03 三種の農具と神の加護
天文十一年(1543年) 尾張国愛知郡 中村郷中中村
親父が寺に行ってから半年、新しい一年が始まると同時に末の妹旭が生まれた。
これで木下家は家にいない父を含め六人となったが、働き手は産後の母と子どもである俺たちしかいない。これでは既存の畑の拡張はおろか、現状を維持することも難しい。
そのため俺は現世の知識を生かし、農業の効率化を家族に提案した。
「おかあ、おじぃって確か鍛冶師だったか?おじぃ作ってほしいのがあるんだども」
俺は紙に書いた図を差し出しながら母に聞いた。
「ほうだ、それがどうしただか? これはいったい何だか?」
母は図に書いてある三つの農具を指さした。左から備中鍬、スコップ、鶴嘴だ。
「一番左のは鍬だな。 今使っている鍬だと深い所はようやらんうえに、ようけの鉄をつかわにゃならん、先を三つに割れば少しの力でやれる上に鉄の節約になる。 真ん中は円匙っていう穴を掘るもんだ。 一番右は鶴嘴ゆうて硬い石を割るもんやな。 便利なもんやで騙されたと思っていっぺん作ってくんろ」
「まあその齢で畑仕事をようやる日吉の頼みだしなぁ…。 いっぺんおっとうに聞いてみるだ」
俺の話を聞いて半信半疑といった様子の母だったが、どうにか頼んでは貰えそうだ。
母の父は美濃の関兼貞だったと記憶していたが、鍛冶の腕は現代の関市が刃物の一大産地ということからも折り紙付きだろう。問題は素直に作ってくれるかどうかだが、そこは祈るしかない。
~数か月後
「日吉~! おじいの所から人きたで~ いっぺん帰ってこ~い!」
畑で草抜きをしていると母の声が聞こえてきた。どうやら祖父が農具を作り、持ってきてくれたようだ。
帰宅すると祖父の弟子と思われる若者がおり、手には三本の農具と手紙が握られていた。
手紙は祖父からで内容は道具の使用感についての感想が書いてあった。
どうやら祖父は作った後に試しで使ってみたようだ。次に何か作る時もぜひ頼ってほしいとも書いてあった。使い心地は相当良かったようだ。
とりあえず道具については最低限揃ったと言えるだろう。
後は身体を作っていくだけだ。親父から託された畑を守るのはもちろんだが、いずれは織田家に仕官して戦国武将として名乗りを上げていかなければならない。
秀吉に武勇関連の記録はないが、下積み時代にはきっと前線で槍を振るっていたのには違いない。
せめて人並みに戦えるような筋力にはしていかなければならない。
そう思った俺は農作業と共に筋力トレーニングにも励むことにした。
天文二十年(1551年) 尾張国愛知郡 中村郷中中村
農具を作ってから早八年、俺は池の畔で考えを巡らせていた。
木下家は前と比べ、余裕のある暮らしを送ることが出来るようになった。その要因は農具の使用許可料だ。
当初は木下家だけが使っていた三つの農具だが、有用性に気づいた近くの農民や鍛冶師が真似させてほしいとやってくるようになった。
祖父に技術料を、木下家には使用料として売り上げや収穫の一部上納する、もしくは労働力を提供するということで話を付けたことにより、毎年一定の収入や労働力を得ることができた。
おかげで田畑を維持するだけではなく、さらに拡張することも出来た。この辺りではかなり有力な農家になれただろう。
そして俺自体の成長だが、かなり予想外なことが起きていた…
なぜか身の丈五尺五寸(165㎝) 目方一七貫(63㎏)の偉丈夫へと成長した。
確かに裕福になったことにより、粟や稗よりも米を食べられることが増え、筋力トレーニングに励んだことも多少影響したとは思う。
しかし史実で百五十㎝前半だった秀吉が、ここまで成長するのは正直ありえないと感じる。
しかもいまだに成長中だ。
身体の成長も驚いたが一番は顔だった。
なんでイケメンなんだよ…
小さいときから何となく気づいていたけどね、なんか奇麗な顔してるな~って。
秀吉と言ったらサル、ハゲネズミという蔑称がつくほどの顔だったはずだ。少なくとも現代のモデルやアイドルにいそうな美男子であったはずがない。
本来ではありえない体格に顔。もしかして転生前に太陽神が言っていた加護ってこれのことか?
戦国時代に関係ない加護を戴いたのは不服極まりないが、美男子になったことに多少の嬉しさを感じている自分もいるのは確かだ。果たしてこのことを喜ぶべきか喜ばざるべきか…
そう思いながら今はため息をつくしかなかった。
タイトル回収ですね。
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