29 安食の戦い
今回も少し長めです。
天文二十三年(1554年) 七月十三日
尾張国愛知郡 那古野城 広間
岩龍丸が那古野城に駆け込んできた翌日、織田家では早速軍議が行われていた。
今回は俺も近習として軍議に参加することが出来た。 参加と言っても、広間裏の武者隠しでの待機なのだが…
「此度の大和守の謀反は断じて許すことは出来ん。武衛様を亡くされた岩龍丸様の心中を慮り、早急に出陣することが肝要だ。 しかし急く理由がもう一つある。その方の中でなぜ急ぐ必要があるのかが分かる者はおるか?」
信長が広間で重臣にそう問いかけた。
質問の意味が分からず、重臣な中では首を傾げる者もいたが、その中で手を挙げる武将が一人だけ居た。
「大和守が守護職を牛耳る前、地盤を築く前に叩くことですな。それとこちらには大義名分があります故、早いうちの方が、武衛様の仇討ちに心が燃ゆるでしょう。」
手を挙げた武将がそう言い放った。 声からするとまだ年若い者のようだ。
「鋭いな五郎左、全くもってその通りだ。」
信長に称賛されると、五郎左と呼ばれた武将は恭しく頭を下げた。
織田家で五郎左というと、きっと丹羽五郎左衛門尉長秀に違いない。
信長に幼少のころから仕え、数々の戦で武功を挙げてきた武将だ。
武功だけでなく、領国経営にも秀でるなど、知勇兼備の武将であり、その才を持って、全盛期の織田家で次席家老を務めた武将である。
織田家において長秀は無くてはならない存在であり、後世では「米五郎左」という渾名を付けられている。
ちなみに勇猛な戦ぶりから「鬼」の渾名が付けられている武将でもある。もしかしたら俺と相性がいいかもしれない。
「此度の総大将は勘十郎の家老である権六に任せる。 奴の家臣には元斯波家臣が多い故、士気も高かろう。 勘十郎だけに兵を出させるわけにいかぬ故、こちらからも増援を送る。 此方の大将は五郎左、お主が行け。 与力に左近と三左衛門を付ける。 それに俺の近習から槍自慢をいくらか連れていくが良い」
そう言うと信長はニヤリと笑った。 その笑みは『お主には期待しておるぞ』と言外に語っているようだった。
「某のような若輩者に大将を任されるとは、光栄の極みに存じます。 必ずや良い知らせをお持ち致します」
感極まったのか長秀は深々と頭を下げた。 その様子から、後の名将も今は初々しい若武者なのだなだと思わされた。
「うむ、左近に三左も心得たな。」
「御意にございます」「殿の仰せの通りに」
家臣の列で平伏したのは下方左近貞清と森三左衛門可成だった。
恐らく手前の筋骨隆々とした男が、下方左近貞清だな。
貞清は織田家の古参家臣であり、血筋は清和源氏に連なる名門である。
小豆坂七本槍の一人にも数えられているだけでなく、様々な戦で一番槍の手柄を立てている生粋の武人でもある。
しかし出世には興味がなかったのか、数々の武将の誘いを断り続け、生涯最前線で戦い続けた男だ。
実は貞清は長命な方で、八十歳まで生きたというのだから驚きである。
そして奥の涼し気なイケメンが森三左衛門可成だな。貞清より年長のはずだが、かなり若く見える。
森氏は元土岐家重臣で、その忠節は二百年にも及ぶと言われている。
土岐頼芸が斎藤道三に追放されると、可成は父と共に織田家へと仕えることとなった。
可成は、「攻めの三左」と呼ばれるほどの槍の名手であり、信長の譜代家臣として活躍をした。
忠節を重んじる森家の家風なのか、最期は京を目掛けて迫りくる浅井朝倉連合軍三万人に対し、足止めをする為たった千人で立ち向かい、壮絶な討死を遂げることとなる。
武将としてはマイナーな可成だが、次男に一部界隈で戦国DQNと呼ばれる鬼武蔵こと『森武蔵守長可』、三男には信長の小姓として有名な『森蘭丸』がいるなど、息子たちがかなり有名である。
「では権六に出陣するよう使いを出せ。 金に糸目はつけん、急ぎ兵を集めよとな」
「畏まりました」
「では軍議はしまいじゃ。 勝三郎、今から儂が言うた者を連れてこい、此度の戦に従軍させる」
そう言って信長は広間を出ていった。 さて俺の名は上がるのだろうか…
天文二十三年(1554年) 七月十八日
尾張国愛知郡 那古野城
本来ならば、徴兵や兵站等の補給路の確保などに時間がかかるのだが、織田家は常備兵制度を進めつつあることや、
信長は各方面に急ぎ軍備を整えるようにと伝えたため、武衛弑逆の僅か五日後に出陣することが出来た。
この速さには大和守家も度肝を抜かれたことだろう。
そして俺はいつもの宿直所や武者溜まりではなく、具足をつけて隊の中にいた。
俺の隣には利家がおり、共に森隊に付けられ清州城へ向かって行軍を行っている。
隣の下方隊に新助と小平太もいるはずだ。 俺たちは村木砦の戦いでの戦功が認められ、この戦いにも従軍することとなった。
「見てみぃ藤吉!将だけでなく、兵にも皆、気合に満ち溢れておるぞ!」
利家が興奮気味に俺に話しかけてきたが無理もない、普段の行軍とは違う雰囲気が、辺りを包み込んでいるのだ。
「これが大義名分の力なんじゃな。やる気に満ち溢れておる弾正忠家に対して、大和守は満足に兵が集められんと聞く」
「ならば此度の戦は楽勝かもしれんな」
「又左、油断するでないぞ」
俺はお気楽な利家に釘を刺すように言った。
「わ~ってるよ」
利家はバツが悪いと思ったのか、そっぽを向いて適当な返事をした。
同日
尾張国春日井郡 成願寺 織田大和守信友
柴田勝家率いる弾正忠家と、織田信友率いる大和守家による戦いは、愛知郡三王口で戦端が開かれた。
数や士気で勝る弾正忠家は優勢に戦いを進め、三王口から安食村へ、更に成願寺へと大和守家を後退させていった。
しかし、弾正忠家が戦いを優位に進められている要因は、兵数や士気だけではなかった。
「くそっ!なんだあの槍は! こちらの槍が届かぬではないか!!」
馬上で指揮を執る信友は、采配を握り締めて憤慨していた。
「こちらの槍は二間半であるのに対して、あちらの槍は三間半ほどあるでしょう! これではこちらが肉薄する前に叩き伏せられてしまいまする!」
家老である左馬丞が隣でそう叫んでいた。
「そんなことは百も承知じゃ!! 一度懐に入ってしまえば、あの長物は邪魔なだけじゃろう! なぜそれが出来んのじゃ!!」
「弾正忠家の兵は良く鍛えられてあり申す。 あのような隙間のない槍衾など付け入る隙などありますまい…」
「くぅ、このままじゃいかん。 皆の者引け!! 町口の大堀まで引くのじゃ! そこなら地の利がある!」
信友の采配が振られ、戦場に退き太鼓の音が響き渡った。
大堀は清州城の喉元であり、本来ならそこまで敵を引き付けるのは危険である。
信友もその事は知っていたが、総崩れになる前に撤退をせねばならないという思いもあり、一時撤退をすることにした。
尾張国春日井郡 成願寺 柴田権六勝家
長槍部隊の後方に総大将である勝家は布陣していた。隣には援軍の将である長秀も共にあった。
「権六殿、敵が撤退を始めました! 追撃されますか!?」
長秀が勝家に伺いを立てた。 後に盟友となる勝家と長秀だが、この時は家老と新参で身分に差があった為敬語だ。
「当たり前だ! 一度隊を立て直したのち、再び槍衾で当たれ! 敵はこれ以上引けぬとこまで来ておる故、次は死にもの狂いでやってくるに違いない。 こちらも主力を投入する、者共いいか!!!!」
「「「応!!!!」」」
「では行くぞ! かかれぇぇ!!!!」
かかれ柴田の大音声の元、一丸となって追撃を始めた。
尾張国春日井郡 清州城大堀
「我らには後がない!!! ここで敗れれば一巻の終わりぞ!!」
「行け!! ここで大和守を討ち取るのだ!!」
清州城の大堀で軍勢が激突した。 槍の長さを生かし弾正忠家が優勢だが、後がない大和守家も必死に食らいつく。
両者一歩も引かない大激戦だったが、僅かな敵軍の綻びを見逃す勝家ではなかった。
「左翼の守りが弱っておる!!! 森隊かかれぇ!!!!」
勝家の下知で左翼の森隊が突撃する。先ずは長槍部隊、次に弓隊、最後に俺たちの突入部隊の出番だ。
俺たちは槍を握り締めながら、突入の下知を待った。
「敵は崩れたぞ! 今じゃ!!」
可成の下知の元、俺たちも敵陣に突入を始めた。
「先に行くぜ!! 村木砦では一番乗りを譲ったが、今回は負けんぞ!!」
利家は俺の前に出ると、槍を振り回しながら敵陣に突入した。
「結局俺は一番乗りじゃなかったよ!」
俺は利家に反論をしながら、俺も鳴神を手に敵陣に肉薄した。
周りは敵だらけだが、鳴神を振り回すにはちょうど良いぐらいだ。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我は織田弾正忠家家臣、木下藤吉郎秀吉であるぞ!! 腕に覚えがある者はかかってこい!!!」
俺はそう叫びながら周りの雑兵を叩き切った。
鳴神の餌食になった者は、深い傷を負い、当たり所が悪ければ、そのまま亡き者とされた。
「なんじゃあの豪傑は!」
「あないなバケモン相手に出来ん! わしゃ逃げるぞ!」
雑兵はその様子に恐れ慄き、思わず道を開ける者や、逃げ出す者もいた。
俺は開けた道の先で、鹿の角をあしらわれた兜をつけている武将を見つけた。
兜の装飾もそうだが、着用している具足が一般兵のそれではない為、きっと名のある武将に違いない。
「そこを行く鹿角兜の武者よ! さぞ名のある武将とお見受けした、貴殿を討ち取り我が功名とせん! 某は織田弾正忠家家臣 木下藤吉郎秀吉也 いざ槍合わせ願う!!」
俺は槍を構え、鹿角兜の武将へ向き直った。
「儂は織田大和守家家臣 古沢新左衛門友貞! 貴殿の一騎打ちの願い、聞き入れた! いざ勝負!!」
古沢と名乗った武将は槍を手に、俺の方へ向き直った。
周りも一騎打ちが始まることに気が付いた為、戦の手を止め見物する者で囲いが作られた。
弓が主となる戦場で一騎打ちが起こることなど、そうあったものではない、皆固唾を飲んで様子を見ていた。
俺の鳴神の全長は一間半だ。恐らく古沢の構える素槍も長さはほとんど変わらないであろう。
互いに間合いを図りながら、距離を詰めていく。 相手の足捌きや構えにブレがない所を見ると、腕は申し分ないであろうと思われる。
「やぁ!!!!」
牽制の為だろうか、古沢が雄叫びを上げ、槍を細かく突き出してきた。
俺は足捌きのみで難なく躱した。 そんな見え見えな策に嵌るほど馬鹿ではない。
その後も古沢の素早い攻めを、俺はのらりくらりと躱し続けていた。
「攻めに転じず、逃げるだけとは 臆したか!!!」
槍を振り回し続けた疲労と、俺の様子に対する苛立ちから、少しずつ古沢の槍が乱れ始めた。
「其方の槍が乱れるのを待っておったのよ」
俺はそう言いながら、突き出された古沢の槍を躱し、懐に入り込んだ。
古沢は『しまった!』というような顔をしたが、その時には既に鳴神の穂先が、古沢の胸を貫いていた。
「無念…」
一言そう呟くと、古沢は口から血を吐きながらその場に倒れ伏した。
「古沢新左衛門友貞 討ち取ったり!!!!!」
俺は脇差で古沢の首を狩ると、高々と突き上げそう叫んだ。
弾正忠家の家臣からは歓声が、大和守家の家臣ではどよめきが起こった。
奮い立った味方の攻勢によって、更に大和守家は苦境へと立たされることとなった。
そして、半刻もしないうちに大和守家は総崩れとなり、清州城へと撤退をした。
勝家は攻城戦を仕掛けるも、城門は固く閉ざされ城を落とすまでには至らなかった。
しかしこの戦で、大和守家の家老である河尻左馬丞と織田三位が討死し、俺が討ち取った古沢新左衛門を含めた名のある武士も数多く討死した。 最早大和守の運命は決まったも同然だろう。
勝家は城を見張る為に少数の兵を残し、那古野城への帰城を命じた。
安食の戦いは弾正忠家の大勝利で幕を閉じたのであった。
織田家の『鬼』が2人登場しました。秀吉は一兵卒とほぼ変わらないので、まだ2人には会えていません。
秀吉が討ち取った、古沢新左衛門は実在の人物です。(諱は創作ですが…)
面白い!続きが読みたい!と思われましたら、いいね、ブクマ、感想等を頂けると幸いです。