませたなどと言っては、そんな子に家督は継がせられないと言うのが尤もだ。
あの時は完全に舞い上がっていたから、孕んだ時の危険性など頭から抜け落ちていた…
いや中で果てるのは流石に拙いと思っていたのだが、あんな顔をされたら… いやこの話はよそう…
「お主が養子にするか? 父親じゃし」
「嫁も居らぬのに養子ですか… 某は構いませぬが、家中がなんというか…」
「…気は進みませぬが僧籍になど」
「嫌じゃ!!! 儂はこの子を離しとうない!!!」
濃姫が言った意見は信長が大反対した。
産まれてすぐ離れ離れは辛いものがあるだろう…
「ではどうするので!?」
濃姫にそう詰められた信長は天を仰いだと思ったら、濃姫に視線を移して手を叩いた。
「そうじゃお濃を孕ませればええんじゃ」
「「はっ!?」」
こいつ今なんて言った?
とんでもない発言に俺と濃姫は二人で思わず呆け顔を晒した。
「孕ませると言っても、真ではないぞ? 腹に詰め物でもして孕んだように思わせるんじゃ。 儂が孕んでから一月じゃ、子が産まれるまで十月十日と言うても、産まれが一月ずれ込むこともあろう」
信長なら本当に濃姫を孕ませかねないと思ったが良かった...
「確かにそれは名案ですな...」
「妾も普段は人前に出ることは少ない故、露見する可能性は低うございますな」
確かに信長の性別よりも隠し通すのは容易だろう。
問題は信長がちゃんと大人しくしてるかだ...
「じゃろ? ではお濃は懐妊したという触れ込みを出すぞ。 儂は腹が目立ってきたら、目立たぬよう立ち回ろう」
「身重なのですから、これまでのような無茶はくれぐれもなさらぬようお願い申し上げます」
「わーとるわい」
濃姫の忠告に信長はそう言って口を尖らせた。
俺は信長の腹に目をやった。
今は目立たないが、そこには俺と信長の子が宿っている。
俺が父親ということは表には出ないが、俺の子である事は確かだ。
この子に恥じることないよう、これからも務めねばならないと、覚悟を新たにするのだった。
祝!信子様ご懐妊(周りは戦々恐々)
家臣が増えてきたので、近いうちに家臣団編成を投稿しようかなぁと思っています!




