40 一家団欒
今回は日常回です。 たまにはこういうのも良いですかね?
歴史部門の日間ランキング二位、そして注目度ランキング一位にになってて驚きました。
多くの皆様のご愛読、ブックマーク、評価に感謝申し上げます。
弘治二年(1556) 四月末
尾張国愛知郡 中村郷中中村 木下屋敷 二の丸
大良河の撤退戦から一週間、中村屋敷へ戻っていた。
実家に帰った理由は、愛槍である鳴神の整備だ。
撤退戦の際、結構無茶な使い方をしたので、木下家のお抱え鍛冶師である清忠の元に持ってきて、見てもらおうと言う事だ。
「どうだ正左衛門」
「多少の刃毀れはございますが、状態は良うございます。 これなら砥ぎ直すだけで元通りになりますな」
柄から取り外した穂先を眺めながら話す男が、木下家お抱えの鍛冶師、加藤正左衛門清忠である。
長身武将であった加藤清正の父親なだけあり、この男も長身だが、肉が少なく骨ばった身体つきをしている。
その見た目通り病弱な所もあるようだが、鍛冶の腕は祖父のお墨付きだ。
実際木下家の使う鉄農具は、ほとんど清忠の作った物である。
「そうか! ならばすぐに直るな」
「ええ、若も久しぶりに戻られたのです。 そろそろ昼餉ですしご家族と召し上がっては如何ですか?」
「そうだな、では失礼する」
俺はそう言って二の丸を後にした。
木下屋敷 本丸 広間
戦国時代の食事は一日二食で、内容は一汁一菜で米を多く食べるのが基本である。
ちなみに米は現代に多く食べられている白米ではなく、玄米や稗や粟などの雑穀を食べている。
おかずには野菜や魚、漬物や梅干しのようなものから、味噌や塩を舐めながら米を食べるという現代人からは考えられないような食べ方をしている。
木下家は裕福なのもあり、毎回の食事におかずがついてくるが、ほとんどおかずを食べられない者もいた。
俺がここまでの体格を手に入れられたのも、幼少期に豊富な栄養を蓄えられたのが大きいのかもしれない。
「今日は鮎か えらくごちそうだな」
俺の前に置かれた御膳には、鮎の塩焼きが置かれていた。
炭火で焼かれたことにより、皮はパリパリで良い匂いが漂っている。
「藤吉がけえってくるんだ 今日はごちそうにせねばなるめぇ」
そう言って母は茶碗に山盛りの飯をよそっていた。
「藤吉にぃの鮎はおらが釣ったんだ! 褒めてけろ!」
旭はそう言ってピョンピョン跳ねている。
分かった、頭を撫でてやるから跳ねまわるのをやめなさい。
「まあ旭が釣ったのはその一尾だけだけどな 他は全部おらだ」
そう言って米を口に運ぶのは智だった。
「別に言わんでええやんか!」
そう言って旭は智に唸った。
表情がコロコロと変わる妹を弄るのが、姉の楽しみなのである。
「そう言う憎まれ口を叩くで、二十超えても嫁の貰い手がおらんのだわ」
そう言うのは小一郎だ。 こいつもこいつで意地が悪い。
こうやって姉の行き遅れを弄っては、口喧嘩が始まる。 最後には母に全員怒られるのがオチだ。
俺はこの賑やかさに心地よさを感じている。
最近は戦場で命のやり取りをするのが日常となっているから、こういう家族の温かみを感じられるのはいいものだ。
「…ん?」
いつもなら行き遅れを詰られた姉が、小一郎をどついている所なのだが、どうも様子がおかしい。
智は先ほどまで食べていた茶碗を置き、下を向いていた。
「智ねぇ?どうしただ?」
旭が心配して声をかけたが反応はない。
「小竹ぇ?」
こうなった理由であろう小一郎に三人の視線が突き刺さる。
「お、おらが悪いだか!? あ、あんなんいつものことだがね!」
三人の目線に詰められ、しどろもどろな小一郎。
小一郎の言うように、確かにこれくらいの軽口はいつもの事だ。一体どうしたのかと思っていると智が口を開いた。
「皆に会わせたい人がおるだよ」
なんと姉に遅めの春がやってきていたのだった。
~数刻後
「え、あ 手前は海東郡で馬借を営んでおります、弥助と申します。 なんと申し上げたらよいのでしょうか… 今年に入ってから、何度か領内に出入りさせてもろうてまして、その際に智殿をお見かけし、手前にはこの方しかおらん!と思いまして… え~…」
智に連れられてやってきた男は弥助と名乗った。
智の夫である木下弥助、またの名を三好吉房という。
秀吉の養子となり関白の位に就いたものの、後に粛清された豊臣秀次の実父だ。
吉房自体の出自は不明で、一説には大和国の三輪氏の子孫だという説もあるが真相は分かっていない。
三好姓は嫡男である秀次が、三好康長の養子になった際に、合わせて名乗りだしたと言われている。
百姓から身を立てた秀吉にとって数少ない一門衆で、厚遇されたがいまいち目立たない武将である。
目の前で狼狽えている様子を見ても、頼りになるとは思えない男だった。
にしてもなんでこいつはこんなに挙動不審なんだ?
「はっきり言いな あと藤吉は弟だよ、デカいからって震えてるんじゃないよ」
智はそう言って弥助の背中を思いっきり叩いた。
どうも俺に対して怯えていたようだ、別に威圧なんかしてないんだが…
「智ねぇ? こんな頼りない奴が旦那で良いのか?」
旭の悪気のない言葉が弥助に突き刺さり、その場で膝から崩れ落ちた。
なかなかコミカルな人物ではあるようだ。
「まあ普段はこうだがやるときゃやる男だ 前おらが畑帰りに野盗崩れに襲われた時のこいつは格好良かっただよ。まあ立ち向かうんやのうて、一緒に馬乗って逃げただけだがの」
そう言ってカラカラ笑いながら、また智は弥助の背中を叩いた。
「しゃ~ないやろ、あっちは武器さ持ってるのに敵う訳ないじゃろ」
弥助はそうボソボソと呟いた。
「まあおらは智がいいなら反対はしーひんわ。 おっとうに伝えなならんで文さ書かなならんな」
母はそう言って立ち上がった、恐らく紙や筆を持ってくるためだろう。
「なら祝言はいつにするだか? 吉日を選んで宴でも開きゃええやろ? 美濃のおじぃも喜ぶだら?」
俺がそう言うと全員がこっちを見た。 なんか変な事言ったのだろうか?
「「「「「祝言を挙げられるだか!?」」」」」
しまった! この時代の庶民は祝言をしないんだった!!
弘治二年(1556) 五月十日
尾張国愛知郡 中村郷中中村 木下屋敷 本丸 広間
結局俺の鶴の一声で、木下家初の祝言が執り行われることとなった。
ちなみに戦国時代に婚礼の儀を上げるのは一握りの者だけだ。
大名の元に側室が嫁ぐときでさえ、婚礼の儀を行わないことが多いというのだから相当だろう。
それを俺が、現代のように一般人が結婚式を開く感覚で言ったのだから、そりゃ驚くわけだ。
祝言をするとなってからは大変だった。 まず大安の日を選んで、親戚に招待の手紙を出したり、祝言の作法や流れを確認したり、祝言後の宴の準備をしたりとてんてこ舞いの毎日だった。
親父が居る寺の和尚が、武家の祝言に行った経験があったことで情報が得られてよかったが、そうでなければ大変だった。
「高砂や~…」
神前式の定番である高砂を謳うのは父だ。 仏門に入り、日々経を読む生活なだけあって、声が通っている。
その後も三三九度などを通して、祝言は恙なく終了し、宴が始まった。
本来ならこの宴は三日三晩続くのだそうだが、木下家は一応農民であり、士分ではない為、周りに慮って一日のみだ。
木下家の石高は並みの武家を上回っており、次期当主の俺が士分として織田家に仕えているのだから、遅かれ早かれなのだが…
会ったことがない親戚も多いが、まずは本日の主役から話しかけねばなるまいと、姉の所に向かった。
俺の前には奇麗な着物に身を包んだ智がいた。
「馬子にも衣裳とはこの事だのぉ? 嘘じゃ、智ねぇおめでとうな」
「まさか祝言を挙げられるだなんて、夢にも思わなんだわ。 藤吉ありがとうな」
姉は嬉しさのあまり、目に涙を浮かべている。
「まさか俺の一言でここまでなるとは思わなんだわ」
「全くじゃ でも大変だのぉ、おらがこんな祝言を挙げたら、旭も挙げななるまいに」
「一体何年後の話じゃ… いや旭も十三か、そんな先ではないかもしれんの」
「ほやほや 子どもの成長は一瞬だで」
「智ねぇババ臭いこというなや」
そう言いながら姉弟で顔を見合わせて笑った。
ビビるの語源は平安時代にあるそうで、戦の際に鎧がぶつかる音が元だそうです。
…と筆者は思っていたのですが、誤情報の可能性があるそうです。その為修正させて頂きました。
(9/1411時修正済)
祝言の高砂は、室町時代初期の大和猿楽師である世阿弥の作った謡曲です。いつ頃から祝言で使われるようになったかは不明ですが、時代的に謡っても不自然ではないので、導入しました。




