15「心・技・体」
天文二十二年(1553年) 美濃国安八郡 大島村
黒岩村で数日宿泊した後、俺たちは安八郡へ足を踏み入れていた。
「勘次郎よ。お主弓は扱えるか?」
「はい、人並みにはなりますが。槍、刀、弓などの扱い方は一通り父から手解きを受けました。」
「そうか。俺は実の所弓が不得手でな、止まっている的相手でも満足に当てられん。余りの下手さに師も投げ出したほどだ。俺に失望したか?」
「いえ、完全無欠な者など居りません。逆に藤吉郎様にも不得手なことがあるのだなと安心致しました。」
「ふふ、気を使わせてしまったようだな。しかし弓の腕をいつまでもそのままにしておけんと思ってな。安八郡に大島甚六という弓の名手がいると聞き、その者に教えを請おうという訳だ。」
「大島甚六殿…。某は聞いた事ありませぬ。」
「確か美濃斎藤家の家臣と聞く。兵庫に聞けば知っておるやもしれん。大島村にいるとは思うが、詳しくは知らん、聞き込みをせねばな。」
「はっ!」
勘次郎と別れ、しばらく聞き込みをしているが、なかなか有力な情報がない。後1人2人に尋ねたら一旦勘次郎と合流した方が良いかもしれない。
「そこの御仁。大島甚六殿を知らぬか?」
俺は道端に佇んでいた男に話しかけた。狩りでもしてきたのか、男の手には弓が握られていた・。
「ふむ。そのお方に何用かな?」
男は顎に手を当てながら聞いてきた。この者が甚六殿について何か知っているかもしないと思い、勘次郎に話した内容を男に話した。
「そうか。今丁度儂は弓を持っておる。其方がどれほど扱えるか見せてはくれんか?」
そう言うと手に持っている弓を俺に手渡してきた。長年使いこまれたようで少し古ぼけてはいるが、よく手入れはされている弓だった。
「やってはみるがどうなっても知らんぞ?自慢ではないが俺の矢は、狙った的に中った試しがないぞ?」
俺は弓を受け取ると、道端の柿の木目掛けて矢を放った。俺の予想通り矢は柿の木を通り過ぎ、後ろの木に突き刺さった。
「このざまだ、甚六殿もこの姿を見たら頭を抱えるだろうな。」
そう自嘲しながら俺は弓を返した。
「確かにそうじゃな、儂をよく見てみよ手本を見せてやろう。」
そう言うと男は弓を引き絞った。その瞬間辺りの空気が変わった気がした。
緊張感で張り詰めたというのだろうか、一瞬周りの音が聞こえなくなったような気がする。
その緊張感の源が男だと気づいた瞬間、立て続けに2本の矢が放たれた。
男の放った矢は真っ直ぐに柿の木へ向かった。
1本は柿の実と枝の間を打ち抜き、もう1本は落下する実に突き刺さり、柿の実は幹に縫い付けられた。
俺はその神業に呆気にとられてしまい、何も言うことが出来なくなっていた。
「これが其方の探し求めていた大島甚六の技じゃ。噂以上じゃろ?」
そう言うと男はニヤリと笑った。
俺はその一言に驚き、慌てて視線を男の方へ戻した。男は俺の様子が滑稽だったらしくさらに笑い声をあげた。
まさか道を聞いた男が、大島甚六光義本人だったとは思いもよらなかった。
光義は屋敷に案内すると一言言うと歩き出した。俺は別行動をしている勘次郎を探しながら、甚六殿についていくのだった。
美濃国安八郡 大島村 大島屋敷
「大島甚六殿と知らずとはいえ、無礼を働いた事深くお詫びを致す。」
無事勘次郎とも合流でき、共に甚六殿の屋敷へ到着した。
到着した俺が一番先にしたのは謝罪だ。屋敷へ案内されたので機嫌は損ねてないようだが、謝っておくに越したことはない
「構わぬ、其方も悪気があったわけじゃなかろう。」
そういうと甚六殿は笑みを浮かべた。
今の甚六殿からは矢を放った時の覇気は感じられない。至って普通の壮年男性といった様子だ。
俺が農民だと思って話しかけるほど普段の甚六殿は穏やかだ。
しかし矢を放つ際の雰囲気やあの神業を見るに、とてつもない武人であるのは分かる。
大島甚六光義。信長に『白雲を穿つような働き』と称され『雲八』という名を賜った弓大将だ。
弓の腕を見込まれ多くの主君に仕え、参戦した戦は53回、賜った感状は41通と言われている。
弓の腕についても数々の逸話を残している。
前述したように木陰にいた敵を射抜く他に、矢で鉄砲に撃ち勝つや、聳え立つ塔の窓に10本の矢を立て続けに射込んだなど、枚挙に暇がない。
老いても尚盛んで、老齢93で会津征伐に従軍するなどのチート爺だ。
史実では秀吉にも仕えており、秀吉麾下で最終的に1万石以上の石高を領していた。
将来的に召し抱えたいと思い、当たりを付けるのもそうだが、そのような弓の達人に助言を貰えたらと思い、探していたわけだ。
「それで其方、儂に弓を習いたいのじゃったな。」
「はい、どんな些細ことでも構いませぬ。」
「そうか、では其方に足りんものを教えてやろう。其方に最も足らぬのは『心』じゃ。弓に限らぬが武は『心・技・体』が揃わねば上達はせん。其方は矢が当たらぬことに対して心が、精神が揺らいでおる。それにより構え『技』が歪んでおるのだ。弓術は闇雲に矢を放てば上手くなるものでもない。一射一射考えて引くのじゃ、何故中らぬのか、出来る者と自身の構えはどこが違うのか。それを考えながら焦ることなく進めよ。其方は恵まれた『体』を持っておる、それに見合った『心・技』を身に着ければ儂に比肩するほどの腕になるじゃろう。上手くいかぬからと焦ってはならん、弓術とは自身との闘いじゃ、弱き己に決して負けるでないぞ?よいな?」
俺は甚六殿の話を聞き、自分自身が真剣に弓に向き合っておらず、逃げていたことに気が付いた。
心の中で『あれだけやったのに上達しない、自分には才能がないのだ』と無意識の中で思っていたのだろう。甚六殿の言う通りそんな調子では、上達するわけがないというのに…
そんな自分を恥じるとともに、それに気づかせてくれた甚六殿には感謝しかない。
「よき教えを頂きました、某の考えの甘さが分かり申した。甚六殿には感謝の申し上げようもございません。」
そう言い俺は甚六殿に深々と頭を下げた。
後ろで勘次郎も頭を下げているようだ、きっと勘次郎にも思う所があったのだろう。
「尤も儂の言っていることも正しいとは限らんがな。だが儂はこの考えのもと腕を磨いてきた。少しはやってみても損はないと思うぞ?どれ、言ったからには正しい構えを見せねばな。其方ら先を急がぬなら儂の構えを見ていくが良い。丁度今から修練の時間じゃ。」
そういうとまた甚六殿は立ち上がり中庭へ降りて行った。
俺と勘次郎は構えを目に焼き付ける為、甚六殿の後へ続くのだった。