28 清州動乱
少し長めです。
作中、場面が何度か変わる所があります。読みづらかったら申し訳ございません。
天文二十三年(1554年) 一月 那古野城
村木砦の戦いの後、緒川城で一泊した後に陸路で那古野城に帰城した。
途中、今川に寝返った寺本城へと立ち寄ると、信長の命で城下に火が放たれた。
城下に住む領民に罪はないが、領主への見せしめとするには効果的だ。
那古野城に戻って暫くすると、今回の戦いの論功行賞が行われた。
俺は一番乗りではなかったものの、大堀を駆け上がり突破口を開いたとして加増を受けた。
流石に領地は貰えなかったものの五十貫の身代となった。石高に直すと百石になる。
これは、先に近習になっていた又左たちと並ぶ石高だ。かなり良い評価をしてもらえたと考えていいだろう。
期待外れだったと思われないよう、仕事に精を出さねばならない。
仕事についてなのだが、又左が常に一緒にいたので俺は小姓だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
小姓の主任務は主君に常について回り、身辺の世話をすることだ。
しかし俺たちは、宿直所や武者溜まりで待機したり、日々鍛錬をしたりしていることが多い。
当然、寝所の前で寝ずの番などをすることはあるが、平時に信長の傍に行くことはほとんどない。
そうなると俺たちは『近習』ということになる。
当然だが、夜伽の相手として呼ばれることもなかった。
若き日の利家は信長に小姓として仕え、信長とはそういう関係だったと言われていた。
普段から利家の行動を見ていたが、寝所に呼ばれるなど、そのような素振りは見られなかった。
信長と言ったら男色のイメージがあるが、これはどういうことなのだろうか?
俺は、通説とは違った信長の様子に頭を捻りながら、日々の仕事に励むのであった。
そして半年が過ぎたころ、ある事件が起こった。
天文二十三年(1554年) 七月
尾張国春日井郡 清州城下 守護屋敷 斯波左兵衛佐義統
尾張下四郡の守護代である、織田大和守家の居城である清州城。
その城下に一つの屋敷があった。 規模はそれほど大きくないものの、作りは豪勢であった。
屋敷の主は、尾張守護である斯波左兵衛佐義統であった。
斯波氏は室町幕府将軍である足利氏の一門であり、畠山、細川と並んで管領に任ぜられる名家である。
越前、尾張、遠江などを領していたが、戦国時代になると越前は朝倉氏に、遠江は今川氏に奪われ、弱体化の一途を辿っていた。
義統は父の失脚により、僅か三歳で尾張国主となり、更に斯波氏の権威は落ちることなり、今では名ばかりの守護となり果てていた。
しかし義統の心にある野望の炎は、決して消えることなく静かに燃えていた。
「刑部はおるか!?」
「ここにおります。 武衛様如何致しましたか?」
「最近の大和守はどうじゃ? 萱津で弾正忠家に敗れて以来、良い話は聞かぬが」
「某の耳にも色良い話は届いておりませぬ。半年前、上総介殿自らが知多に出兵した際も、大和守殿は攻勢に転じることは無く、日和見をしておりました」
「その戦いで上総介は今川を破って名を上げたのぉ… 弾正忠家の跡取りはうつけと聞いておったが、そうではなかったようじゃ。」
「堅固な砦をたった三刻で陥落させるとは、並大抵な将器ではありますまい」
「大和守の所におっても先はないかもしれんな。 いっそのこと弾正忠家に庇護を求めてみるのはどうじゃろう?」
「武衛様! 滅多なことを申されてはなりませぬ! もし大和守の手の者に聞かれでもしたら…」
「お主も呼び捨てにしておるではないか」
「それは… ですが弾正忠家に寝返るにも、ここは大和守殿の居城である清州城でありますぞ!? この事が露見しないわけがございません!」
「使者を出すなどいくらでもやりようがあるだろう。 早急に弾正忠家に使者を出すのじゃ 『武衛が庇護を求めておる。 清州から武衛を救い出した暁には、弾正忠家を下四郡の守護代に任ずると』」
2人は話に夢中になるあまり、視界の端で黒い影が動いていたことなどとは知る由もなかった。
同日
尾張国春日井郡 清州城 御殿 織田大和守信友
「おい! 酒が足らんぞ、どうなっておる!! はよぅ持て!!」
信友は清州城の御殿で一人酒色に溺れていた。
「申し訳ございません! ただいまお持ち致します!!」
「全く、萱津で上総介に敗れ、甚介が死んでから落ち目になっておる… 大膳のやつも増長し、儂に物申しよるし、どうしたものかのぉ…」
「殿、お休みの所大変失礼いたします。 殿のお耳に入れたき話があり、参上した次第にございます」
そう言いながら部屋の外にやってきたのは、家老の河尻左馬丞であった。
「申してみよ」
「武衛屋敷の下人から聞いた話ですが、武衛様が当家を見限り、弾正忠家に付く御積もりだとか」
「なに!それは誠か!?」
「まだ噂でしかありませんが、火のない所に煙は立たぬと申します故」
「今日まで守護としてこの城にいられたのは、一体誰の働きであったのかが分かっておらぬのか!!」
「誠その通りでございます。 しかし、もし弾正忠家に寝返られでもしたら、非常に面倒なことになりますな」
「いっそ殺してしまうのはどうじゃ? 守護と言えど最早名ばかり、実質当家が尾張国主のような物じゃろう。 神輿は神輿らしく鎮座しておけばいいものを…」
「殿!流石にそれはやりすぎかと…」
「なに、儂らがやったと知られぬならよかろうものよ!」
守護を弑逆するには、屋敷の警護が手薄になる時を待たねばならない。
その為襲撃はまだ先になると考えていた信友だったが、そのチャンスは意外にも早く訪れることとなった。
天文二十三年(1554年) 七月十二日
尾張国春日井郡 清州城 御殿
「殿! 屋敷に放った密偵によると、若武衛が屈強な家臣どもを連れ、川狩りに行くとのこと。 武衛屋敷は手薄になっておりますぞ!」
「千載一遇の好機じゃ! 左馬丞、兵を集め守護屋敷に向かうのじゃ! 決して武衛に気取られるではないぞ!」
「はっ!」
尾張国春日井郡 清州城下 守護屋敷
信友が攻めてくるなどとは知る由もない義統は、僅かな共廻りと屋敷で過ごしていた。
「うーむ、この時期は蒸すのぅ… 儂も岩龍丸についていくべきじゃったの」
「今年の夏は昨年より暑うございます故… なにやら人の声と足音が聞こえますが…」
遠くから何やら、怒鳴るような声が聞こえ、急ぐような足音が聞こえてきた。
どちらの音もだんだん近づいてきており、足音に至ってはすぐ傍まで来ていた。
次の瞬間、いきなり襖が開け放たれたかと思うと、何者かが居室に転がり込んできた。
その人物は義統の同朋衆を務める阿弥であった。 背中に矢が刺さり、額からも血が流れている。
「ご注進!! この武衛屋敷が何者かに攻められている模様!!」
「なんじゃとぉ!? どこの手の者じゃ!?」
義統は想像だにしていなかった出来事に驚き、思わずその場にひっくり返った。
「守護の首を取るのだ!! 守護と言えど、最早実権はない! かかれ!!!」
遠くからそのような声が聞こえてきた。 狙いは義統の命であることが明白だ。
同時刻
守護屋敷 中庭
中庭ではすでに戦いの火蓋が切られていた。
大和守軍の相手をしていたのは、武者溜まりに控えていた森部兄弟と少数の兵であった。
有事に備え、具足を着込んでいた彼らであったが、多勢に無勢であり苦しい戦局に立たされていた。
「くそ!どこの家中の者じゃ!? この森部刑部丞統虎が居る限り、武衛様には指一本触れさせることは無い! 主殿も我に続け!!」
「兄上!! 寄せ手の中に顔なじみが居り申した! 恐らく下手人は大和守家かと!!」
「なんだと!? 早うこのことを弾正忠家に知らせよ! 救援を呼ぶのじゃ!」
「岩龍丸様も危ういかもしれませぬ! そちらにも早馬を!!」
「ここは我らが食い止めるが長くは持たん!! 武衛様にもお逃げ頂くよう、にっ………」
そう言いかけた刑部の胸に、槍が深々と突き刺さった。
「兄上ぇ!!!!! よくも兄上を!! ………くっ、無念」
兄の死に激昂する主殿であったが、眼前に降り注ぐ無数の矢を見て、己の運命を悟るのであった。
守護屋敷 広間
「下手人が分かり申した! 織田大和守の手の者と思われます!」
「武衛である儂を弑逆するか!!! そのような野蛮な行いが許されると思うてか!!!」
寄せ手が大和守だと分かり、怒声を上げる義統だったが、最早どうすることも出来なくなってしまっていた。
そこに非情な知らせが次々に舞い込んできた。
「森部刑部丞様、並びに主殿様御兄弟 中庭で奮戦されておりましたが、お討死されました!!!」
「柘植宗花様 裏口を抑えておりましたがお討死されました!! 間もなく敵が広間にも辿りきます!!」
「広間入り口を守っていた阿弥殿! お討死され…グッ」
側近の全滅を知った義統は、最早どこにも逃げ場はないと黙ってその場に座りこんだ。
せめて嫡男の岩龍丸だけでも無事でいてくれ…
そう願いながら義統は、白刃を片手にし目の前に迫る兵一目見やると、己の運命を受け入れ静かに目を閉じるのであった。
尾張国愛知郡 那古野城 広間
信友の追手から辛くも逃げおおせた岩龍丸は那古野城へと辿り着いていた。
時を同じくして、武衛屋敷から抜け出してきた下人も那古野城に到着し、信長は両名から大和守に武衛が殺されたことを知った。
「委細承知いたしました。 岩龍丸様は弾正忠家の総力を持って御守りいたします。 謀反人である大和守の討伐もお任せください」
「うむ、父の無念を思うと気が休まらぬ。 無理を言うようで悪いが、早う仇を討って頂きたいがよろしいか?」
「兵を整えたらすぐにでも向かいましょう。 岩龍丸様はごゆるりとお過ごしください。」
そう言って岩龍丸に平伏する信長だったが、伏せた顔には笑顔が浮かんでいた。
尾張国春日井郡 清州城 御殿
武衛屋敷を襲撃し、意気揚々と帰ってきた信友だったが、御殿では顔を真っ赤にしている坂井大膳が待っていた。
「殿!! なんということをしでかしたのですか!!!」
「大膳! 家臣風情が、口の利き方がなっとらんぞ!」
「殿のような真のうつけ者には、これぐらいでよろしゅうございます!!!」
「貴様!! 儂をうつけと申すか! 手打ちにしてくれても良いのだぞ!」
散々に罵倒された信友は、おもむろに刀を抜くと大膳へと突き付けた。
「某を殺したければ殺せばよいでしょう! ただでさえ家臣が離れつつあるというのに、家老を手打ちにでもすればどうなるかは明白でしょう。 大義名分も無しに武衛様を殺めるとは… 弾正忠家に岩龍丸様が逃げおおせたらどうなるか分かったうえでの行動だったのでしょうな!!」
「ぬぅぅぅ…」
大膳の一喝に信友は何も言えなくなってしまった。
本来なら各所に根回しをして、大義名分に成りえる事をでっち上げるのだが、チャンスが早くに巡ってきたせいで根回しをすることが出来なかった。
即ち今回の守護殺害は信友に大義名分がない、独断による下剋上だった。
そして岩龍丸は信長の元に逃げ込んでいる為、信長には武衛の仇討ちという大きな大義名分が出来てしまっていた。
下剋上が横行する戦国時代だが、大義無き戦についてくるものはほぼいない。 次の戦いは信長が有利になるだろう。
信友がそのことに気づき、自らの軽率な行動を後悔するが、既に後の祭りであった。
近習と小姓の違いについては諸説ありますが、本作では小姓=身辺の世話、近習=身辺警護を主な役割とさせていただきます。
村木砦の戦いと守護殺害の時系列についてですが、資料によって時期にぶれがあります。
本作では村木砦の戦いが先に起き、その後守護が害されたという説を採用させて頂いています。