54 登用
弘治二年(1556) 九月末日
尾張国愛知郡 中中村 木下屋敷 広間
「人が足りん」
俺が家督を継いでから、月に二度行っている評定で俺はそう言葉を放った。
家臣の中でもそう思っていた者が多かったようで、目を伏せる者や頷く者がいた。
「先の戦で大秋城一帯が我々の領地と相成りました。 しかし統治へ回すだけの人員がおらぬのは困りものですな…」
家臣を代表して盛正が答えた。
何度も繰り返したが、木下家の弱点は譜代家臣が居ないことだ。
しかし、まさかこんなにも早く家臣が足りなくなるとは思っていなかった。
俺の考えでは、領地の加増は早くて桶狭間の戦い後か美濃攻め中、墨俣一夜城の辺りだと思っていたので大幅に早まった形になる。
槍修行で美濃勢と誼を通じたのも、美濃攻め中に調略を掛けやすくするためだ。
特に竹中半兵衛は美濃攻めでは大きな壁となるので、早めに調略したいとは思っていた。
しかし今は義龍が健在で美濃勢の調略は困難だろう。
掛けるならせめて義龍が死に、龍興に代替わりしてからではないと…
そういう訳で俺が過去に声をかけた者の登用は極めて難しいと言える。
しかし先の戦で俺は家族や家臣に『何も一人で抱え込む必要はないと』気付かされた。
俺が手詰まりなら、皆を頼れば良いのだ。
「兵庫の申す通り、人員の確保は急務である。 縁故や身分も問わん、しかし信用に値する者を知る者はおらんか?」
俺は広間にいるすべての者にそう問いかけた。
俺の問いに皆が一斉に考え出した。
流石に急すぎるので今この場で答えが聞けるとは思っていない、そう俺が思っていると母がおずおずと手を挙げた。
「おらの妹が美濃の武家に嫁いだはずだったかのぅ… 今でも文のやり取りは続いとるで聞いてみてもええか?」
仲の血族で美濃の武家… 恐らく青木一矩の青木家か?
母は木下家の救世主かもしれん、福島家、加藤家、青木家、関兼貞と母の伝で木下家が大きくなっている…
「おかぁは一体妹が何人居るんじゃ?」
「わし入れて四人じゃ。 末の妹は小一郎や甚左衛門と同年じゃがな」
確か秀政の正妻である栄松院は母の妹だったな。
昔調べた際に秀政と叔母だと年齢が離れているのではと思っていたが、同年だったのか良かったな秀政
まあ夫婦となるのはもう少し先だと思うが…
そう考えていると盛正も手を挙げて話し始めた。
「美濃出身でよろしければ某にも心当たりがございます。 元土岐家家臣の勘阿弥と申す者であります。 同朋衆として義兄上の傍仕えをしておりましたが斎藤家に仕えるを良しとせず、某と同じく野に下った者ですが今でも親交があり申す。 確か今は親族の居城に家族と共に居るとか… 武は人並みですが、芸事や茶の湯には明るい出来者であります」
勘阿弥? 名前に心当たりはないが、同朋衆というのは良い人材だ。
茶の湯などそういった方面に詳しい者は家には居らんからな。
「おかぁ、兵庫 その者らに文を出すなら禄は弾むと書くが良い。 土地は持て余すほどあるのでな」
そう言うと広間からは笑い声が聞こえた。 全く贅沢な悩みだ。
「心得ましてございます」
その後も城の増築の状況を確認するなどして、評定を終えた。
急だったにも関わらず、心当たりがある者が二人もいるとはな… もしかすると以前から考えていたのかもれん。
だが、その者らが空振りに終わるかもしれん、念のため俺からも殿に与力を願ってみるとするか…
俺は自室に戻ると殿に向けて文を認めるのだった。
弘治二年(1556) 十月五日
尾張国愛知郡 中中村 木下屋敷 広間
母と盛正が文を送ってから数日経つと、それぞれから返書があった。
盛正が送った観阿弥からは、是非家臣にして頂きたい故、一家を纏めてすぐに向かうと書いてあった。
今は親族の城に居候している身らしいが、些か腰が軽すぎて驚いた。
一方母が送った青木家からは、一度話を聞きたいと言う返書だった。
こちらはその地に根付いた土豪という事もあってか、慎重さが感じられる。
偶然にも今日、勘阿弥と青木家の名代が到着したのでこれから広間で対面することになる。
青木家はさておき勘阿弥とはいったい誰なのだろうか?
俺は胸中に期待と不安を抱きつつ広間の戸を開いた。
広間に入ると二人の男と、近習と思われる一人の少年が平伏していた。
俺は広間に入ると、脇息に肘を置いて話し始めた。
「木下家当主木下藤吉郎秀吉と申す。 ご両名共美濃から良くお越しなさった。 しかしそう平伏されていてはこちらも話しにくぅて敵わん故、面を上げ各々名乗ってほしい」
「はっ! 某は古田主膳正重定と申します。 以前土岐家に同朋衆として仕えていた頃は剃髪し、勘阿弥と名乗っておりましたが、この度木下殿の所へお仕えするにあたって還俗して参りました。 後ろの者は某の嫡男で左介と申します。 元服はしておりませぬが槍の腕は既に某を越えております故、どうか近習としてお引き立て頂けると幸いにございます」
おいおい、まさかの古田家かよ!!!! え!?わざわざ還俗してきたの?
まさか後ろの左介ってあの古田織部か!? まさか織部が家に来るとは…
てかこいつ一息で色々言いすぎだろ!? 情報を整理するのが大変だわ!!!
古田主膳正重定
元は美濃の国人で、土岐氏に仕えた後に美濃制圧後の織田家に帰順。
信長が本能寺の変で倒れると秀吉に仕えたと少ないながらも記録が残っている。
武士として取り立てられたらしいが、従軍した記録などは見つからず何をしていたかは不明だが、息子に茶の湯の手ほどきをしていたのは確かだろう。
どうやら秀吉に並々ならぬ忠誠心を抱いていたようで、秀吉が伏見城で亡くなると殉死したそうだ。
ちなみに主が病死や自然死した場合の殉死は、重定のものが最も古いらしいというから驚きだ。
そして息子の古田織部助重然 こちらがビックネームだ。
後世では茶人としての名が広まっているが、三英傑に仕えて武功も挙げているれっきとした武将である。
しかし挙げた武功より茶の湯においての名が高い。
利休七哲の一人に数えられる茶の名人であることを始め、茶道織部流、柳営茶道の祖であることや、徳川秀忠の茶の湯の指南役をする、そして茶器や建築などに幅広い分野で織部好みという流行を作るなど枚挙に暇がない。
有岡城で荒木村重が謀反を起こした際に、義兄である中川清秀を織田方に引き戻したり、禄高は少ないものの播磨攻め、甲州征伐等に武将として参陣していることを思うと、茶の湯一辺倒ではないことは伺い知れるのだが、如何せん茶の湯の功績が大きすぎる武将だ。
「還俗して参ったのか! 一体何が其方をそこまで駆り立てたのだ…」
俺は重定の覚悟の決まりように驚き、思わず言葉を零した。
「実は土岐家を辞して以来、仕えるべき主を失った今何をしたら良いか分からず、兄である古田吉左衛門の所で茶の湯に没頭しておりました。 同じく土岐家を辞した兵庫殿とは文のやり取りがあり申したが、そこで貴殿の事を知ったのです。 半ば世捨て人のようになっていた自分を家臣にするだけでなく、剰え家老にまで取り立てて頂いたという文を兵庫殿より頂きましてな… 文面から兵庫殿の喜びと貴殿に向ける思いを強く感じ、某が再び仕えるなら木下様しか居らぬ! そう思った次第にございます。 どうか某を家臣の列にお加え頂きとう存じます」
そういって重定は再び頭を下げた。
「あい分かった。 古田主膳に左介、其方らを木下家に迎え入れよう。 任は追って伝えるが一先ず住むところが必要だろう。 二の丸に長屋がある故、一先ずそこを使うが良い。 だが何れお主らに見合った屋敷を作ることを約束しよう、それ故励むようにな」
「木下様、いえ殿のお心遣い痛み入ります! これよりこの主膳、身命を賭して殿にお仕えすることを誓いまする!」
重定は額を床に擦りつけるようにして平伏した。
家臣にするのは既定路線だったが、余りにも思いが重い!!!
後、兵庫も俺に対して並々ならぬ忠誠を抱いていることが分かった。
この者たちの忠誠を裏切らぬよう今後も精進せねばな…
さて、次は青木家の名代か… 半分ほっといた形になって申し訳なく思う。
まさかこんなに覚悟ガンギマリの奴が来るとは思ってなかったんだ…
「待たせてすまなかったな。 ではもう一方も話されよ」
俺はもう一人の男に向かって声をかけた。
「某は美濃国大野郡揖斐庄の住人で、青木勘兵衛重矩と申します。 某の妻が木下殿のご母堂の妹の為、貴殿から見れば義理の叔父となりますが、臣下の礼を取るにあたって敬意は必要ありませぬ。 どうか某も家中にお加え頂きますようお願い申し上げます」
そう言うと重矩も深々と頭を下げた。
おいおい、名代かと思ったら本人かよ!!
と言うかこいつも覚悟ガンギマリ勢かよ!!!! 一体どうなっているんだ!!!
「お、義叔父上? この度は話だけではなかったのですか?」
俺が慌てて声をかけると重矩は顔を上げて話し始めた。
「そんな義叔父上などと… 勘兵衛とお呼びください。 いや、本来は一度家に持ち帰ろうと思っておりましたが、気が変わり申した。 某、実は長良川での合戦に従軍しておりまして、そこで甥御殿の勇名を聞き及びまして… 木下藤吉郎という若武者は、迫りくる斎藤勢に対して槍一本で迎え撃ち、その事如くを打ち倒したと斎藤勢でも噂になっておりました。 その中でこの度の文を頂き、是非その勇猛な若武者の下でに戦いたいと思い馳せ参じた次第にございます」
「しかし義叔父上、いや勘兵衛 故郷は良いのか?」
「義父上がまだ健在である故、心配はござらん。 某には二人の息子が居りまして、その者らも出仕させたいのですがよろしいですか?」
「ああ、構わぬが… 本当に良いのか?」
まだ正式に家臣になることを許してないのだが、重矩の中では既に仕えた気になっているらしい…
まあ拒む理由もないので良いのだが…
「必ず某が説得して参ります! 息子を連れてきた際、改めて臣下の礼を取らせて頂きとう存じますがよろしゅうございますか?」
あ、ちゃんとそこ分かっていたのね…
「ああ、其方の働き期待しておるぞ」
「ありがたき幸せに存じます!!」
なんにせよ兵庫以来の武家出身家臣、しかも後継者もいると来た。
これでしばらくは家臣不足に悩むことはないかもしれない。 俺はそう胸をなでおろすのだった。
古田家、青木家登用です。
作中で重定が古田吉左衛門重則(古田重勝の父)を兄と言っていますが、これは本作のオリジナル設定です。(史実では兄弟ではなく同族です)
そして古田織部(左介)は同族である古田重安の養子になっていますが、本作では養子に行かなかったとさせていただきます。
古田家に限った話ではないですが、この時代の人たちは家系図が複雑すぎますね…




