26 村木砦の戦い 上
天文二十三年 一月(1554年) 尾張国愛知郡 那古野城 詰所
俺が織田家に仕官して2週間が経過した。
相撲大会での騒動のおかげで、近習の面々とはかなり親しくなれた。
特に利家とは、同じ恥ずかしさを共有したこともあってか、互いの事を「又左」「藤吉」と呼び合う仲だ。
いきなりの相撲大会だったが、これは新参の俺が他の近習と早く打ち解けられるようにという、信長の粋な計らいだったのかもしれない。
まあ、それはそうとしてあの痴態は二度と御免被るが…。
普段の俺たちの仕事は、信長の身辺警護や、戦に向けて修練を積むことなのだが、今は近習の面々と詰所で待機している所だ。
どこからか伝令が届いたようで、城内が慌ただしくなっている。
近習の身分では評定に参加できない為、詳しくは分からないが、恐らく戦が近いのだろう。
「皆の者、やはり戦じゃった。各々準備せいとのお達しじゃ」
一刻が過ぎた頃、近習頭として、評定に参加していた勝三郎が戻ってきた。
「どことじゃ?」
「水野殿の援軍として、今川とじゃと。ただ治部大輔とではなく、村木の付城を叩くそうだ」
そうか。1554年の始めは「村木砦の戦い」だったな。
この戦は水野信元の援軍として、緒川城の付城として築かれた、村木砦を攻略する戦いだ。
戦自体には勝ったものの、織田方に多数の犠牲者が出た戦いだったはずだ。
「では知多に遠征じゃの。大将は家老の右衛門尉様か佐渡守様になるかの?」
「それが、殿自身で軍を率いられるらしい」
「なんと!殿自ら援軍に参られるので? 士気は上がるが、近くに敵を抱えた中での遠征は、ちと不安があるな」
又左が驚きの声を上げた。 周りの近習連中も動揺しているようだ。
近くの敵とは、清須城に居を構える織田大和守家だ。
2年前の萱津の戦いで敵対して以来、大きな戦は起こっていないが、信長が留守になるとしたら、必ずちょっかいをかけてくるに違いない。
「家老衆も反対しておったが、当主自らが援軍に参ることで、水野の印象を良くしようという算段らしい」
「確かに水野は藤四郎殿の代に同盟を組んだばかり。 先代の右衛門大夫殿の頃は今川側じゃったな。 今、水野に裏切られると、知多が完全に今川の手に渡ってしまうという事か…」
「藤吉郎、お主聡いな。 殿もそうおっしゃっておったぞ。」
俺の呟きに勝三郎が反応した。
「そうなのか! 俺は全然分からなかったぞ!」
又左はなぜか自信満々にそう言った。 この2週間で分かったが又左は愛すべき馬鹿という印象だ。
素直なのだが、どうも頭が足りないところがある。
こいつが後の加賀百万石の祖とは、とても信じられない…
「しかし留守居はどうするので?」
「それが舅殿に頼むらしい」
「縁戚になったとはいえ、他家に城を任すなどとは、少々短絡的なのでは?」
近習の誰かがそう言うと、周りも同じ気持ちなのか、頷く姿があった。
「ああ、それを聞いた佐渡守様は、『それでは宿老の面目が立たない!』と言うなり、評定の間から出て行ってしまわれた」
「まあ気持ちが分からないわけではないがのぉ…それを佐渡守様がやってしまうと…」
「全体の士気が下がるの」
小平太の呟きに、それまでジッと聞いていた新助が答えた。
「殿が出陣されるならば、敵を討ち、殿をお守りするのが我らの使命。 何も難しいことではないだろう!」
又左がそう言って膝を叩いた。
「ふっ、其方の言う通りじゃ。 又左衛門が言う通り、我らの使命は殿の槍となり敵を討ち、この身を盾として御守り致すことに他ならない! 皆の者、各々が持てる力をすべて出し、戦に臨むぞ!!!」
「「「「「「応!!!」」」」」」
勝三郎の檄に応え、近習連中の声が部屋中に響き渡った。
天文二十三年 一月(1554年) 尾張国愛知郡 那古野城
「では伊賀守殿、留守居は頼んだぞ」
「はっ、この地では『婿殿の下知に従え』と我が主からの命を受けて申す。 婿殿もどうかご武運を」
援軍として斎藤家から派遣された、安藤伊賀守守就がそう言って信長へ頭を下げた。
周りの者は斎藤家重臣が、援軍として派遣されたことに驚きが隠せないようだ。
この男が安藤伊賀守守就か。
後世では稲葉良通、氏家直元と並んで西美濃三人衆と称される武将である。
他の三人衆と同じ時期に信長に内通し、斎藤家滅亡後は正式に織田家臣として各地を転戦する。
晩年に追放処分を受け、本能寺の変後に所領を回復しようと挙兵するが、かつて同輩であった稲葉良通に討たれ生涯に幕を下ろした。
ちなみに俺が知己を得た半兵衛の舅でもあり、半兵衛の稲葉山城乗っ取りに加担した武将でもある。
「少数ではありますが、某の配下でも戦上手を何人かお貸し致す。 存分に使って頂きとう存じます。」
「貴殿の心意気、ありがたく頂戴致す。 では皆の者出陣じゃ!!!」
「「「「「「応!!!!!」」」」」」
信長の下知で、俺たちは緒川城を目指して行軍を始めた。
尾張国 熱田湊
「ですから何度も申した通り、無理なものは無理なのでございます!」
行軍を始めた俺たちに早速トラブルが発生した。
救援先である緒川城は知多郡に位置しており、本来なら陸路で向かう所だ。
しかし今川方の調略により、道中の寺本城が寝返っており、陸路を封鎖されてしまっていた。
その為、海路で知多半島を大回りして行く予定だったのだが…
「このような大嵐では船など出せません!!」
まさかの悪天候で足止めを食らっていた。
情報によれば、村木の地に砦が出来てから2年が経過しているらしく、長くはもたないとのことらしい。
水野氏は前々から救援を出していたのだが、信秀の死去や清須勢との争いで織田家が安定しておらず、信長としては出すに出せない状況だったらしい。
このままでは水野氏が離反してしまう為、一刻も早く援軍に向かいたいのだろう。
「お主ら源平合戦は知っておるか?」
「はぁ、知っておりますが…」
「では屋島の時の九郎判官と平三の逆櫓争いは知っておろう。 あの時の嵐もこんなものだっただろう。源平の頃に出来て、今の船頭が出来ないわけがなかろう」
信長は胸を張ってそう言った。
確かに昔に出来て、今は出来ない通りはないと思ったのか、船頭の中でも騒めきが起こっていた。
「……分かり申した。船をお出ししましょう」
船頭らは渋々といった様子だったが、一応船を出してくれるようだ。
尾張国 知多郡西部
船は荒天を避ける為、陸から近い所を航行していたが、知多郡に差し掛かった所で、更に風が激しくなった。
「これ以上は無理でございます!! なにとぞご勘弁を!!!」
「緒川まではまだ遠いが致し方あるまい… 船を岸につけよ! ここからは陸路で行く!!」
流石に転覆しては敵わないと思ったのか、信長が接岸を命じた。
始めてこの時代の船に乗ったが、ぶっちゃけ恐怖しか感じなかったのでありがたい。
近習連中も青い顔をしているのが大半で、ピンピンしているのは信長だけだ。
「皆の者。 今宵はここで陣を張り休息し、明朝緒川城に向けて行軍を致す」
信長のその言葉を聞き、俺たちは野陣の作成に勤しんだ。
悪天候の中の船旅に野宿… 戦国の洗礼を浴びた気がする1日だった。
俺はそう思いながら兜に頭を乗せ、眠りにつくのだった。