42 評定は踊る
弘治二年(1556) 五月十二日
尾張国春日井郡 清州城 馬廻り詰所
評定は翌十二日に行われるとのことだった為、俺は中村で一夜を明かした後、清州城に登城した。
詰所に赴くと、既に馬廻りは全員が集まっており、何やら話し合いをしていた。
「まさか筆頭家老である佐渡守様に翻意とは… 何かの間違いではないのだろうか? もしや何者かの離反工作か!?」
そう言って腕を組みながら唸っているのは河尻秀隆だった。
彼は信長の父、信秀からの家臣であり、秀貞のことも良く知っていた。そんな秀隆からすると信じがたい事なのかもしれない。
「いや、翻意は強ち間違いでもないやもしれん。 佐渡守様は前々から殿の事を避けておいでであった。特に村木砦での一件は皆の記憶にも新しかろう? 筆頭家老が戦前の評定から姿を消すなど、疑われても仕方がないであろう」
秀隆の言葉にそう返したのは金森長近だ。
金森五郎八長近、この武将も信秀時代からの古参家臣だ。
元は美濃出身であり、近江を経由して信秀に仕えた。一説には信長の教育係も務めたと伝わっている。
領国経営に秀でており、山林が多く、三万石ほどしかない飛騨国を開発し、関ヶ原の戦いの頃には、六万石近くの軍役を負担できるほどの国力つける行政手腕を持っている。
また城下町の整備にも力を入れており、特に高山祭りで有名な高山城下町、うだつの上がる町並みで知られる小倉山城下町は、今でも多くの観光客で賑わっている。
武将としても有能で、長篠の戦いや越前一向一揆、甲州征伐等で武功を挙げているなど、あまり目立たないが、歴史ファンの中ではいぶし銀的な存在で知られている。
ちなみに老いても尚盛んな人物で、七十七歳で関ヶ原の戦いに参陣し、隠居後に、八十二歳で次男が誕生するなど、生涯現役を貫いていた。
長近が話したことを皮切りに、他の者も思い思いの意見を話し始めていた。
俺に話しかける者が居ない所を見ると、どうやら話し合いに夢中で、俺が来たことに気づいていないようだった。
話を聞いていると、信長直属の馬廻りなだけあり、信長の言ったことに異を唱える者は居なかったが、いまいち煮え切らない様子であった。
やはり筆頭家老が謀反すると言う、前代未聞のことを受け入れたくないという思いがあるのだろう。
「ん?藤吉郎 お主いつの間に…」
新助が俺の視線に気が付いたようで声を上げた。するとその声に反応して一斉にこちらを見た。
ひょっとしたら、このまま気づかれないのかもしれないと思い始めていたが、気づいてもらえて一安心だ。
でも全員で俺を見るのは少し怖いので辞めてほしい。
「話は聞いておったか? 藤吉郎お主はどう思う?」
成政に聞かれ、俺が口を開こうとした瞬間、詰所の戸が開かれた。
「皆揃ったようだな。 これより評定を始める、馬廻りも広間に来るようにと殿が仰せだ」
戸を開けたのは恒興だった。
「どうもそう言う事らしい、俺の意見はまた今度だな」
俺は成政にそう言うと、広間へと歩を進めた。
~清州城 広間
広間に来ると、何名かの家臣が先にいた。
家老衆からは、次席家老である佐久間信盛、元筆頭家老で現相談役の平手政秀、一門衆でもある飯尾定宗や織田信房がいた。
譜代からは森可成に滝川一益、丹羽長秀などの姿が見られる。メンツを見る限り親信長派の面々だろう。
「して殿、佐渡守殿の謀反は誠でありますか?」
信盛が信長に対してそう聞いた。
「そう決めつけるでないと言いたい所じゃが、恐らく誠である」
信長がそう言うと広間にどよめきが奔った。
「これは拙いことになったやも知れぬ… 佐渡守殿には昨年那古野城をお渡しになられた。末森城と連携されたら我らは一溜りもないのでは!?」
そう呟くのは可成だ。 可成の言葉で一気に現実味を帯びたようで、広間が一気に騒がしくなった。
「末森には戦上手の柴田殿もおられるぞ!?」
「佐渡守殿の弟である美作守殿も武名高いと聞き及んでおります!」
「那古野城を手にした林家を合わせると、末森の兵力は我々を上回るのでは!?」
皆慌てた様子で、話し合っていた。
少し前に馬廻りの詰所で行われていた話し合いの比ではないほどの大騒ぎだ。
史実でこの後起きる稲生の戦いの戦力差に触れておくと、信長軍七百に対し、信勝軍は倍以上の千七百であった。
しかも信勝軍には歴戦の猛将である柴田勝家がついているというオマケ付きだ。
大騒ぎになるのも理解できる。
「ちぃと静かにせんか!!!」
皆の騒がしさに痺れを切らしたようで、信長が大声をだした。
あまりの大声に驚いた面々は、皆一様に口を噤み、広間は水を打ったようになった。
「お主らの言いたいことは儂もよう分かっとる。それと皆には言うておらんかったが、前々から勘十郎は織田家の家督を狙って工作を仕掛けてきておった。最近はそれが顕著でな、この間は刺客まで送り込んできよったわ」
「殿!?なぜ爺にその事をお伝えして下さらなかったので!?」
刺客の話を聞いて、政秀は仰天していた。
恐らく平手の爺様に知られると、面倒なことになるから言わなかったのだろうな…
「あんな者に不覚はとらんわ。とはいえ、このままにはしておけん故、儂も一つ手を打とうと思う」
信長は政秀の追求から逃れるように言葉を重ねた。
「それはどのような一手で?」
信盛は額に浮かんだ汗を拭きながら、信長に聞いた。
「ん? 儂が直接那古野に出向いて、佐渡を説得しようと思うとるのよ 佐渡を刺激せんよう、儂一人で行くぞ」
「「「「「「「「 」」」」」」」」
絶句とはまさにこの事だろう。 信長のまさかの一言に皆が言葉を失っていた。
平手の爺様に至っては気絶寸前だ。
「いやいやいや!!! なりません!絶対になりませんぞ!!!」
「なぜ敵方と分かっている所に、しかもお一人で行かれるのですか!?」
「では喜蔵でも連れて行くとするか」
「そう言う事ではありませぬ!!!」
家臣たちからは非難囂々だが、当の信長は五月蝿いなぁ…と言わんばかりの表情である。
わざわざ説明するまでもないが、大将が一人で敵方の城に行って話を付けようとするなど、無謀と言う他ないので、皆の反応は至極当然である。
先の戦いでの殿しかりだが、若き日の信長はかなり無茶をしている。
このままでは評定が混沌を極めそうなので、そろそろ口を挟むとするか…
「せめて我ら馬廻りをお連れ下さい!」
利家が良いことを言ったので、便乗させてもらうことにした。
「我ら馬廻りは命に代えても殿をお守りする所存であります! 殿には指一本触れさせやしませぬ故、どうか我らをお連れ下さい!!」
俺は利家に追随して声を上げた。
「藤吉郎の言う通りです!」
「どうか我らを!!!」
俺の意図を察したのか、恒興を始め馬廻りの面々が声を上げ始めた。
「ではそうするか… 爺も馬廻りと共に行くのなら問題はないな?」
「それでしたら… しかし全員を伴っていくわけにはいきませぬ、大勢で行っては殿が先程申されたように、かえって佐渡守を刺激することになりましょう」
平手の爺様が納得したことで、他の家老衆や譜代も、馬廻りを護衛として付けるのならばとこの場はおさまった。
ちなみに誰が信長について行くかで、馬廻りの中で争いになりかけた為、公平を期してくじ引きで護衛を選ぶこととなった。
その姿を見て、許可して本当に良かったのだろうかと平手の爺様は頭を抱えていたそうだ。
くじ引きの結果、護衛は俺と長近の二人となった。
利家がどうしてもついて行きたいと言っていたが、デカいのが二人もいると威圧感があり、警戒される可能性があるのと、そもそもくじで決まったのだから口を挟むなと信長に言いくるめられていた。
「那古野へ向かう日取りだが、すぐには向かわん、すぐに動いては向こうの思うつぼであろう。暫く時を開け、油断させてから出向くぞ」
「「かしこまりました」」
その後、信長は護衛として選ばれた俺と長近にそう伝えると、評定はお開きとなった。
俺は家督を継いだばかりと言う事もあり、信長に許しを願って、再び中中村に戻ると領国経営に努めた。
家督を継いだため、今まで出来なかったことも出来るようになるが、あんまり目立ちすぎると周りにどう思われるか分かったもんじゃない。
成果を横取りされるだけならまだいいが、謀反などを疑われたりするなどと言う事は、何としてでも避けなければならない。
その為、目立つことはせず、地道に農業を進めて石高を増やすほかないだろう。
目立たないが効果のある事、種籾の塩水選なら良いかもしれない…
後は清左衛門や与左衛門に頼んで、農業に使える器具を増やすとしよう。
先取りするなら、踏み車や千歯こき、唐箕辺りの江戸時代に出てきた農具だな。
踏み車や唐箕は兎も角、千歯こきは簡単な作りの為、流出しないよう屋敷のみで使うようにせねばな。
二人と相談しながら試行錯誤し、試作品が出来た頃、再び清州から使者がやってきた。
史実では那古野城から無事帰れたが、この世界ではどうなるか分からない、もしものことがあってはならないと、俺は気を引き締めながら清州へと赴いた。




