13 武士とは
天文二十二年(1553年) 美濃国各務郡 各務村
祖父に槍の依頼をした後、俺は各務郡へ向かった。探しているのは後の森家家老、各務兵庫助元正だ。
戦場での武功から鬼兵庫と称され、森三左衛門可成から長可、忠政と3代に亘って仕えた重臣である。
武勇だけでなく岩村城の改修や城下町の整備や検地など、晩年は内政官として領国経営や政務をこなしたという万能武将だ。
忠義にも厚く、蒲生氏郷から高禄を持っての引き抜きを「二君に仕へず」と一蹴した逸話もあるなど漢気を感じる武将でもある。
各務家は元土岐家家臣であり、史実ではその伝を頼り森家へ出仕したらしい。
(森家も元土岐家家臣だ)
恐らくこの頃の元正は元服前で、まだ各務郡にいるかもしれないと思い、訪ねた次第だ。
どこに住んでいるのかは知らないので、地道に聞き込みをするとしよう。
「そこの御仁、土岐家に仕えていたという各務殿を知らぬか?」
俺は農作業をする男に声をかけた。
「各務殿?確か美濃守様が国を追われたゆうて、ここに帰ってきたっちゅう話を聞いたが。その方で合っとるか?」
「その各務殿じゃ!どこに住んどるか分かるか?」
「教えてもええが、タダで教えるのはのう…」
「がめついのう、ほれこれでええか」
これぐらいは必要経費だろうと思い、俺は鐚銭を何枚か握らせた。
「おぉ!これはこれは。各務殿の屋敷は山の麓じゃ。一番でかい屋敷じゃでよう分かると思うわ。」
「あい分かった、其方も達者での。」
ちゃっかりとした男だ。こういう時代ではあのような者が生き残るのかもしれないな。
俺は言われた通りに山麓を目指すと立派な屋敷が見えた。裕福になった木下家にも劣らない立派な屋敷だ。
小者と思われる男が屋敷の前に立っていたので声をかけた。
「御免!某は木下藤吉郎秀吉と申す旅の武芸者である。ここは各務殿の屋敷で相違ないか?」
「うむ。この屋敷の主は各務兵庫助盛正殿じゃ、お主武芸者と言うたがここにいったい何用じゃ。」
「土岐家家臣として辣腕を振るわれたという兵庫助殿がここに御座すと風の噂で聞いてな。一度我が武を試してみたいと思うてな。話をするだけでも構わぬ。目通り願えぬか?」
「そうか。実はの殿は美濃守様が追放の憂き目に負うたのは我が責と言うて塞ぎ込んでしもうてな。わしらも見ていて気の毒なんじゃ。いっそお主のような武芸者と話した方が気晴らしになって良いかもしれんの…。ちいとそこで待っとれ、わしが話を付けてきちゃる。」
小者はそういって屋敷へと駆けていった。
盛正は恐らく元正の父親だろう。浪人していたのは良かったが、塞ぎ込んでいるなんて思ってもいなかった。
しばらく待っているとさっきの小者が走ってきた。
「一応会うてくれるみたいじゃ。案内するでわしについてきてくだせえ。」
俺は小者に連れられて屋敷へ足を踏み入れるのだった。
美濃国各務郡 各務村 各務家屋敷
「わしが各務兵庫助盛正じゃ。旅の武芸者風情が何用じゃ。」
目の前の壮年の男が各務兵庫助盛正殿だ。少し窶れており、無精髭が目立つなどとても名家に仕えていた者とは思えない。
「お初にお目にかかります。拙者は木下藤吉郎秀吉と申す。土岐家随一の槍使いと言われる各務兵庫助様に一手御指南を頂戴したいと思い、此度参上した次第であります。」
本当のことを言うと、元正が名将なのは確かだが、父親である盛正は記録が乏しく槍の名手は知らない。
まあ所謂方便だ。気を悪くしないといいが。
「ふん、よう言うわ。槍では三左に遠く及ばんかったわ。まあいい、気晴らしじゃ相手してやろう。表に出い。」
そう言って自嘲していたが少し顔が綻んだのを見ると悪い気はしなかったのだろう。一応槍合わせもしてもらえるようだ。
庭に出ると俺たちは小者から槍を受け取った。しかし俺が構えても兵庫助殿は構えようとしなかった。
「参るがよろしいか?」
「おう、いつでもこい。」
勝負は一瞬だった。元から兵庫助殿は試合う気がなかったようだ。少し小突いただけで槍を落としてしまった。
「兵庫助殿。これはどういうつもりですかな?某を揶揄っているのでしょうか?」
俺は覇気のない態度に憤りを感じながら兵庫助殿に詰め寄った。
「ふん。これが仕えるべき主を失った者の末路よ。笑うがいい。わしは義兄上を守れなんだ。これは末代までの恥よ、各務家は不忠者としてこのまま消えゆくだけよ。」
そういうとその場で座り込んでしまった。
確か元正の母親は土岐美濃守頼芸の妹だったか、となると各務家は土岐家の中でも重臣だったはず。主家を守れなかった自責の念がここまで心を壊してしまうものとは思わなかった。
俺が狼狽えていると兵庫助殿は着物をはだけると脇差を抜いた。
「一目見て分かったがお主相当の使い手じゃな。お主のようなものに討たれるなら本望よ、旅の者に頼むのは憚られるが介錯を頼んでいいか?」
そう言う兵庫助殿の目は生きる希望を見失い暗く澱んでいた。ここで腹を切る気だと思い、俺は止めるようにと小者の方を見たが黙って首を振るのみだった。
恐らく家臣も今まで必死に止めていたのだろうが、最早限界が来ていたのかもしれない。
どうにか思いとどまらせたいがどう声をかけていいかが分からない。
「迷わず一思いにやってくれ。わしは死して義兄上にお詫びする他ないんじゃ。」
そう言って兵庫助殿も腹に脇差を当てた。
もはや止める術がないかと思われた時、いきなり甲高い大声が庭に響いた。
「おまえ!父上に何をする気だ!」
声のする方を見ると10歳前後と思われる子どもが立っていた。
もしかするとあの童が元正か?
「父上に刃を向ける不届き物め!俺が成敗してくれる!」
子どもは木刀を片手に俺の方へ向かってきた。
身体で受けるには流石に痛いので、俺は足払いをかけ転ばせた。しかしまだ子どもは負けじと向かってくるので、羽交い絞めにした。
「勘次郎!お主なにをしとるんじゃ!」
「父上こそ!なぜそのようなことをするのですか!父上が死んだら某はどうすればよいのですか!?」
「ええい!主家に殉ずるのは武士の誉れじゃ!止めるでない!」
「ですが!」
目の前で親子喧嘩が始まった。ぶっちゃけ俺は何を見せられているのだとも思ったが、自害を思いとどまらせるチャンスかもしれない。俺は羽交い絞めにしていた子どもを放すと息を吸い込んだ。
「じゃかぁしい!静かにせんか!」
俺の大声に驚いたのか、言い争っていた各務親子がこちらに振り向いた。
「兵庫助殿!貴殿の死を美濃守殿が望んだのか!? 生きて主家に尽くすのが誠の武士ではないのか!?貴殿の行っていることはただの逃げでしかない!それこそ美濃守殿への冒涜へ他ならんことが分からぬのか!?」
「若造が五月蠅い!武芸者風情が何を語る!」
「わしの生まれは農民じゃが、お主のような負け犬では抱けぬ大きな志を持っておる!この腕で!頭で!どこまでのし上がることが出来るのかこの戦国の世で試してみるんじゃ!男として生まれた者が天辺目指さずしてどうする!!お主のような腑抜けが家中におるから、土岐氏は斎藤氏に美濃国主の座を奪われたのではないのか!?」
「おのれ!わしのみならず、土岐家をも愚弄するか小童!!!」
兵庫助殿はそういうと俺に掴みかかってきた。先程の槍合わせの時とは打って変わってものすごい覇気だ。
しかし怒りで向かってきた者を御するのはそう難しくない、俺は腕と襟首を掴むと一本背負いで投げ飛ばした。
兵庫助殿はまともに受け身も取れず、地面に叩きつけられた。
「まだそこまでの覇気があるではないか。先程までの死んだような目をしていたお主とは大違いじゃぞ?兵庫助殿、まだ帰農するには早いのではないか?」
「ぬかせ、お主のような小童に簡単に投げられるようじゃあかんわい。」
そう自嘲しているが、どこか吹っ切れたのか少し晴れやかな顔をしていた。
「気づいておるかお主笑っておるぞ。お主心の奥ではまだ武士として、世を駆けたいのではないか?少なくとも某にはそう見える。」
「じゃがわしに仕えるべき主はもうおらん。義兄上は行方知れず。国盗りをした斎藤家には仕えとうない。」
「某がおるじゃろう。今は武芸者を名乗って武者修行をしておるが、何れでっかくなる男じゃ。どうじゃ?わしに仕えてみんか?」
「ふん。小童が偉そうになにをいう…。だがわしに武士の心を思い出させたのもお主じゃ…。一度死んだと思うて仕えてみるのもええかもしれんの。」
地面に寝そべっていた兵庫助殿は、姿勢を正して俺へ向き直った。
「元土岐家家臣 各務兵庫助盛正並びに各務家一同 これより木下藤吉郎殿を主と仰ぎお仕えいたします。」
兵庫助殿はそう言って俺に平伏した。
まさか放浪中に家臣が出来るとは思ってもみなかった。
だが先ほどまで死にそうな顔をしていた男が、こんなにも生き生きとしている姿を見て悪い気はしなかった。