25 近習
天文二十三年(1554年) 尾張国愛知郡 那古野城
俺は生駒屋敷で信長に取り立てられると、そのまま那古野城へと連れてこられた。
普通だったら家に戻って準備をして、その後出仕するものだと思うが、せっかちな信長らしいと言える。
「藤吉郎、お主出身はどこじゃ?」
今俺の前で質問をしている男が、織田上総介三郎信長だ。
若き日は尾張のおおうつけと呼ばれ、後に第六天魔王と称された戦国の風雲児であり、誰しも一度はその名を聞いた事があるであろう。
戦国武将の中では一番有名と言っても過言ではない武将である。
身長は5尺6寸であり、体型は細身ですらっとしている。
しかし頼りなさを感じることは無く、しっかり筋肉もついているようだ。
髪型は信長の代名詞である茶筅髷であり、月代も作っていない。
それよりも印象的なのは顔である。
この人どちゃくそにイケメンなのだ。
現代にいたら男性アイドルかファッション雑誌のモデルにでもなってそうなイケメンだ。
目はつり目がちであり、信長の苛烈な性格をよく表していると言えるだろう。
瞳は漆黒で、見ていると吸い込まれそうな気分になってしまう。
髭が生えておらず、この時代にしては肌の状態も整っていることや、声が高いのもあって、一見すると女性に見えてしまいそうなところもある。
俺にそっち系の趣味はないのだが、見ているとなぜかドキドキしてしまう。
これは憧れの人物に会えた感動なのか。それとも………
何も考えないことにしよう、そうしよう。
今は聞かれたことに対して返答をしなければ…
「尾張国愛知郡の中中村でございます。 元は百姓でしたが、武の道を志し、駿河や美濃、大和で武者修行をしておりました」
「ほうか、武には覚えがありそうじゃな。 中中村というと、最近城が建ったと聞くが、お主何か知らぬか?」
「恐れながら、拙者の一族と家臣が築いたものかと存じます。上中村には栗山城や日比津城。下中村には岩塚城、稲葉地城などがあり申すが、中中村にあるのはそれだけかと…」
「ふん、百姓風情が城を構えるとは面白い。 お主の一族と言うたな、お主はあの城を相続する立場なのか?」
「次期当主であります故、家督を継げばあの城は拙者の物になりましょう」
「なら良い。 なに、あれだけの城や農地、兵を持っておって、土豪とさして変わるまいと思うてな。 近いうちに兵を差し向け、恭順させようと思ったが、お主の家ならば問題ないな」
もし俺の帰郷が遅かったら、家がなくなってしまったかもしれなかったのか、危なかった…
それにしても、信長は城内に入ってから、かなりのハイペースで歩いている。
いくつか門や曲輪を抜けたが、いったいどこに向かっているのだろう…?
「爺! 今帰ったぞ」
城内を歩いていると、1人の老人と出会った。
「これは殿、お早いお帰りで。 はて、そちらの御仁はどちら様で?」
「蔵人の所でな。使えそうだで召し抱えたのよ。」
「近習としておくので? 素性の知れない者を、近くに置くのは危のうございますぞ!」
「小言は良い。 それより勝三郎らはどこじゃ?」
「確か、馬廻りと共に鍛錬をしているはずですが…」
「わかった。 行くぞ、ついて参れ。」
爺と呼ばれた老人は、まだ何かを言いたげだったが、信長は気づかないふりをして、さっさと行ってしまった。
「殿。今のは…」
信長に『爺』と呼ばれる人物は、1人しか思い浮かばない。
しかしその人物はすでに亡くなっているはずなのだが…
「爺のことか? 平手の爺は儂の傅役よ。 武芸だけでなく茶道や和歌にも精通しておる故、隠居の身ながら、引き続き儂の近くに仕えておるのよ。 少し口うるさいのが玉に瑕じゃがな。」
やはり平手政秀か!
史実ではもうすでに自刃しているはずだが、まさか生きているとは…
自刃の理由については、信長の奇行を諫める為とか、息子に謀反の兆候があり、その責任を取った為だとか、様々な説があるが真相は分かっていない。
平手の爺様がいれば、織田家の外交や内政は安心だろう。
今、平手の爺様に所在を聞いた相手は、池田勝三郎恒興か。
恒興は信長の乳兄弟で、特に信頼の厚い家臣だ。
信長の主要な戦には殆ど参加し、安定した活躍を見せたが、織田家の中ではいぶし銀的な武将かもしれない。
本能寺の変後は秀吉に近づき、清須会議にも織田家重臣として参加した。
最期は小牧長久手の戦いで秀吉方につき、長男元助と共に無念の討死を遂げた。
家督を継いだ次男輝政は、姫路城を現在の姿へ大改修したことでも有名だ。
今の恒興は恐らく信長の小姓か近習だろう。これからするのは顔合わせといったことかもしれない。
尾張国愛知郡 那古野城 中庭
「勝三郎!!! 帰ったぞ!!」
「これは殿! お戻りになられるのであれば、某がお迎えに上がるものを…」
信長の声を聞いて、手に模擬槍を持った青年が駆けてきた。
身の丈は5尺4寸程だろう。見た目には余り特徴がないが、この青年が池田恒興か。
遠くに何人か見えるが、あれも近習たちなのかもしれない。
「いい拾い物をしてな、早めに戻ったのよ。 又左と新助、小平太もおったか、お主らもこい!!」
「「「はっ!!!」」」
目の前に4人の青年が並んだ。
1人は池田恒興、後の3人は仮名から察すると、前田利家と毛利良勝、服部一忠だろう。
3人とも信長の馬廻りとして有名な武将だ。
「蔵人の屋敷で出会った男じゃ。儂が見ておった限りじゃが、武に覚えがありそうでな。気に入った故、取り立てたのよ。 こいつを近習にしようと思ってな、それならば顔合わせをと思ったまでよ。 ほれ藤吉郎」
俺は信長に促されて自己紹介をしがてら、暫く4人と話すこととなった。
皆の性格を一言で表すならば、恒興が生真面目、利家はやんちゃ、良勝は寡黙、一忠がおしゃべりといった所か。
ちなみに体格は利家が1番大きく、俺と変わらないほどの長身だった。
反対に1番小さいのは一忠で、恐らく5尺2寸ほどだろう。
「挨拶も済んだようじゃな。 実はお主たちに1つやってほしいことがあっての」
「何でございましょうか?」
信長の一言に、代表して恒興が聞き返した。
「相撲じゃ」
「「「「「はっ?」」」」」
思わず5人ともが聞き返してしまった。
「だから、相撲じゃよ」
(((((やっぱり聞き間違いじゃなかった!!)))))
俺たちの心が1つになった瞬間だった。
信長の一言でなぜかいきなり相撲大会が開かれてしまった。
参加者は俺を含めた近習5人で戦い、優勝した者が信長と相撲をとるらしい。
利家に聞くと、こういうことは良くあるそうだ。
信長はかなりの相撲愛好家で、元亀元年(1570)に常楽寺で行ったのを皮切りに、何度も上覧相撲を開いている。
嘘か真か、相撲番付の東西や行事の制定、更には土俵を作ったのは信長だという説があるほどだから筋金入りなのだろう。
「さてやっと俺の番か。 藤吉郎殿、覚悟はよろしいか?」
「又左衛門殿、いつでもようございます。」
予選は俺が勝ち進み、シードの利家と当たることとなった。
6尺越えの2人がとるだけあり、かなり迫力があるのだろう、信長は興奮気味で見ている。
ちなみに俺たちは上裸だ。信長がそっちの意味で興奮していないかが少し心配だが、気にしないでおこう。
「おぉぉ!!!」
先に仕掛けたのは利家だった。
「むぅぅ!!!」
俺はぶち当たってきた利家を胸で受け止めると、袴の腰を掴んだ。
利家も負けじと掴んできたので、がっぷり四つになっている。お互いに力が拮抗しており中々勝負がつきそうにない。
音を聞きつけたのか、城内の人間が中庭へ集まってきており、軽くお祭り騒ぎのようになっていた。
「ふん!!!」
俺は利家の力が緩んだところで上手を切り、全力で下手投げをかけた。
利家も懸命に堪えるが、上手を切られたことにより、力が入らないようだ。
いけると思ったその時、下の方からビリッっと何かが破れる音がした。
恐る恐る下に目をやると…
俺と利家の袴が破れ、お互いに褌一丁になっていた。
しかも褌もずれており、今にもまろびでそうな所だった。
事態を理解した次の瞬間、那古野城には俺たちの悲鳴と、信長の笑い声が響き渡っていた。
なんと平手の爺様が存命です。
生きている理由もちゃんとありますが、まだ明かすことは出来ません。
蔵人は生駒屋敷の主である、生駒家宗の通称です。
ナニはとも言いませんがポロリはしていません。