27 村木砦の戦い 下
戦の描写って難しいですね。
天文二十三年 一月(1554年) 尾張国知多郡 緒川城
散々だった海路とは打って変わって、陸路では特にトラブルもなく、無事緒川城に着陣することが出来た。
緒川城で俺たちを出迎えてくれたのは、水野家当主の水野藤四郎信元と、先に援軍に来ていた織田孫三郎信光だった。
「まさか、援軍に上総介様自らが参陣なさるとは。 この藤四郎、感謝の極みに存じます」
目の前で平伏した中年の男が、水野藤四郎信元だ。
早くから信長に近づき、後の清州同盟では仲介役を務めたり、戦においても姉川の戦い等で戦功を上げたりして活躍した。
しかし後年、信長の筆頭家老を務めていた佐久間信盛に、『水野に武田との内通の思惑あり」と讒言をされ、殺されてしまう。
ちなみに信元は徳川家康の生母である『於大の方」の兄で、家康にとっては伯父にあたる人物である。
「拙者も殿が参られて驚きましたぞ。」
そう言って目を丸くしたのは織田孫三郎信光である。
信長の父である信秀の弟で、信長の叔父だ。美形揃いの織田家の例にもれず、この人もイケオジである。
若年のうちから信秀に従い、小豆坂七本槍に選ばれるなど、数々の武功を上げている。
信秀死後には信長を支持し、尾張統一戦に尽力するが、清須攻略後に那古野城で家臣に襲われ、命を落としてしまう。
援軍にきた安藤守就もそうだが、なぜか最近不遇の死を遂げた人物に多く会う気がする…
それだけ戦国時代が残酷だということなのだろうか。
緒川城では、その後信長と信光、信元で軍議が行われた。
軍議の結果、信元は海上を封鎖したうえで東の大手門を担当し、信光は西の搦手門を攻める。
信長は精鋭を率い、一番攻め辛い南側を担当するということでまとまったようだ。
俺はもちろん信長について南側の攻略だ。 南側には深い堀があり、かなりの激戦が予想される。
俺は覚悟を決め、拳を固く握るのであった。
天文二十三年 一月二十四日 辰の刻 尾張国知多郡 村木砦
「かかれぇ!!!!!」
信長の大音声と法螺貝、陣太鼓の音の元、攻撃が開始された。
「いくぞぉ!!!」
俺たちは大堀を埋める為、水野勢が用意した土俵を担ぎ、堀へと投げ込んでいった。
「放てぇ!!!!!」
今川勢も堀を埋めさせてはならないと、砦から矢を雨のように降らせてきた。
矢に射貫かれた味方が、次々に堀の中へと転がり落ちていく。
味方の死に一瞬手が止まりそうになるが、今は味方の死を悼むのではなく、目の前の敵を倒すことのみを考え行動するべきだ。
躊躇えば犠牲が増える一方だ。 俺は心を鬼にして土俵を運ぶのだった。
暫くして堀が埋まってくると、砦の壁を崩すために堀へと飛び込み、堀を駆け上り突貫する兵も出てきた。
村木砦の堀は、畝状の堅堀になっており、登るには当然、畝の間を通らねばならない。
しかし登っている無防備な所を、敵兵に狙い撃ちされてしまう。
先頭に矢盾を持った兵がいるが、横合いから矢を射かけられ全滅必死な所もあった。
このままでは総崩れとなってしまう そう思った時、戦場にけたたましい音が鳴った。
「結構当たるではないか。 のう一巴よ」
「殿は鉄砲の腕が良うございます。 普通でしたらそうはいきませぬ」
音がした堀端を振り返ると、信長と百名ほどの兵が鉄砲を構えていた。
そうか! 村木砦の戦いは日本で初めて鉄砲が使われた攻城戦か!!
聞いた事のない音と光、そして目に見えない攻撃で味方が倒れていく恐怖からか、今川勢は半ば恐慌状態になっていた。
この隙を逃すわけにはいかない。 俺は腕の立つ仲間を呼んだ。
「又左! どこにおる!」
「藤吉! ここにおるぞ! さっきのは殿の種子島か? 敵が慄いておるわ!」
利家は両脇に土俵を抱えて笑っていた。 矢が飛び交う戦場だってのに気楽なものだ。
「俺は砦に向かって突貫する。 殿の種子島に怯んだ今が好機じゃ!!」
「それなら俺たちにも助太刀させてくれ!」
俺の話を聞いた、小平太と新助もやってきた。 二人とも汚れてはいるが、手傷は負っていないらしい。
「よし、では四人で行くぞ! 先陣は俺が行く!」
「藤吉の身の丈なら、後ろも安心だな」
「何を言っておる又左、お主も盾を持って間に入るのじゃ。 そうせねば横矢を受けてしまうじゃろ」
「おいおい、嘘だと言ってくれよ…」
そう言って項垂れる利家に盾を押し付けると、俺は大堀に向かって身を躍らせた。
「引くことは罷りならん! 只管進むのみ!!!」
「「「応!!」」」
俺、新助、利家、小平太の順で畝を駆け上がった。
持っている盾には次々と矢が刺さる感触がした。
幸いなことに貫通するものはなかったが、一度立ち止まれば、即刻針鼠になることだろう。
四方八方から飛来する矢を防ぎながら、ようやく塀際に到着した。
「さあ新助 やってまえ!!」
「おうさ!!!!」
裂帛の気合と共に、新助は持っていた鎚を塀に向かって振り下ろした。
更に二、三度振り下ろすと塀に亀裂が走った。
「今じゃ!!」
俺は盾を構え、塀に向かって突進した。
尾張国知多郡 村木砦内
「織田弾正忠家家臣、木下藤吉郎秀吉! 村木砦に一番乗り!!」
俺は村木砦へと足を踏み入れた。 辺り一面敵だらけだ、俺は鳴神を振り回して大声で叫んだ。
「おい!ずるいぞ! さては先陣を行ったのは一番乗りの為か!?」
後ろで利家が叫んでいた。
「へへっ バレたか。 うかうかしてると俺が一番槍、一番首も取っちまうぞ」
「そうはいかんぞ! よし、藤吉どっちが多く敵を討ち取るか勝負だ!!」
「望むところよ!!!」
俺たちは槍を振り回しながら、混乱する敵陣へと突っ込んでいった。
「おいおい、敵陣に俺ら四人だけってことを忘れてんじゃねえだろうな…」
「奴らが武辺者とて限度はある。 頃合いを見て引くぞ」
「そうじゃな。 精々わしらが見とかなならんな」
小平太と新助は向こう見ずな同僚に辟易しながらも、槍を手に敵陣へと駆けだした。
その後は敵陣で暴れつつも、適度に退却を挟みながら攻勢をかけた。
味方も俺たちが開けた穴から突入し、砦内に火を放つなどして攻勢を強めていった。
大手門や搦手門も突破に成功するなどし、次第に戦況は織田方へと傾き始めていた。
攻勢をかけておよそ6時間が経過したころ、今川方がら降伏の使者がやってきた。
勢いに任せ、敵を全滅させるのも良しと考えたが、織田方も消耗が激しかった為に降伏を受け入れた。
村木砦の戦いは織田方の完勝で幕を閉じた。
尾張国知多郡 村木砦近郊 飯喰場
「皆の者、此度はよう戦った。 これは祝いの酒じゃ、心置きなく飲むがいい。」
俺たちは戦の後、酒盛りを行っていた。信長は活躍した家臣のもとに声をかけに行くなどして、労をねぎらっていた。
俺は又左と新助、小平太の四人で飲んでいた。
あれだけ無茶な攻勢をかけたにも拘らず、全員擦り傷の軽傷だったのは奇跡だろう。
「おう! 藤吉郎に又左衛門、新助に小平太もおったか。 聞くところによるとかなり活躍をしたそうだな。」
しばらくして信長がやってくると、そう言いながら俺の杯に酒を注いだ。
戦終わりだというのに、この人は涼しい顔をしている。しかもお香でも付けているのか、いい香りが漂っている。
「殿自らにお褒めの言葉を頂き、その上酒まで頂けるとは… 某、感無量にございます。」
「まあ一番乗りの功は、叔父上の家臣である六鹿椎左衛門だがな。」
「なんと!? 某ではないので!?」
「ははっ! 俺を出し抜いた罰だな」
「なんじゃと!?」
「おっ?喧嘩か?」
「ふふ、美男子同士の絡み合いは見てて良いもんじゃ。 存分に続けるがよい」
俺と利家が立ち上がり、互いに胸倉を掴みあうと、信長がそう言って笑いだした。
酒も入っていることもあってか、信長の頬は紅潮し、妖艶さのようなものを醸し出していた。
「いえっ せっかくの祝いの席でそのようなことは のう又左!?」
「はい、全くその通りで」
背中に嫌なものを感じた俺たちは、慌てて肩を組んでごまかした。
「なんじゃ つまらんのう」
「殿 お楽しみの所失礼いたします。 此度の戦の戦果と被害になります。」
信長のもとに軍忠状を持った兵がやってきた。
軍忠状を読んでいる信長の目から、一筋の涙が零れた。
「源吾、新次郎、五三郎、帯刀… お主らの忠節 この信長決して忘れはせぬぞ」
今呼ばれた名は信長の近習だ。 俺たちも顔を伏せ、同僚の死を悼んだ。
多大な犠牲を払った織田家であったが、信長の戦いの歴史はまだ始まったばかりである。
村木砦の戦いは、本来9時間ほど掛かっていますが、秀吉たちの突破により少し決着が早まっています。
軍忠状とは戦における報告書のような物で、得た戦果や被った被害などが事細かに記してあるものです。
最後に出てきた近習の名は筆者のオリジナルになります。