36 蝮の親子
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弘治元年(1555) 十一月
尾張国愛知郡 清州城 広間
「こちらが下手人坂井孫八郎の首級にございます」
孫八郎を討ち取る為、追手として差し向けられていた佐々孫介は、信長の前に首桶を置いた。
「であるか… 首は城下に晒しておけ」
信長は一瞥をくれると、冷たく言い放った。
「仰せの通りに」
孫介はそう言うと広間を出ていった。
「叔父上よ…仇は取りましたぞ。 どうか冥土で父上によろしくお伝えくだされ…」
孫介が出ていった後、信長はそう呟いた。 その頬には一筋の涙が流れていた…
弘治元年(1555) 十二月
尾張国愛知郡 清州城 広間
「未だ守山城での籠城が続いておる。 逐電した孫十郎も見つからず、前城主であった叔父上も亡くなった今、どうするべきかお主らに問おう」
信長は重臣を集め、守山城の仕置について意見を募ることにした。
「う~む… 某の弟である美作守に任せてみては如何かな? 奴は武勇に優れておる故、乱れた守山城をも容易くまとめ上げましょうぞ」
「佐渡守殿は先日殿から那古野城を頂いたばかりではありませぬか。 林家は筆頭家老の家柄とて、ちとそれは望みすぎではないのでは?」
そう自信満々に言った秀貞だったが、すかさず定宗に反論された。
周りの重臣たちも同意するよう頷いている。
「うむ近江の言う通りじゃ、美作は引き続き佐渡の元におってもらう。 異存はないな?」
「では如何致しましょうか? 領内に火種を抱えたままでは、統治に差支えがあるのでは?」
信長にそう言われても、特に悪びれる様子もない秀貞は代案を求めた。
重臣は互いに牽制しているのか、それとも良い案が浮かばないのか、押し黙ってしまった。
進展がない議論に信長がイライラし始めた時、次席家老である佐久間信盛が口を開いた。
「殿の弟君である安房守殿は如何でしょうか? 歳の頃も殿とさほど変わりませぬし、文武に優れるとお聞きしました」
「右衛門尉の言う通りですな! 某も良き案かと存じます」
周りの重臣たちは信盛の言葉に追随した。 考えていても良い案が浮かばない為、もうこれで良いという思いもあるのだろう。
「うむ、喜蔵なら問題もあるまい。 では早速喜蔵と守山城に使いを出せ」
守山城に籠っていた家臣も、織田家と事を構える気は元々なかった為、この提案を受け入れた。
これにより、およそ半年に渡った守山城の騒動は一旦落ち着きを見せるのだった。
同日
尾張国愛知郡 清州城近郊
「兄者? 首尾はどうでしたか?」
清州城から出てきた秀貞に声をかけたのは、弟である通具だった。
「あかんかったわ。 結局安房守殿が城主になるそうだ。 殿の力を少しでも削れればと思うたが、そう上手くはいかんのぅ… 勘十郎様にどうお伝えするべきか…」
「そうですな… ですが那古野城がこちらの物になったのは大きいと思われます。 勘十郎様にはそれで我慢していただきましょう」
「それしかないの」
林兄弟はそう言うと那古野城には帰らず、末森城に向かって行った。
ここでも内乱の火が燻っているのだった。
弘治二年(1556) 四月
尾張国愛知郡 清州城
厳しい冬が過ぎ、俄かに春を感じさせる風が吹き始めた頃、またも清州に急報がもたらされた。
「美濃国で内乱! 大桑におわす山城守殿に向け、新九郎殿が挙兵したとのこと!! 山城守殿三千に対し、新九郎殿は一万八千とのこと! 山城守殿が圧倒的不利にございます!!」
美濃に潜ませていた密偵からの報告を受け、信長は思わず頭を抱えた。
「昨年の事件から、舅殿と義兄上の中は険悪だということは知っておったが、まさか雪解けと同時に兵をあげるとは… 舅殿から援軍の要請はあったか!?」
「それが… 一向に使者が参りませぬ! 恐らくは山城守殿単独で挑まれるのかと…」
「馬鹿を申せ! あの舅殿のことだ、勝ち目のない戦に挑むほど愚かではないわ!きっと策が ……まさか!?」
信長は道三の考えに気が付くと顔を青くさせた。
「いかん!舅殿は死ぬ気だ!! 急ぎ兵を集めよ!! あの御方を決して死なせてはならん!!!」
同時刻
美濃国山県郡 大桑城 広間 斎藤山城守利政(道三)
「今頃聡い婿殿は、儂の目論見に気づいた頃じゃろうな」
道三は清州の方角を見ながらそう呟いた。
「御隠居様、新九郎様…いえ新九郎に重臣らの多くがついたそうです。その兵数はおよそ一万八千、対してこちらは三千。 しかし本当に良いのですか?」
具足を着込み、戦支度をした光秀が道三にそう問いかけた。
「尾張への援軍の話か、先程も申したが援軍は呼ばんぞ。 しかし奴はああ見えて義理堅い男じゃ、きっと頼んでもいない援軍を寄越す事じゃろうが、間に合うまい。 この戦いは言わば身から出た錆、婿殿まで巻き込むわけにはいかん。 十兵衛、お主こそ儂についておって良いのか? 儂の方におってもうまみはあるまいに」
「明智家は御隠居様に恩がある故、それに叔父上を始めとした一族が、今も城に籠って戦っており申す、その者らに申し訳が立ちませぬ」
「ふん、そうか… 兵庫がお主の知略を褒めておった、自慢の甥だとな。その智謀この戦いで存分に活かすが良い」
「はっ!」
そう言って光秀は広間を出ていった。
「しっかし新九郎の奴め、一万八千とは恐れ入ったぞ。 これは前々から考えておったに違いないな、奴も存外やるもんじゃ」
そう言って道三は稲葉山の方角に視線を向けた。
同時刻
美濃国井之口 稲葉山城 広間 斎藤新九郎利尚
「家臣の大部分は殿にお味方するとのこと。 こちらに降らなかった明智城の明智兵庫頭や、大御堂城の岩手遠江守らには兵を差し向けており申す 兵数はこちらが圧倒的有利にございます! 殿?浮かない顔をしておりますが如何なされましたか?」
「備中にはそう見えたか。 いくら憎くとも肉親を討つのだ、覚悟は決めたと言えど儂も人の子だということだな… しかし、この美濃を手中に収める為には如何様な事をもする覚悟だ、昨年弟をこの手で殺めた時からその思いは変わっておらん、この戦必ず勝つぞ」
「はっ! この日根野備中身命を賭して戦いまする!」
「うむ、頼んだぞ」
利尚はそう言って頷く備中守を見ながら、三年前の事を思い出していた。
天文二十二年(1553) 四月下旬
美濃国井之口 稲葉山城
「父上!!! 某を廃嫡し、孫四郎を当主に据えるとは誠にございますか!?」
稲葉山城内で利尚の怒声が響き渡った。
以前から家臣の中で、家督を自身ではなく、弟の孫四郎に継がせようとしているという噂が流れていた。
最初は本気にしていなかった利尚だったが、弟を溺愛する父の様子を思い返した為、真偽を確かめようと詰め寄ったのだった。
「いきなり大声をだすでない。 全く、そんな噂話に踊らされるとは、お主もまだまだよのう?」
道三は耳を抑えつつそう答えたが、その態度が利尚の怒りさらに火をつけることとなった。
「しらばっくれなくとも良いございます! 孫四郎に左京亮を名乗らせようと父上が画策しておることを某が知らないとでもお思いですか!? 最近は喜平次までもが某を侮るような態度を取り申す、これはどう申し開きをするので!?」
「二人には儂が良く言って聞かせよう。 『次期当主である兄を軽視するな」となそれで良かろう」
そう言うと道三はさっさと行ってしまった。
怒りが収まらない利尚は拳を振り上げると、近くの柱を渾身の力で殴りつけた。
六尺五寸(197㎝)の大男である利尚から放たれた拳は、柱を容易くへし折り、城を揺らすほどの破壊力だった。
「やはり斎藤家は利尚には任せられんな…」
利政はその揺れを感じながら、そう呟いた。
確かに戦国の世を生き抜くのに武力は必要だ。しかしそれよりも重要なのは家臣を纏める統率力や領国経営の能力が重要になってくる。 儂は国盗りの中でそれを嫌というほど味わった。
下剋上で奪った故、斎藤家は基礎が弱い。
今は儂に従っている国衆も、いつ反旗を翻すか分かったものではない。武力で押さえつけるだけの統治では限界があるだろう。
利尚の武勇への才は申し分ない、統治能力も申し分ないだろう。最初は儂も利尚に美濃を任せるつもりじゃった。
しかし聖徳寺で婿殿に会った時、利尚では決して敵わぬと感じてしまった。
うつけと言われておったが、あれは周りを欺く虚像に過ぎなかった。堂々たる態度から滲み出る将器、あの数の鉄砲を揃える資金力、どれを取っても利尚以上じゃった…
しかし儂譲りの野心を持つ利尚は、いつか確実に婿殿に挑むじゃろう。双方が戦い、国力が衰えようものなら、美濃は浅井、六角、武田に尾張は今川や北畠に付け入る隙を与えてしまう。
そうなれば共倒れじゃ。そうせぬよう、斎藤家の家督は利尚ではなく、孫四郎に継がせ、いずれ婿殿に渡した方が良いのかもしれん…
そう思いながら利政は自室へと戻っていった。
稲葉山城 利尚自室
「くそっ! 親父はなんもわかっておらん!」
利尚は自室に入って座り込み、考えに耽っていた。
確かに義弟は強い。儂も報告を受けたが、尾張半国にも届かない身代であの資金力は尊敬に値する。今川との戦も見事だった、尾張の虎の倅なだけある。
しかし俺も引けは取っておらぬ。武士たるもの、最初から敵わぬと尻尾を巻いて逃げ出すなど… そんなもの戦国の世に生きる武士ではない!
親父だってそうだろう? この美濃を盗るにあたって、俺には想像もつかない苦労があっただろう?
下剋上で美濃を簒奪したことに異を唱える者も確かにいる。しかし没落する土岐氏ではこの美濃は治まらなかったのは確かだ。やり方は褒められたものではないかもしれないが、親父は美濃を統一した英雄に違いない。
しかし親父も今は老いた。
次は俺が親父に代わって美濃を治める番だろう? なぜ凡庸な弟に継がせるのだ? このままでは親父の築き上げた美濃が食い物にされてしまう…
「ならばその前に俺が奪い取るまでよ、親父の息子らしくな…」
利尚はそう決意すると立ち上がった。
野心に溢れたその表情は、嘗て美濃を簒奪した若き日の利政と瓜二つであった。
それから利尚は一年かけて家中を取りまとめると、家督を譲るよう利政に迫った。
家臣を味方につけた利尚を前に、断ることが出来なかった利政は剃髪し、道三と号し鷺山城に隠居した。
しかし諦めきれなかった道三は、尚も孫四郎を当主に据えようと画策をしていた。
それに気づいた利尚は、病と称して孫四郎と喜平次を城に呼び出すと、その場で討ち果たした。
これにより父子の関係は修復不可能な物となったのだった。
この親子間のすれ違いから、『長良川の戦い』は勃発したのだった。




