12 関兼貞
天文二十二年(1553年) 美濃国可児郡 願興寺
俺は明智城を出てから、同じ可児郡にある願興寺を訪れた。探しているのは可児才蔵吉長だ。
才蔵は柴田勝家、明智光秀、前田利家などの名立たる武将に槍の腕1本で仕え続けた豪傑である。
戦場では笹の指物を背負って戦い、持ち運べない首に自身が討ち取った証として、笹の葉を噛ませたという逸話から後世には「笹の才蔵」と言われ名が残っている。
史実では秀吉の甥である秀次に仕えたが、小牧・長久手の戦いで秀次が大敗したことで愛想を尽かし出奔したらしい。
前線指揮官として非常に優秀な武将であるため、ぜひ登用したいと思い、幼少期を過ごしたという願興寺に赴いた次第である。
「才蔵という名の稚児は当寺にはおりませぬ。」
願興寺で聞き込みをしたが空振りだった。恐らくまだ産まれていないか、名前が違うのかもしれない。
稚児趣味の偉丈夫がいると噂になってはいけないので、早めに寺を後にすることにしよう。
美濃国武儀郡 関郷小瀬村
次に向かったのは祖父の所だ。昔3種の農具を作ってくれた関兼貞が俺の祖父になる。
あの時は農具だったが今回は武器を作ってもらおうと思い訪れた。
母に場所を聞いた事と、高名な刀鍛冶であることから、居場所は比較的分かりやすかった。
鍛冶場には鎚で鉄を打つ音や、焼けた鉄を水に浸ける音のみが響いていた。俺は近くにいた若者に話しかけた。
「中中村の藤吉郎が来たと兼貞殿に伝えてほしい。」
「生憎立て込んでいてね。刀の依頼ならそこの帳簿に名を記してくれ。」
若者はそう素っ気なくそう言った。その態度に少しイラっとした俺は1つ悪戯をすることにした。
「そうか。孫が祖父に遥々会いに来たというに待たねばならんのか。」
「なんだと!?」
俺がそう言うと若者は焦って奥へ向かった。
「孫が直接わしに会いに来るなど、どういう風の吹き回しだ?」
暫くすると一人の老人がそう言いながら鍛冶場から姿を現した。
炉の前に長い時間いる為、日焼けとは違う焼けた肌をしており、鎚を振る右腕は丸太のように太く、とても老人には見えなかった。
「おぬしが藤吉郎か。人を揶揄う癖があるとは思わなんだが…。でわしに何か用か?」
老人はそう言うと俺の前に座った。
「まずは過去のお礼から。あの農具で木下家は裕福になった。御爺様には感謝してもしきれない恩があり申す。木下家を代表して御礼申し上げます。」
そう深々と頭を下げると祖父は豪快に笑った。
「構わん。それよりお主は固いのう。先程弟子を揶揄った者と同じやつとは思えんぞ。わしは親族じゃ、気軽に話してくれい。」
「ではお爺。お爺に1つ作ってほしい武器があるんじゃ。」
俺は十文字槍の図面を祖父に手渡した。
「これは槍じゃな。見たこともない形じゃがお主が考えたのか?」
十文字槍は興福寺の僧で、宝蔵院の院主を務める覚禅房胤栄が創始した宝蔵院流槍術で用いられる槍だ。
『突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし』とうたわれるように、攻防共に優れた槍として戦国の世に広く普及したものである。
ちなみに願興寺で探した才蔵も、宝蔵院流槍術を修めた者の1人である。
まだこの時代の美濃国には十文字槍は浸透していないらしい。今回の旅のゴールは大和国の興福寺に行き、胤栄から宝蔵院流槍術を学ぶことなので、ここで作って少しでも慣れておくのが良いと思ったのだ。
「大和国の僧兵が作ったそうだが、俺は詳しく知らなくてな。お爺作れるか?」
「お主はわしを誰だと思うちょる。関一派の名に懸けてこの世に2つと無い業物に仕上げてやろう。幾ばくかの時間をもらうがよいか?」
「しばらく美濃国にいるから構わない。どれくらいかかる?」
「およそひと月じゃな。作刀だけでなく砥ぎや槍装具も付けなならん。わしの知り合いに頼むが、何せ初めての物じゃ。さらに時間がかかるかもしれんぞ?」
「それならば先に各所を回ることにする。俺はこれから各務郡、加茂郡、安八郡、大野郡と巡り近江国へ抜ける予定だ。」
「えらい長旅をするのう…。ならばお主が美濃国を出る前にわしの所に寄るがいい。国境から離れることになるが、そこまで動くと届けようがないからのう。」
「ではそうさせてもらう。なに順番を割り込んで作ってもらっている身だ。態々届けてくれなどと贅沢は言わんよ。」
「よう言うわ。さて腕がなるのお」
そう言った祖父の瞳は、新しい玩具を与えられた童のように輝いていた。
この人に任せれば天下三名槍にも劣らない業物が出来るかもしれない。
俺は期待に胸を膨らませながら、祖父の鍛冶場を後にするのだった。
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