37 長良川の戦い
弘治二年(1556) 四月十八日
尾張国愛知郡 清州城 広間
清州城では、美濃へ援軍の是非を問う軍議が開かれていた。
家臣の中では、『勝ち目がない戦に参加するのは得策ではない』という意見と、『後ろ盾であった信光を失った今、道三まで失ってしまうのは拙い為、援軍に出向くべき』いう意見で二分されていた。
「殿! 山城守殿は大桑城を出て、鶴山にて布陣したとのこと! 依然山城守殿から援軍の要請はありません!」
「で、あるか…」
伝令の言葉に信長は短く答えると、広間に集まっていた家臣の方へ向き直った。
「者共! 先の村木砦を覚えておるか!! あの戦では斎藤家に利がないにも関わらず、援軍を寄越した。 その恩を返すのが今この時ではないのか? このまま舅殿を見殺しにすれば、尾張者は恩知らずという誹りを受けようぞ!? 皆の者! 命を惜しむな、名こそ惜しめ!! 必ずや舅殿を救い出すのだ! 急ぎ陣ぶれをせい!!!」
「「「「「応!!!!!!」」」」」
信長の鶴の一声で家臣一同が動き出した。
紛糾していた軍議を、信長はたった一言でまとめ上げてしまった。
これこそが信長のカリスマ性というものなのだろう。
後は戦に間に合うかどうかだ… 俺も急ぎ支度をするのだった。
弘治二年(1556) 四月二十日
美濃国 方県郡 長良川南岸 斎藤利尚本陣
「殿! 敵軍が我が軍の動きに呼応し、鶴山の陣から北岸へ移動!」
「うむ、間もなく戦が始まるだろう。 誰ぞ先陣を切る者は居らぬか!?」
伝令を聞いた利尚は家臣にそう問いかけた。
「先陣は某にお任せを! 必ずや道三の首を上げて見せましょうぞ!!」
手を挙げたのは、家中でも剛の者として名が知れている竹腰道鎮だった。
「摂津か、良いだろう先陣を許す。 敵は寡兵とて侮るでないぞ。 道三はこの美濃を制した稀代の梟雄であることを忘れるでない 太鼓と法螺貝で合図を出す故、存分に先陣を飾るが良い」
「はっ!心得ましてござります。 では御免!!」
道鎮は一礼すると陣幕を抜け、自らの隊へ戻っていった。
「では陣太鼓と法螺貝を持て!! 開戦じゃ!!!!!」
利尚の采配のもと、決戦の火蓋が切られた。
同時刻
美濃国 方県郡 長良川北岸 斎藤道三本陣
「伝令!! 敵先鋒が渡河を始めました! その数凡そ五千! 敵将は竹腰摂津守と思われます!!!」
「見えておる。 ふん、こちらが小勢だと侮ったな。 円陣で敵に当たる馬鹿がどこにおる。 陣を鶴翼に変えよ!敵先鋒を包み込み撃滅するのじゃ!!!」
道三は、兵を自らの手足の如く自在に動かし、竹腰勢を忽ちに包み込んだ。
本陣深くまで切り込んだ道鎮だったが、四方八方から繰り出される攻撃には為す術がなく、奮戦虚しく討死するのであった。
「これで五千が壊滅じゃな。 さてどうする倅よ?」
道三は南岸に陣取る利尚を眺めながらそう呟いた。 その眼光は獲物を狙う蝮の如く鋭い物だった。
同時刻
長良川南岸 斎藤利尚本陣
「伝令!!! 竹腰摂津守様!敵陣深くに切り込むも反撃を受け討死!!! 大将を失ったことで五千の兵も散り散りになっております!!」
「見たか、敵は小勢ながら精強で、舐めて掛かることなど到底出来ん。 しかし我が軍も将兵の質は負けておらぬ! その上こちらは兵数で圧倒的に勝っておる故、負ける通りはない!! 全軍俺に続け! 突撃じゃぁ!!!!」
伝令を聞き、内心出鼻をくじかれたと歯嚙みする利尚だったが、そのようなことは噯にも出さず全軍に突撃を命じた。
利尚勢の突撃により、両軍入り乱れての激しい戦いが始まった。
~開戦から二刻半
乱戦が始まってからおよそ一刻後、道三軍の柴田角内が利尚勢の長屋甚右衛門を一騎打ちで討ち取るなど、緒戦こそ優勢に進める道三であったが、やはり兵力で劣ることで徐々に息切れを始めていた。
道三の巧みな采配で、壊滅こそ免れているものの、道三軍の将兵は一人また一人と傷付き倒れていっていた。
「父上! そろそろ限界かと!!」
道三の傍で槍を振っていた若武者がそう叫んだ。
若武者の名は斎藤新五利治といい、道三の末子であった。
つい先日元服をしたばかりで、まだ顔にはあどけなさが残っていた。
「新五! お主はこれを持って尾張へ向かえ!!」
道三は懐から一枚の書状を出すと、それを利治に押し付けた。
「父上!! 某は父上と共に戦います!!」
「阿呆!お主はまだ若い!! このような戦で命を散らすべきではないわ!! 分かったら行けぃ!!!」
食い下がる利治を道三は大声で叱りつけた。
道三本人は厄介払いのように冷たくあしらったつもりなのだろうが、傍目からは息子を死なせないがため、必死に言い聞かせる父親そのものだった。
「くっ… 父上、どうかご無事で… 御免!!!!」
父の思いを受け取った利治は、書状を懐に入れると馬に乗り戦場を脱した。
「皆の衆、ここまで良く戦った。 儂は城田寺に逃れ、そこで腹を切る。 この首を新九郎の奴に渡すわけにはいかん」
道三は利治を見送ると、僅かな近習と共に落ち延びようと歩を進めようとしたが、現実はそう上手くはいかなかった。
「叔父上よ、そうは行きませぬぞ。 叔父上を生け捕りにして殿の御前に引き立て頂く故、神妙に縄につかれよ」
そう言って現れたのは、道三の甥である長井忠左衛門道勝だった。
「ふん、断ると言ったらどうする?」
「では力ずくで連れていくまでよ」
「くっ! 下郎が!!」
道勝がそう言った瞬間に茂みから三人の武者が現れた。
道三を守ろうと近習が応戦するが、瞬く間に抑え込まれ、皆討ち取られてしまった。
道三も道勝に組み伏せられ、身動きが取れなくなっていた。
勝利を確信していた道勝だったが、思わぬところから横槍が飛んできた。
「どけ!!!!!」
先程茂みから出てきた武者の一人が、目にも止まらぬ速さで二人武者を斬り殺し、返す刀でさらに道三と道勝を斬りつけてきたのだった。
その切っ先は道三の右足を斬り飛ばすだけでなく、道勝の身体をも掠めていった。
「小牧殿!! いきなり何をする!?」
いきなりの裏切りに驚いた道勝は、思わず組み敷いていた道三から飛び退いた。
「大殿は儂が斬る!! 生け捕りなどさせてたまるか!!!」
小牧と呼ばれた武者はそのまま、刀を振り上げた。
「源太か。 久しいのぅ 生け捕りなど、 御免じゃ お主に斬られるなら 良い、一思いにやってくれ」
右足を斬り飛ばされ、息も絶え絶えな道三はそう言って首を前に出した。
「大殿! 世話になり申した!!」
源太はそのまま道三の首に刀を振り下ろした。
道三の首は胴から離れ、ここに斎藤道三の生涯は幕を閉じた。
「小牧殿!!! 貴様よくも!!!」
手柄を横取りされた道勝は、激怒しながら源太に斬りかかった。
「生け捕りなどされたら、その後にどのようなことが行われるのか… それが分からぬお主ではあるまい! 生き恥をさらされるのならば、いっそ死なせてやった方がよいのではないか? 忠左衛門殿よ、お主も大殿の甥ならそうは思わぬか!?」
斬りかかってきた道勝を簡単にいなすと源太はそう叫んだ。
道勝も思う所があったのか、その場に座ると黙り込んだ。
そして暫く思案を巡らせると、口を開いた。
「確かにお主の言う事も一理ある。 しかしお主が同胞を手にかけたことや、手柄を横取りされるのは無視できない。これはどうする?」
「手柄はいらぬ。 大殿の首は忠左衛門殿が持っていくがいい。 俺はこのまま斎藤家を辞する。それで良いか?」
「本当はお主を斬りたいのだが、某ではお主には敵わぬ故仕方がない… どこへなりとも行ってしまえ」
「忝い では御免」
源太は道勝に一礼をし、去っていった。
「………誰が好き好んで親族と争うものか」
道勝は道三の首を布で包むと、そう一言呟き利尚の待つ本陣へと歩を進めた。
本作に出てくる長井忠左衛門道勝は道三の甥とさせて頂きます。(父の長井隼人佐道利は道三の息子、もしくは弟という説がありますが、本作では弟という説を採用しました)




