16 命の水
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天文二十二年(1553年) 美濃国大野郡
甚六殿の所を後にした俺たちは大野郡へと移動していた。
探している武将は竹中半兵衛重治だ。秀吉の家臣では、かなり有名な方ではないかと思われる武将だ。
竹中半兵衛の初陣は12歳の時で、斎藤義龍に対しての籠城戦であった。
半兵衛は初陣にも拘らず、それを母や弟と共に一歩も引かずに退けた話が残っている。
その後も信長の美濃侵攻を幾度となく防ぐなどの高い軍略の才を持ちつつ、自らを筆頭に僅かな手勢のみで、難攻不落と言われた稲葉山城を占拠する豪胆さをも持っているなど文武両道な武将である。
秀吉の三顧の礼をもって織田家に属してからは、秀吉配下として姉川の戦いや長篠の戦いなどの数々の戦に従軍。最後は三木合戦中に病に倒れる。秀吉家中では名参謀として黒田官兵衛孝高と共に『両兵衛』と称された。
しかし軍功に関する逸話や美談などは後世の創作であるという話や、そもそも秀吉直参ではなく織田家からの与力武将であるともいわれており、事実上の実情が極めて不明瞭な人物である。
半兵衛はまだ子どもであると思うが、いったいどんな人物であるのか楽しみである。
この頃は父の竹中遠江守重元が健在で、確か岩手姓を名乗って大御堂城を拠点としていたはずだ。
地方領主としても力を持っているはずだから、すぐ見つかることだろう。
美濃国大野郡 大御堂城
「確かにここは岩手遠江守様の居城だが、お主を通すわけにはいかぬ。」
「そこを何とかならぬものか?」
「ならぬ、お引き取りを願う。」
無事大御堂城には辿り着いたが、俺たちは門番に門前払いを受けていた。
完全に取り付く島もないといった様子だ。
ここまで頑なだと交渉しても無駄だろう、ここは出直すしかない。
俺は勘次郎を伴って、大御堂城を後にすることにした。
美濃国大野郡 大御堂城付近 茶屋
「藤吉郎様、岩手遠江守殿への拝謁は叶いませんでしたね。ここからどう致しますか?」
「うむ。武儀郡で俺の祖父に槍を頼んでおってな。約束の期限にはまだ遠いが受け取りに行こうと思っとる。これから美濃国を出て、近江、山城、大和へ向かおうと思っておるから美濃国を出る前に行かねばな。」
「では腹ごしらえをしたら向かわれますか?」
「そうしようか」
注文をしようと茶屋の主人を呼ぼうとした時、目の前の商人の噂話が聞こえてきた。
「大御堂の若様の加減はどうなんじゃ?」
「それが良う無いらしい、高熱が何日も続いとるらしいぞ。」
「確か長男の久左衛門様も、昨年病気で夭折されたと聞く。何か悪いもんでも憑いておるのかもしれんのぉ」
「あぁ恐ろしや、くわばらくわばら…」
そう言って商人らは消えていった。
「聞いたか、勘次郎。」
「しかと、我らが門前払いを受けた理由はご子息のご病気故だったのですね、ならば仕方ありませぬ。」
「病気か…もしかしたらやりようがあるかもしれんな。勘次郎、再び城へ向かうぞ。」
「えっ?あ、かしこまりました!」
俺たちは注文をすることなく、茶屋を出ると再び城へ向かった。
美濃国大野郡 大御堂城
「またお主らか、何度来ても無駄じゃ通すことは無いぞ。」
「当主のご子息がご病気ではそうだろうな。」
「お主どこでそのことを!」
「商人どもが噂しておったわ。恐らく城下では広く知られておるのだろうな。」
「理由を知ったからなんだ、まさかお主が治すとでも言うまいな。」
「そのまさかよ。某、木下藤吉郎秀吉と申す、武芸者であるが些か医術の知識を持っておる。昨年ご嫡男を亡くしておる岩手様は藁にも縋りたい思いではないのか?」
俺はそう言って笑った。門番は俺の言葉を聞くと急いで城に引っ込んだ。
しばし待つと先程の門番が、当主の下へ案内をすると出てきた。弱みに付け込むようで悪いが、会うにはこうするしかない。
「岩手遠江守重元じゃ。吉助を治して頂けると聞いたが真か?」
広間に通されると遠江守殿が待っていた。頭髪に白い物が混じっている為そこそこの歳なのだろう。
岩手遠江守重元は土岐氏、斎藤氏と仕え、晩年には六角氏の求めで浅井氏と戦い感状を受けたらしく、あまり有名ではないが武将としても優秀なようだ。
ちなみに姓を竹中に改めたのは、同族である岩手弾正を追放し、菩提山城に居を移してかららしい。
「まずはご子息を確認させて頂きたい。助かるかどうかは、今の状態によるとしか言えませぬ」
「そうだな。案内しよう、奥の座敷じゃ。共の者はここで待っておれ。」
俺は勘次郎と別れ、奥の座敷へ向かった。
美濃国大野郡 大御堂城 座敷
「こちらが嫡男の吉助じゃ。吉助が病に臥せってから5日は過ぎておる。薬師も呼んだが、消耗しており薬を飲む気力もないようじゃ。藤吉郎殿如何でしょうか?」
座敷には布団が敷いてあり、そこに子どもが寝ていた。
女児のような見た目だが嫡男というには男だろう。確か半兵衛は「その容貌、婦人の如し」と記録に残るほどだった。
その見た目から青びょうたんと侮られ、同じ斎藤家家臣から小便をひっかけられるという何とも情けない話も伝えられている。
子どもはぜぇぜぇと苦しそうな呼吸をし、時折鼻をすすったり、せき込んだりするなど苦しそうな様子だ。
「座敷に入って子息殿に触れるがよろしいか?」
「ああ、よろしくお願い致す。薬師には今夜が峠かもしれんと言われている故、助からんでも貴殿のせいではない。しかし治るのならば協力は惜しまん。どうか倅をよろしく頼む。」
俺は触診を始めた。顔が火照りっており熱が出ているようだ。着物も布団も汗で湿っている。
子どもに多い病気として『溶連菌感染症』がある。しかし首のリンパ節が腫れておらず、触っても痛がる様子もないので違いそうだ。耳下腺にも腫れはない為、『流行性耳下腺炎』通称おたふく風邪でもないようだ。
この2つはどちらも子どもに多い病気で、溶連菌は溶血性連鎖球菌という細菌。おたふく風邪はムンプスウイルスが原因で起こる為、俺にはどうすることも出来ないので違って安心した。
次は『肺炎』の可能性だが、肺炎の症状は風邪と酷似しており、レントゲンなどがない戦国の世では判別することは出来ない。
おまけに肺炎の原因は肺炎球菌やウイルスである為、こちらも俺にはお手上げだ。
ここはただの『風邪』だと信じてやってみるしかない。
「この城に塩と砂糖はありますか?後台所で湯を沸かし、座敷に持参するようお伝え下さい。」
「塩はあるが砂糖は高級品故あるか分からん、家臣に探させよう。湯についてもあい分かった。」
「後俺の共を呼んでほしい。いくつか揃えるものがある。」
そう言って遠江守殿は広間の方へ走っていった。
「勘次郎参上しました。某に頼みたいこととは何でしょう?」
「城下に行き、葱を1本と新鮮な鶏の卵、そして新しい手ぬぐいを用意してほしい。」
「は、直ちに!」
俺の言葉を聞き勘次郎は城下に駆けだしていった。何に使うか疑問に思うだろうが、素直にやってくれるのはありがたい。
「砂糖は少量だがあったぞ。これをなにに使うのだ。」
「では台所をお貸し願いたい。作るのは、さしずめ『命の水』といった所でしょうか?では炊事場に案内を、事態は一刻を争う。」
俺は遠江守殿の急かし、炊事場へ急いだ。
美濃国大野郡 大御堂城 炊事場
炊事場に行った俺は早速準備を始めた。
用意してもらったのは「白湯」「塩」「砂糖」の3つだ。吉助殿は大量の汗をかいていたが、余り水分を取っていないようだ。このままでは脱水症状を起こしてしまう為『経口補水液』を作ることにした。
作り方は簡単で白湯に少量の砂糖と塩を混ぜるだけ。
各材料の働きだが、白湯は水分、塩は体から抜けたミネラルを補給する効果。砂糖は体内に水分やミネラルを吸収させる効果がある。
「只今戻りました!」
混ぜ終わった頃、勘次郎が帰ってきた。手には先程頼んだものがあった。
俺は勘次郎から葱を受け取ると細かく切れ込みを入れ、手拭いを巻いた。
「勘次郎。遠江守殿に替えの布団や着物を持ってきて頂けるように頼んでほしい。」
「は!」
美濃国大野郡 大御堂城 座敷
俺は座敷に戻ると吉助殿の首に葱を巻いた。
おばあちゃんの知恵袋のような民間療法だが、実はきちんと効果がある。
葱には「アリシン」という辛み成分が入っているのだが、これには強い殺菌効果があるのだ。
アリシンは揮発性が強く、葱にいれた切れ込みから揮発し、鼻や喉の粘膜に吸収されることで炎症を抑えることが出来る。
「これを飲みなさい、楽になるぞ。」
俺は吉助殿の口に経口補水液を入れた竹筒をあてがった。弱弱しい口つきだったが、吉助殿は飲んでくれたようだ。
後は布団を着込み、体温を上げることで免疫細胞を活性化させ、体の中の菌を排除するしかない。
だが体温の上げすぎも良くない為注意し、汗で濡れた着物や布団はこまめに取り換えながら看病をしていこう。
まだ吉助殿の容態も安定していない、今夜は寝ずの番になりそうだ。俺はそう思いながら吉助殿を見守るのだった。
半兵衛の幼名は伝わっていないので、半兵衛の嫡男である重門の幼名をそのまま使っています。
それと半兵衛には同母兄の久左衛門重行がいますが、重元亡き後の竹中家の家督が、嫡男の重行ではなく次男である半兵衛が相続していること。重行に対する記録がほぼ残っていないことを加味して、本作では重行は病気で夭折したとさせて頂きました。
作中に出てきた疾病ですが、筆者は医者ではないので調べた知識になります。間違っていたら申し訳ございません。