21 宝蔵院
天文二十二年(1553年) 大和国
伊賀国を出た俺たちは、山道を抜けて大和国へ入った。
道については弥太郎に土地勘があった為、今度は迷わずに行くことが出来た。
「勘次郎は美濃の出なんだな。俺は三河から伊賀に帰る時は船を使ったから行ったことはねぇなぁ…」
「よく船に乗れましたね。伝があったんですか?」
「いや?伊勢に行くっていう話を耳に挟んでな。こっそり積み荷に紛れたんだぜ。」
「よくそれで伊賀に帰れましたね…」
俺の後ろで2人が談笑をしている。初対面のイメージは最悪に近かっただろうが、同い年の男子であり後に猛将として名を馳せるだけあってか、すぐに打ち解けたようだ。
「それで藤吉郎様。なぜ大和国に行くんです?仕官でもするんでしょうか?」
「たしか興福寺の僧に会いに行くとおっしゃっていましたね。」
「そうだ。正確に言うと興福寺塔頭の宝蔵院だがな。そこに胤栄という僧がいる。胤栄は槍術、刀術に精通していると聞く故学びに行こうと思うてな。」
「宝蔵院の胤栄なら南都に其の人有りと言う噂を聞いた事があるな。」
「そうか伊賀でも噂になっているのだな。勘次郎は聞いた事があるか?」
「某は聞いた事がありませぬ。弥太郎言葉遣いを改めよ、藤吉郎様は我らが主ぞ。」
「すいません…。」
勘次郎に窘められると弥太郎は俺に頭を下げた。最初と思うとだいぶ素直になったものだ。
元々敬語に慣れていないのと、弥太郎の兄である市平保俊は俺と同年ということもあり、俺と兄が重なる所もあるのだろう。
個人的には歳も近いしもう少し緩くてもいいと思うが、武士の世では主従は絶対なのでしょうがないことだ。
そうこう話しているうちに興福寺に到着した。
近辺には東大寺や春日大社など現代にも残る歴史的建造物が数多くある。
ちなみに東大寺の大仏殿は2度焼けており、1回目が1180年で2回目が1567年だ。
1回目は焼失から20年程で再建されたが、2回目の再建は消失から140年以上が経った1709年とかなり時間がかかっている上、大仏本体や大仏殿自体も小さくなっているそうだ。
今は1553年なので現代よりも大きな大仏が拝めるはずだ、暫く滞在する予定なので1度は見ておきたいものだ。
興福寺 宝蔵院
俺たちは興福寺の塔頭である宝蔵院を訪れた。
外で若い僧が境内の掃き掃除をしているので聞いてみることにした。胤栄がいるとよいのだが…。
「御免。ここに胤栄という僧がいると聞いたのだが…」
「院主様でありますか?失礼ですがどちらの家の方ですか?」
「申し遅れてすまなかった。某は旅の武芸者で木下藤吉郎秀吉と申す。宝蔵院に武芸に通ずる僧がいるとの噂を聞いて美濃から参上した次第。こちらは共の勘次郎と弥太郎に。院主殿にお目通しを願いたいがよろしいか?」
「美濃から遥々とありがとうございます。今確認してまいりますので暫しお待ちを。」
暫くすると先程の僧が戻ってきた。お目通りの許可だけでなく、槍合わせもしたいとのことらしい。
胤栄は若い頃から武芸を嗜み、数々の名手との交流があったと記録にも残っている。俺が武芸者と聞いて興味をひかれたのかもしれない。
中に通された俺たちは講堂で胤栄と対面することとなった。
「お初にお目にかかります。拙僧が宝蔵院院主 覚禅坊胤栄と申します。」
目の前に袈裟を着た僧がいた。一見すると普通の僧だが、佇まいから独特の闘気を感じた。
これが数々の武芸を修め、僧の身でありながら宝蔵院流槍術を創始した者か…。
「後ろに立てかけてあるのは貴殿の物ですか?」
胤栄殿は俺の後ろにある鳴神を指差していた
「はい、某の槍ですが。」
「見たことのない形で興味を引かれましてな。貴殿さえよければその槍で仕合てみたいが、如何でしょうか藤吉郎殿」
「これは馴染みの関鍛冶が鍛えたもので、かなりの切れ味を誇っております。それでもよろしいか?」
「ええ。腕には少しばかりですが自信がありましてね。それと藤吉郎殿も相当な腕前と見えます。そのような武術家が見誤るとは思えませぬ。」
そう言って胤栄殿はカラカラと笑った。俺の腕を評価してくれているようだが、万が一があるといけない。十分に気を付けて仕合わねば。
境内に出ると俺は鳴神を、胤栄殿は素槍を持って立ち会った。
俺たちの槍合わせを一目見ようと、宝蔵院の僧たちが何人か集まって来た。勘次郎と弥太郎も僧たちに紛れて見ているようだ。師として恥ずかしい所は見せないよう気張らねばな。
興福寺 宝蔵院 境内
「ではこれより武芸者木下藤吉郎殿と院主胤栄の槍合わせを行う。双方構え!!」
合図をするのは先程俺たちを案内した若い僧だ。もしかしたらこの僧も武術に覚えがあるのかもしれない。
俺は鳴神を下段に構え半身の姿勢を取り、胤栄は腰を落とし中段に構えた。
「始め!!!」
「イヤァァァァァ!!!」
裂帛の気合と共に胤栄殿の槍が鋭く俺の方に向かってきた。俺は咄嗟に槍を沿わせて避けたが、もし当たっていたら怪我ではすまないだろう。
こいつ模擬槍と間違えているんじゃねぇだろうな?
そう思いながら再び突き出された槍に合わせ、俺は下から槍を突き出した。
胤栄殿の槍が上に逸れたのを確認し、俺は素早く懐に潜り込んだ。もちろん槍を引けないよう槍の柄は掴んでいる。
「槍の弱点は懐に入られること。胤栄殿勝負ありましたな。」
俺はそう言うと槍を手放した。
胤栄殿は槍を手放すとその場で俯いている。何かぶつぶつと言っているようだしどうしたのだろうか?
「すばらしいぃぃぃぃ!!!!!!その槍の何たる機能美か!まさか槍にそのような使い道があるとは、胤栄感服致しました!! いつどこでその槍を作ったので!?いえ、発案されたのでしょうか!?鍛えられた鍛冶師はどなたで!?美濃から参られたそうでしたな、では関鍛冶の!?少し槍を見せて頂けませぬか!?」
胤栄殿がものすごいテンションで詰め寄ってきた。俺の手は取るし、目は少し血走っているようにも見える。
初対面の時の落ち着いた印象とは正反対の胤栄殿の様子に驚きが隠せない。ここまで詰め寄られると正直恐怖を感じるレベルだ。
勘次郎も弥太郎も余りのギャップに脳が追い付いていないのか、呆然といった様子だ。ぶっちゃけ早く助けてほしい。
胤栄殿の様子を見て俺はこう思った…
『こいつ、もしかしたらめんどくさいタイプの武術オタクなのかもしれない…。』
その後も暫く、胤栄殿からの質問の嵐が止むことは無かった。