20 鬼二人
天文二十二年(1553年) 伊賀国阿拝郡 千賀地屋敷 稽古場
「凄腕かは分からぬが一角の武人であると自負しておる。貴殿が弥太郎殿か?」
「おう!俺が弥太郎だ。兄者や市郎が世話になったようだな。だが俺の槍は一味違うぜ?」
そう言って弥太郎は模擬槍を振り回した。
恐らく体格は俺とほぼ変わらないだろう。実際の槍よりは軽いが、そこそこの重さの模擬槍を縦横無尽に振り回すところを見ると膂力もかなりのものだ。
「弥太郎は5つの時に1俵の米俵を持ち上げた剛力の持ち主じゃ、藤吉郎殿お気を付けなされよ。」
「なんと!?それは誠か!?」
米俵は1俵で60㎏だ。5歳の稚児が到底持ち上げられるものではない。
自信満々な弥太郎殿の様子を見ると今まで負けなしだったのだろう。しかし俺にも意地がある、簡単に負けてやるわけにはいかない。
「弥太郎殿何時でも参られよ。」
そう言って俺は槍を下段に構えた。
「遠慮なくいかせてもらうぜ!」
弥太郎殿は上段から思い切り槍を振り下ろした。簡単に返せると思い、槍を合わせたがその瞬間俺の腕に激痛が走った。
俺は何とか受け流し距離を取った。逸らした槍は稽古場の床にめり込んでいる、なんという剛力だ。
これは面倒な相手だ。俺は腕の痺れを取る為に両手を振りながらそう思うのであった。
伊賀国阿拝郡 千賀地屋敷 稽古場 各務勘次郎
「これは、藤吉郎殿でも難しいやもしれぬな。」
弥太郎殿の猛攻を受け続ける藤吉郎様を見ながら、半蔵殿がそう呟いた。
「いえ、そうでもないかもしれません。」
「何を言う、先程から防戦一方ではないか。藤吉郎殿は受けるのみで攻めに転じられておらぬ。」
藤吉郎様から昨夜お聞きしたが、半蔵殿は諜報などを得手とする忍びらしい。
槍術は専門ではない故分からぬのも無理はない。俺も藤吉郎様に槍術を習いだしたから何となく分かるのであって、父上のもとにいる頃の俺ならば半蔵殿と同じことを思っただろう。
一目見れば防戦一方に見えるが、藤吉郎様は弥太郎殿の動きを見て隙がないか見極めておられる。
それと弥太郎殿の体力を使わせるお考えもあるのかもしれない。実際に最初と思うと勢いが少し弱まっているように思える。
初めは槍で受けていたのも、体捌き、足捌きでかわすようになってきている。恐らく決着は間もなくつくだろう。
伊賀国阿拝郡 千賀地屋敷 稽古場 木下藤吉郎秀吉
「なんで当たらねぇんだ!!」
槍が一向に俺に当たらないことにしびれを切らせたのか、そう弥太郎殿が絶叫した。
「貴殿の膂力は賛辞に値する。俺も剛力の持ち主だが貴殿と同じ齢に同じことは出来ぬだろう。しかし槍術は力だけではない。すべての武術に通ずることだが『心・技・体』が揃わねば意味がないのだ。俺もある御仁にそれを再確認させられたがな。貴殿の槍は力しかないのだ。だからこうも簡単に避けられる。」
俺は弥太郎殿の猛攻を避けながら話した。
俺は弥太郎殿を見ながらもったいないなと感じていた。
技術さえ覚えれば槍使いとしてかなりの者になるのにと。
甚六殿も俺の姿を見て同じことを思ったのかもしれない。だから「心・技・体」の話を俺にしたのだろう。甚六殿に教わったように、此度は俺が弥太郎殿に教えていかねばな。
俺は弥太郎殿が大振りになったのを見逃さず、体を滑り込ますと腹に向かって槍を突き出した。
本来なら石突の部分だが模擬槍はただの棒だ。少し痛いが我慢してもらおう。
「ぐはっ!」
息が詰まったのかその場で弥太郎殿は崩れ落ちた。
「先程も申したが貴殿の槍には力しかない。力任せに振るうのは格下相手には有効かもしれんが、格上相手には児戯に等しい。良い師匠でも付けばよいのであろうが、お父上に反抗する貴殿の性格を鑑みると難しいやもしれんな。」
そう言って俺は背を向けた。
「半蔵殿、本日の修練は以上でよろしいか?」
「ああ、ご苦労だった…」
いとも簡単に弥太郎殿が倒されたのを見て唖然と言った様子だ。
「勘次郎、部屋に戻るぞ…」
「舐めやがってぇ!!!」
俺が勘次郎に声をかけたその時、弥太郎殿が起き上がり俺に突っ込んできた。
俺に手ひどくやられたのもあり、素直に負けを受け入れられぬのだろう。身体は大きくともまだ子どもらしいところもある。
俺は突っ込んできた弥太郎殿の手を取ると、勢いそのまま一本背負いで床に弥太郎殿を叩きつけた。
弥太郎殿は碌に受け身も取れなかったのか、痛みで動けない様子だ。
「その意気や良し。鍛錬の時間ならいつでも受けて立とう、明日は初めから来るようにな。」
俺はそう弥太郎殿に言い残すと稽古場を後にした。
負けたのが相当悔しかったのだろう、弥太郎殿は俺に何度も挑んできた。
しかし何度かあしらうといきり立って襲ってくるものだから、組み打ちになることもある。
弥太郎殿以外の子息にも教えないといけないので、柔術で抑え込んだり締め落としたりしてほかっておくことにした。
そうしてあっという間に5日が経った。
「貴殿ほどの剛の者を当家におけないのはもったいない限りじゃの、5日の間倅共を鍛えてもらい感謝する。特に弥太郎への接し方は儂も考え直さねばならんようじゃな。これは5日間の禄じゃ、少し色を付けてある故路銀にも充ててくれ。」
「ありがたく頂戴します。うちの勘次郎もそうですがまだ11の子どもです。褒める所は褒め、愛を持って接すれば弥太郎殿も心も開いてくれるでしょう。では出立いたします、短い間ですがお世話になり申した。」
「次は道に迷われぬようお気を付けくだされ。」
「あい分かった、では勘次郎行くぞ」
「待ってくれ!!!」
出立しようとした俺たちの前に立ち塞がったのは弥太郎殿だった。
手には槍を握り締め、背中に風呂敷のようなものを背負っており旅支度をしているように見える。
まさか…と思い目を見開くと、弥太郎殿が話し始めた。
「お前また旅に出るんだろ!?だったら俺も連れてけ!良い師匠がつけば俺は強くなれるんだろ!?だったらお前が俺の師匠になればいい。お前は俺が今まで会った中で一番強え男だから俺の師匠に相応しいだろ!」
そのまさかだった。
とんでもなく無礼な物言いで図々しいにもほどがあるといったものだ。こんな押しかけ弟子聞いた事無いぞ。
半蔵殿も呆気に取られて叱ることすら出来なくなっているではないか。
どうしたものかと思っていると勘次郎が口を開いた。
「黙って聞いていればぬけぬけと…。弟子になりたいのならそれ相応の態度というものがあるでしょう!せめてその言葉使いを改めよ!師と仰ぐ方に対し無礼にも程があるぞ!!」
ごもっともな物言いだ。それにしてもこんなに怒りをあらわにする勘次郎は初めてだ、俺は師として主として慕われているのだと思い嬉しく感じた。
「はぁ?お前何言ってんだ、俺は俺より弱い奴の話なんて聞かねえよ。悔しかったら俺を倒して言うことを聞かせてみろ。お前には出来ない話だったか?」
弥太郎殿がそう言った瞬間、ブチッっと何かが切れるような音がした。音の出所に恐る恐る目をやると…
目を吊り上げ、身体を小刻みに震えさせながら怒り狂う1匹の小鬼がいた。握りしめた拳はギリギリと音を立てている。
「藤吉郎様。あの者を懲らしめる許しをお願い致します。」
普段の勘次郎からは想像することができないほどの冷たい声だった。
「お、おうやりすぎるなよ。」
勘次郎の様子を見て俺はそう言う事しか出来なかった。
「御意。」
屋敷には弥太郎殿の悲鳴が響き渡った。
~数分後
「先程の無礼な物言いや行い、謹んでお詫び申し上げます。」
俺の前には可哀そうに思えるほど、こっぴどくやられた弥太郎殿が平伏していた。
弥太郎殿の隣では勘次郎が、やってやりましたと言わんばかりに胸を張っていた。
勘次郎も無傷ではないが、弥太郎殿より遥かにピンピンしていた。
また勘次郎の後ろに尻尾のようなものを幻視したが、これはとんでもない忠犬だな…。
「おう、これから気を付けるが良い。それでお主は俺と共に来たいのか?」
「はい、藤吉郎様の強さに憧れ申した。素直にお伝えするのが恥ずかしく先程は無礼な物言いになってしまいましたが、弟子になりたいという思いは誠であります。どうかこの千賀地弥太郎を家臣の列にお加えください。」
そう言って弥太郎殿は再度平伏した。態度から見るに本心であるのは間違いないだろう。
俺は半蔵殿の方を見た。半蔵殿も弥太郎殿の覚悟を尊重するのか、静かに頷いた。
「半蔵殿の了解も得られた故、お主を弟子として家臣に加えよう。弥太郎、これから頼むぞ。」
「はい!藤吉郎様を師として、そして主として誠心誠意お仕えさせて頂きます!」
「また藤吉郎様について舐めた口を聞いたら、分かりますね?」
「はいぃ!」
そう凄んだ勘次郎に対し、怯える弥太郎。弟子の中で完全に力関係が出来てしまったようだ。
同い年でもあるし旅をする中で仲良くなってくれるとよいが…。
にしても鬼兵庫に鬼半蔵という2人の鬼を連れて旅をすることになるとは思いもしなかった。
俺はそう思いながら、伊賀国を後にするのだった。
後の服部半蔵正成が仲間になりました!
ちなみにこの時点での勘次郎と弥太郎の実力は五分です。ちゃんと戦えば技術の勘次郎、力の弥太郎でいい勝負になります。今回圧倒出来たのは弥太郎は元々戦うつもりがなかった為油断していたのと、勘次郎が怒りでリミッターが外れていたからです。
以下はこの時代の千賀地家についての補足説明です。
半蔵保長は松平清康に仕えていたとの記録がありますが、「森山崩れ」から永禄年間初めまで記録が途絶えています。通説では松平家に見切りをつけたのではないかとあるので、本作では「森山崩れ」を機に伊賀へ戻ったということにしてあります。
半蔵正成も大樹寺の脱走から初陣である「宇土城攻め」までの記録がない為、本作では伊賀に戻ったという形にしてあります。(ちなみに半蔵正成の初陣については諸説あります。)