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戦国転生日吉丸公記~秀吉に転生したけどなぜかイケメンな件について~  作者: まーしー
第五章 織田家の藤吉郎(馬廻編) 天文二十四年~弘治二年(1555~1556)
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53 愛馬

 

 弘治二年(1556) 九月二十五日 

 尾張国愛知郡 中中村 木下屋敷


 衝撃の事実が明らかになってから早五日、俺は木下屋敷を城郭にする為、普請作業を行っていた。

 明らかになった事実が大きすぎて忘れかけていたが、俺は恩賞として大秋城と五百貫(千石)の領地を賜った。


 上中村とは以前から親交があり、統治にさほど問題はないが、中中村と合わせると二千貫(四千石)の領地を持つ身となった為、何時までも屋敷で生活するわけにもいかないと考えた結果だ。


 それと現時点では二千貫だが、中村は平野の多い土地であり、まだ手付かずの場所も数多くある。

 最終的な石高は倍以上となるかもしれないと考えると、本当に貰ってよかったのか?と思ってしまう…


 大秋城をそのまま利用することも考えたが、木下屋敷とそれほど離れていない為廃城し、その資材を木下屋敷拡大に充てることとした。

 まあ、城代を任せられる人材がうちには居ないという事も大きいが…


 家が大きくなるにつれ、木下家の弱点である人材不足が浮き彫りになるな。 

 与力を貰うか、登用できるものを探すか悩ましい所だ…




「兄上! 清州からの御使者が参られました!!! 二の丸にてお待ち頂いております故お急ぎを!」

 俺が普請に携わる領民に指示をしていると、二の丸の方から長秀が走ってきた。



「分かった、すぐ向かう!!」

 戦場に出ると言った日から、呼び方が「藤吉にぃ」から「兄上」に変わった。

 弟の成長を嬉しく思う反面、僅かに寂しさも感じる。



 清州からの使者とは一体何用だろうかと考えつつ、俺は二の丸へ急いだ。




 木下屋敷 二の丸


 俺が二の丸に着くと、中庭の方に人だかりが出来ているのが見えた。

 何か珍しい物でもあるのかと覗くと、そこには立派な黒馬と使者と思われる二人の男が居た。


「木下藤吉郎殿でお間違いないでしょうか?」

 引綱を持っていた男が俺に気付くと、もう一人に綱を手渡し駆け寄ってきた。


「ああ、某がそうだ。 してこの馬は?」


「お忘れでありましたか! 藤吉郎殿は先の戦いで馬をお亡くしになられたので、殿が名馬一頭を授けると仰っていましたが…」

 俺が馬について聞くと、使者は驚いたようにそう言った。



 あぁ… なんか色々あったせいですっかり忘れていた…


 以前俺が乗っていた馬は、敵中突破と通具への突貫で傷を負っており、戦後程なくして力尽きたと聞いていた。

 彼の豪脚が無ければ、間に合わなかったかもしれないという事を考えると、命を懸けた激走には敬意を表したい。


「かなり大柄な木曽馬だな、他馬より一回りは大きいのではないか?」


「肩までは凡そ四尺九寸(147㎝)、目方は百三十貫(480㎏)を超えております」


 現代における木曽馬の平均体高は牡馬で136㎝、体重は350~420㎏だというのだからかなり大柄だ。

 確か武田信虎の愛馬であった『鬼鹿毛』が大柄だったという記録があるが、この馬も鬼鹿毛に匹敵しているかもしれない。


「しかも黒鹿毛、いや青毛は珍しいな」


「某も殿の下で数々の馬を見ておりましたが、ここまでの体格を持った馬は今まで見た事がありませぬ。 恐らく毛色からすると、甲斐の黒駒の血が入っているやもしれませんな」


「甲斐の黒駒と言うと、あの厩戸皇の愛馬か」


 甲斐の黒駒は日本書紀に多くの逸話が残っており、その中でも有名なのは聖徳太子の天馬伝説だろう。

 太子と舎人を連れて、富士山を越えて信濃に至り、三日を経て都に帰還したという。


 戦国武将では森長可が『百段』という甲斐黒を保有しており、居城である美濃金山城の石段百段を、わけなく駆け登る脚を誇ったそうだ。



「本当に某が頂戴してよろしいのですか? 某以外に相応しいお方が居るのでは?」


「それがこの馬には気性で問題がありまして… 荒くはないのですが、何分気難しい性格のようで気に入らないと梃子でも動かんのです。 殿も木下殿が乗って動かないのだったら、別の馬を与えると仰っておった故、一度お試しを」


「なるほど、そう言う事か… 触れてもよろしいか? 名はついているので?」


「仮ですが毛色から黒助と呼んでおります。 承知だとは思いますが、真後ろには立たぬようお気を付けくだされ」


「ああ…  黒助、お主に触れても良いか?」

 俺は黒助の真横から声をかけた。 嫌がる素振りがなかった為、首のあたりを手の平全体で優しく撫でた。


 馬は本来臆病な性格だ、例え戦の為に調教された軍馬でもそれは変わらない。


 驚かせないように優しく声をかけ、触れる。

 それが馬とコミュニケーションを取る上で最も大切なことだ。


 俺が暫く撫でていると、黒助は気持ちよさそうに目を細めてすり寄ってきた。


「乗っても良いか?」

 俺は引綱を巻き、短く持ち直してから使者へ問うた。


「鞍がついておりませぬが、それでもよろしければ…」


「構わん。 行くぞ黒助!」

 俺は黒助に声をかけるとその背に跨った。


「はっ!!!」

 馬腹を蹴った瞬間、俺たちは風になった。





「いや、見事な騎乗で。 まさか黒助をここまで御せる者が居るとは思いませなんだ…」

 俺が遠乗りをして戻ると、使者は顔に驚愕の色を浮かべていた。


「こいつは良い馬だ。 俺の馬になるのだから名を改めねばな、黒助では愛嬌がありすぎる。 黒雲、いや『雷雲』お主は今日から雷雲だ!」

 漆黒の馬体に俺の愛槍である『鳴神』をかけたわけだが、中々良いだろう。


「雷雲 猛々しい良き名ですな。 それと木下殿、実は池田殿より文を預かっておりましてな。 木下殿の所に赴くならと…」

 使者は俺に文を手渡すと去っていった。


「勝三郎から、なんだ?」

 俺は頭を捻りながら文を開いた。





 弘治二年(1556) 九月二十七日

 尾張国春日井郡 志賀城 平手屋敷


 俺は雷雲に跨って、平手の爺様の居城である志賀城に来ていた。

 尤も政秀は隠居しているので、今は城下に屋敷を構えている。


 恒興の文によるとここで政秀と恒興が待っているらしい。


「木下殿ですな、こちらへ 主がお待ちです」

 屋敷を訪ねると年配の使用人に出迎えられ、奥の部屋に通された。


「木下藤吉郎であります、失礼いたします」

 俺が部屋に入ると既に二人は待っていた。



「急に呼び立てて悪かったな」


「監物殿に勝三郎、此度は一体何用で?」

 十中八九あの時の事に関することだろう。 二人の事だから意趣返しをするわけではないだろうし、何か忠告したいことがあるのかもしれない。


「先ず、貴殿に謝意を。 秘を守る為とは言え、刃を向けたこと、申し訳なく思うておる」


「監物殿の仰る通りだ、すまなかった」


 俺が着座すると、政秀と恒興はそう言って深々と頭を下げた。


「御二方殿に対する忠義故の行いに誤りはのうございます。 称賛に値するもので、決して咎めることはござらん。 どうか顔をお上げくだされ」

 いきなり頭を下げられるとは思ってなかった為、俺は慌ててそう言った。


 実際俺は無傷で二人を制圧したわけだし… まあこの事は二人の名誉の為に言わないでおこう…


「それは忝い」

 そう言って二人は顔を上げた。


「某の方こそ、咄嗟のこととはいえ荒っぽく制圧した故、お怪我などは…?」

 若い恒興はさておき、老体である政秀は心配だ。


「特に痛めた所はないの、藤吉郎殿が上手く抑えたからかもしれんな」

 政秀はそう言って笑った。


「藤吉郎もあの立ち回りを見るに心配ないとは思うが、うちに三郎と言う按摩を得とする家臣が居る故、身体に不調が見られたら何時でも遣わす故、言ってくれ」


「あい分かった」


「あれから殿もどこか吹っ切れた様子じゃ。 貴殿には礼を言いたい、少し早いが夕餉を馳走する故、寛いでいかれよ」



 暫くすると豪勢な食事が運ばれてきた。

 俺たちは食事に舌鼓を打ちつつ、世間話や各々の近況などのたわいもない話をしていた。


 だが酒が入ると…



「全く、殿の破天荒な行いにはこの身がいくらあっても間に合いませぬ!!!」


「まだ今は良うございます! 幼き頃は着物をはだけては相撲に水練!!! 我らの身にもなって頂きとうございます!!!」


「我らがどれだけ必死になって秘を守ろうとしておるのか、殿はお分かりなのだろうか!?」


「殿の事じゃ、儂らが困る顔を見るのも楽しんでおったに違いない!」


「ず、随分と御労しいと言うべきか、苦労をなされたと言うべきか…」


 主君に対して不敬なのだが、二人の苦労を考えるとしょうがないのかもしれない。



「お主も真実を知る身じゃ、儂らと同じように守り抜くんじゃぞ!?」


「「覚悟は良いな!?」」


 あぁ…俺もこっち側なのだな…

 俺は今後この身に降りかかる受難を想像し、力なく笑うのだった。


12/6修正 大秋城の石高を七百貫から五百貫へ変更しました。

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― 新着の感想 ―
恒興と政じいはとっても苦労してたんだね。それを楽しむ信長か。よく想像できます
秀吉も所領2000貫の上級武士になり相応の軍役軍装が必要がいることになったのでしょうここに元亀2年北条氏政発給の着到狀があります岡本政秀所領60貫馬廻各種奉行お勤める中級武士で騎馬武者1人本人15貫文…
先日の追加ですか大須賀康髙も榊原と同じく酒井家の家臣ですのでスカウト可能ですか筆者わ松平家が忠義が強いという意味でですけど当時の松平家は西三河の有力国人ですが国人とはいえ家臣の独立牲は強く現に2代の主…
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