14 黒岩村
天文二十二年(1553年) 美濃国各務郡 各務村
兵庫助殿は各務家一同で俺に仕えると言ったが、各務家は当主である兵庫助盛正と正妻の大上殿。子は嫡男である勘次郎、弟の一学の2人だった。
元居た家臣は斎藤家に仕えるなどしてほとんど離散しているらしく、屋敷に仕える小者や侍女が数名居るだけらしい。この少ない人数でよく屋敷の維持が出来たものだと逆に感心した。
「俺は武者修行の旅をまだ続ける。それ故其方らは俺の故郷である尾張国へ向かってもらう事になる。俺の実家はなかなかの大きさでな、其方らを養うことなど造作もない。ただ近頃野盗が村の近くを根城にしておるようでな。兵庫助には家のものと共にその野盗共の討伐など、木下家の警備を任せたいが良いか?」
「御意に。早速荷物をまとめて出立致します。」
「うむ。詳しくは母か弟に聞いてくれ。これが紹介状じゃ。」
臣下の礼を取った後、もう1度俺たちは槍合わせをした。少し窶れて腕は鈍っていたが、野盗に負けるような実力ではなかった。
腐っても武士であり、元の調子になれば前線で槍を振るうことも出来るだろう。その武勇を見込んで実家の護衛を依頼することにした。小竹が護衛を欲していたから丁度良いだろう。俸禄も護衛代として渡すことが出来る。
「しかし良いのか?勘次郎を俺の共にするなど。」
「殿の槍の腕前は三左にも引けを取りませぬ。殿のお側で学んだ方が倅にも良いことでしょう。どうかお願い致します。」
「兵庫助はそう言うとるがお主はええのか?」
「はい!藤吉郎様は父上の命を助けて下さいました。お側で仕えることが出来、我が至上の喜びです!」
この少年が各務勘次郎、後の各務兵庫助元正だ。
父の命を救った事に加え、槍合わせで槍の腕前を見せた所、俺にかなり懐いたのだ。恐らく尻尾があったら千切れんばかりに振り回していることだろう。鬼兵庫もまだ11歳の少年なのだ、仕方がないだろう。
「まあならよいか。まさかこの歳で小姓を引き連れ旅をするとは思わなんだわ。」
「若いとは思うとりましたが、殿がまだ17とは思いもしませんでした。てっきり20は優に超えとるとばかり…」
「まあこの身体じゃそう思うわな。」
この体躯もあり、俺は実年齢より高く見られがちだが、兵庫助から見てもそうだったようだ。
「ではな、来年中には戻る。それまで留守は頼んだぞ。」
「心得ました、旅の安全をお祈りいたします。勘次郎、殿を頼んだぞ。」
「ええ。父上もお達者で。」
俺たちは各務家と別れ、次の目的地へ向かった。
美濃国各務郡 各務村 各務盛正
「いいのですか?あんなに簡単に仕官してしまって。」
尾張へ移住するため荷造りをしていると、妻が話しかけてきた。
「ああ。あの方の目を見て感じたのよ。あの方はただの大言壮語の法螺吹きではない、必ず大望を成しえる男だ。そう感じた途端、勝手に口が動いていたのよ。頭ではなく心が、俺の魂が震えたのだろうな。」
俺はそう話しながら思いを馳せた。俺は藤吉郎殿の下で再び戦国の世に身を置く所存でございます。義兄上お許しください。
「良い顔になりましたなお前様。」
そう言って妻は笑顔を見せた。妻にも心配をかけたことだろう、これからは心配をさせぬよう励まなければな。
「ふん、わしは元々良い男じゃろ?」
「よう言いなさる。ささ、早い所支度を致しましょう。尾張の中村郷へ行くのでしょう?長旅になりますね。」
「わしらは美濃から出たことがないからの。藤吉郎様が向こうに便りを出し、迎えを寄越すそうだ。国境まで行けば何とかなるだろう。」
「承知いたしました。では皆の者作業にかかるのです。」
「「「「畏まりました!!」」」」
妻の号令の下、小者や侍女が作業に取り掛かるのを横目に、俺たちも支度をするのだった。
美濃国加茂郡 黒岩村
「藤吉郎様今はどこに向かっているのですか?」
「仙石治兵衛久盛殿の所だな。尾張の虎と名高い織田弾正忠信秀の攻勢を、幾度となく退けた名将らしい。会っておいて損はないだろう。」
「父は斎藤家に出仕しなかったので直接の関わりはないですが、治兵衛殿の噂は各務郡でも流れております。」
「調べによると黒岩村に居を構えていると聞く。手分けして探すぞ。」
「畏まりました。」
勘次郎は歳の割にしっかりしている。槍の腕前も元服前の子どもにしては上手く、自分の身は自分で守れるだけの力はあるだろう。
何より話し相手が1人いるだけで、格段に旅がしやすくなった気がする。勘次郎を付けてくれた兵庫助には感謝だな。
程なくして治兵衛殿の屋敷を見つけた俺たちは、早速向かうことにした。
「某は旅の武芸者で木下藤吉郎秀吉と申す。尾張の虎を幾度となく退けた豪傑、仙石治兵衛久盛殿がいると聞いて参った次第。話を聞けるだけで構わん、取り次いでもらえぬか。」
「我が主は忙しい。武芸者風情に会っている暇はない。帰った帰った。」
門番はそう言って俺たちを追い返そうとしたが、いくらか金を渡すと手のひらを返して通してくれた。
農民がせびるのは何とも思わなかったが、武家屋敷の門番が受け取るのは如何なものかと思う。まあ通してもらえるだけありがたいか。
「お主が木下藤吉郎か。仙石治兵衛久盛と申す。」
「尾張国愛知郡中村郷の木下藤吉郎秀吉と申す、こちらは供の勘次郎。」
俺と勘次郎はそういって頭を下げた。目の前の大柄な武士が仙石治兵衛久盛殿か。
ここに来た理由は治兵衛殿の話を聞くこともだが、秀吉古参家臣である仙石権兵衛秀久と、その兄である仙石新八郎久勝に当たりを付ける為だ。
秀久は美濃攻略後に秀吉の与力として少年の頃から仕え、家臣団で一番早くに大名になった出世頭だ。
戸次川の戦いで改易されるも、小田原征伐の功で復帰したことから『戦国史上最も失敗し、挽回した男』としても知られている。
姉川の戦いで浅井家の猛将である山崎新平を討ち取る活躍や、黒田官兵衛と共に淡路を平定するなど、個の武勇や、指揮官としての才能は申し分ないだろう。
戸次川でのやらかしで誤解されがちだが、決して猪武者ではなく敵地での間者働きや、湯山奉行などの奉行職も熟す器用な武将である。
兄の久勝は斎藤龍興の近習を務めたことから斎藤家に近いとされ、織田家に仙石家が鞍替えする際、家督を弟の秀久に譲り隠棲した。
のちに福島正則に仕え関ヶ原の戦いに参陣し、福島家改易後は土佐藩に重臣として仕え、中老まで昇進したそうだ。
弟秀久と違い、記録はあまり残っていないが、剣豪であることが伝わっていることや、譜代家臣でないにも関わらず中老職に就く等、かなり有能であることは確かなようだ。
史実では直接秀吉に仕えることはなかったが、出来れば兄弟一緒に登用したいものだ。
「尾張の出か…お主織田家の回し者ではないだろうな?」
そう言って疑うような目を向ける治兵衛殿。
まあ尾張といったら織田家の勢力圏だ。斎藤家家臣である治兵衛殿は当然疑いの目を向けるだろう。
「某は尾張の出ですが織田家に関係はありません。某が今川家臣松下家で拝領した感状にございます。某も今川家で織田家相手に戦をしていた証になり申す。」
そう言って懐から感状を取り出し、治兵衛殿へ見せた。
仙石家は武を重んじる家風だ。それなら色々話すよりも武の証である感状を見せるのが効果的だと思い、わざと出身地を伝えたわけだが、ここまで上手くいくとは思っていなかった。
「ふむ。真の感状であるな、疑いの目を向け相すまぬ。」
「この時勢じゃ、疑い深い方がようござる。」
「お詫びとしてはなんじゃが少し屋敷に泊まっていくが良い。それと武芸者なら倅の様子を見てくれなんだか?新八と言って今年6つになる、親のひいき目だがなかなか筋が良いぞ。多少だが禄も出そう。」
「某は槍術を得意としております故、それでもよろしければ。」
「それで構わん。槍術には儂にも心得がある故、倅の後儂と槍合わせせんか?」
「願ってもない機会でござる、お頼み申す。」
新八は恐らく新八郎久勝だろう。試しに相手をしたがまだ6歳ということもあり、技術は発展途上だった。
俺の言うことも素直に聞いていたし、いい師匠がつけばかなり腕の立つ剣豪になるだろう。
途中、侍女か乳母に抱かれた赤子が見えたが、あれが秀久かもしれない。
「では参ります。」
「どこからでもかかってこい」
そして俺は今治兵衛殿と槍合わせをしている。
隙のない構え、淀みのない脚運びを見るとかなりの使い手だ。恐らくわが師左兵衛長則殿に匹敵するかもしれない。
「はぁ!!!!」
「くっ、参った。」
結果は俺の勝利だったが、紙一重だった。
突き出された槍を回し受け、治兵衛殿の腕ごと跳ね上げた。その隙に俺は懐に入り込み、石突を治兵衛殿の喉元に向けた。今回は勝てたが次は勝てるか分からない、そう思わざるを得ないほどだった。
「それほどの腕があれば斎藤家でもやっていけるだろう。どうだ儂が口利きしてやるから斎藤家に仕えんか?」
「まだ某は修行中の身でござる。ご厚意痛み入るがお断りさせて頂きます。」
「そうか、まあ気が変わったら何時でも儂の所に来い。」
宿泊中にも何度か治兵衛殿から誘いがあった。
相当気に入られてしまったようだが、俺は織田家にしか仕えないと決めているので丁重に断りを入れた。
10年以上先になるが仙石家も織田家に鞍替えすることになる為、その時まで待っていてほしいものだ。