婚約解消と運命の女神
「婚約を解消してくれないか、ヘレネ」
おだやかな春の日。窓から差し込む光がキラキラと光る。
そんな景色とは裏腹に、ユーリの表情はかたくけわしい。
突然大広間に呼び出された私は、ユーリの後ろにいる国王陛下に緊張しながらもおそるおそる口を開いた。
「理由を教えていただけますか? 私たちは仲が良かったではありませんか。それとも、そう思っていたのは私だけですか?」
ユーリはかぶりを振った。
「いいや、僕もヘレネのことは好きだよ。婚約が決まったときから、君には好感を抱いていた」
私の横に立っているお父様がかたく拳を握るのを気配で感じる。国王陛下が口を挟む様子もなく、発言の許可がないから黙っているものの、心の中ではさまざまな言葉がうずまいているだろう。
「それならば、どうして」
ユーリは感情の読めない瞳で私を見つめた。
「実は、南の国の王女から結婚の申し込みがあったんだ。我が国は小国だ。大国の南の国との繋がりを得られるのであれば、メリットは大きい」
納得した私は、小さく頷いた。
「婚約解消の件、承知いたしました。そのような事情であれば構いません」
「いや、構う! 構うぞ! 俺は認めん!」
我慢できなくなったお父様が叫んだ。お父様、いくら国王陛下とご友人だとはいえ、このような場ではせめて敬語は使った方がいいと思うわ。
私だって、2人きりの時はユーリに敬語は使わないけど、今はきちんと場はわきまえているのに。
「お父様」
小声でたしなめると、「構わん」と厳かな声が聞こえた。
声の主、国王陛下に一斉に視線が集まる。
「この場には我ら4人しかおらんのだ。楽にするといい。発言を許可しよう」
「それならば」
お父様は我慢していた言葉をぶちまけ始めた。
「言わせていただくが、ヘレネはもう18歳なのだぞ。結婚相手として相応しい相手は皆、既に婚約者がいる。幼い頃から婚約しておいて、今さら婚約解消だ? ヘレネの若い時間を奪っておいて、どういうつもりだ! ヘレネのことを何だと思っているんだ! より良い相手が現れれば捨てられる都合のいい令嬢か!?」
言い過ぎだとは思うが、概ね言いたいことは私とは変わらない。私は黙り込んだ。
「その点に関しては申し訳ないと思っている」
「申し訳ないと一言謝って済む問題か!」
「いいや。だが、謝らせてくれ。申し訳なかった」
ユーリは深々と頭を下げた。
「お顔をお上げください!」
私は慌てた。優しいユーリのことだ、悩んだ末の結論だったのだろう。私との婚約を解消して南の国の王女が嫁いでくることで国民が幸せになるのなら、その方がいい。
「謝って済む問題ではないし、公爵にはまた怒られてしまうかもしれないが、賠償金も払わせてくれ。金の問題ではないが、多くあって困るものでもないだろう」
ユーリの誠意が伝わってくる。
「お心遣いありがとうございます。ありがたく受け取らせていただきます」
「これっぽっちもありがたくない! その程度は当たり前だ。いくら言葉や金をもらってもだ、ヘレネは誰に嫁げばいいんだ。もう碌な相手は残っていないんだぞ。離婚歴のある男か? 低位貴族か? 金とヘレネの美貌が目的の野郎か? ふざけるな!」
お父様の怒りは収まらない。
「落ち着いてください、お父様」
「逆におまえはなぜ落ち着いていられるんだ。おまえの人生がかかっているんだぞ」
私はため息をついた。この場に国王陛下がいるということは、これは決定事項なのでしょう。決まったことに文句を言っても疲れるだけ。黙って受け入れた方が楽だわ。
国王陛下がおもむろに口を開いた。
「公爵の言うとおりだ。こちらとしても、王家の事情で婚約を解消する以上代わりの相手を紹介するべきだと考えた」
国王陛下はユーリに視線を送り、ユーリが言葉をつないだ。
「実は今日王宮に呼んでいる。もし会って結婚しても良いと思えば、王家として祝福しよう。もちろん、相手として相応しくないと思ったら断ってもらって構わない。相手にもそのように許可は取ってある。希望するのであれば今すぐこの部屋に呼ぶが」
私たちは親子揃って目を見開いた。まさか、次の結婚候補が既に用意されているとは。
私はお父様をちらりと見た。お父様は渋い顔をして頷いた。
「ぜひ、お会いしたいです」
国王陛下が合図をすると、大広間の扉が開き、新たな結婚候補の男性が姿を現した。
その男性を見て、私は目を見開いた。彼は。
「紹介するよ。北の帝国の第3皇子のレオン殿だ。ヘレネは彼とは知り合いだよね」
ぽかんと口を開けた私は、ユーリの言葉に反応することもなく、レオン様を見つめた。彼が。どうして。
レオン様は私に歩み寄り、笑顔を見せた。冷たく見える知的な瞳が緩む。
「やあ、久しぶりだな」
その声を聞いた瞬間、さまざまな思いが頭を駆け巡った。
レオン様とは、通っていた学園で出会った。第3皇子である彼は早々に皇位継承権を放棄し、自由な立場で我が国に留学に来ていたのだ。
初めは知識の深さと頭の回転のはやさに驚き、次に何気ない優しさに心があたたかくなった。そして、私をからかうときに見せる笑顔がくすぐったかった。
容姿も身分も良く明るい性格の彼は、学園の人気者だった。他の令嬢に笑顔を見せているところや手作りのお菓子を受け取っているところを見ると、なぜか胸がチクチクと痛んだ。
彼といると、新たな自分を発見してばかりだった。しかし、ユーリという婚約者がいる私は、レオン様との距離が必要以上に近くならないように気を付けていた。
そのレオン様が、今結婚候補として目の前にいる。
私は頬を赤らめて口をぱくぱくと動かした。驚きすぎて何を言えばいいのか分からない。
助けを求めようとお父様を見ると、まさか隣国の皇子が出てくるとは思わなかったらしく、動揺が見てとれた。
レオン様はお父様に頭を下げた。
「はじめまして。北の帝国の第3皇子のレオンと申します。既に皇位継承権は放棄しまして、いずれは皇帝家を離れて侯爵位をいただくことになっております。ヘレネ嬢に求婚する許可をいただきたく存じます」
「あ、ああ……」
レオン様は呆然としているお父様の漏らした、返事とも相槌ともつかない言葉を許可と受け取ることにしたようで、クルリと私に向き直った。
目があったレオン様はフッと笑うと、その場にひざまずいた。
慌てる私の右手を取り、下から見上げる。
余裕のあるその表情に、頬が熱くなる。
「ヘレネ嬢。学園で出会い、思慮深くやさしいあなたと話すたびに、婚約者がいると知りながらも惹かれる気持ちを止めることはできませんでした。婚約を解消するならば、ぜひ私と結婚してほしい」
右手の甲に口づけを落とされて、私の頭はパニック状態になった。
ユーリとは友だちのような関係だったから、こんな甘い雰囲気になったことは一度もない。学園ではレオン様はこんなにかしこまった姿を見せることはなかったから、余計に心臓の鼓動がはやくなる。
「は、はい」
うまく働かない頭。それでも、なんとか返事をした。
「私で良いのであれば、ぜひ」
元々好意的に思っていた相手から想いを告げられて断る理由はなかった。横にいるお父様も何も言わないので、文句はないのだろう。
「ヘレネ嬢で、良いんじゃない。ヘレネ嬢が、良いんだ。本当に、結婚してくれるんだな?」
たった一文字の違い。でも、その違いは大きい。それを訂正して言い直してくれたことに嬉しくなる。
「はい。どうぞ、これからよろしくお願いします」
ほほえみかけると、レオン様は満面の笑みを浮かべた。
「本当に、これでいいんだな?」
小声で父上が話しかけてくる。ヘレネたちに聞こえたらどうするんだ。
「いいんです」
ふわりとほほえむヘレネを見つめる。僕では引き出せなかった、ヘレネの恋する幸せそうな笑顔。
幼いときに婚約者として初めて会ったとき、僕はヘレネに一目惚れした。彼女は天使のようだった。こんなに可愛い子がこの世に存在するのか、そう思った。
何度かお茶会をするうちに、ヘレネは僕のことを友だちのように思っていることを察した。
僕はそこで一つ目のミスをした。僕も友だちだと思っているのだと、そうヘレネが勘違いするような態度を取り続けたのだ。
無垢な彼女に僕の想いをぶつけて、引かれて距離を取られるよりも、友だちとしてヘレネの1番近い場所を確保して、それからアプローチをすればいいと思ったのだ。
悪くない判断だったとは思う。実際、学園に入学するまで彼女と最も親しいのは僕だった。
学園に入学して、僕は二つ目のミスをした。王子の婚約者として妬まれ、僕が話しかけるたびに令嬢たちがヘレネをにらむのを感じた僕は、学園でも友だちらしく振舞い続けたのだ。ヘレネは王子に愛されているわけではなさそうだ、そんな噂が立つと、ヘレネは少し学園で過ごしやすくなったようだった。
今思えば、ヘレネに引かれたとしても、もっと溺愛している様子を見せて他の令嬢を牽制し、ヘレネの心も手に入れられたら良かったのだろう。
そうこうしているうちにヘレネはレオン殿と出会い、距離を縮めた。僕には分かった。ヘレネがレオン殿に惹かれていくのが。そして、レオン殿の気持ちも同じのようだった。
2人とも適度な距離感は保っていたが、いわゆる両片想いの状態であることは僕にはよく分かった。分かってしまったんだ。
そんな時に、南の国の王女との結婚の話が舞い込んだ。僕がヘレネを愛していることを知っている父上が頭を抱えているところに遭遇した僕は、言ってしまったんだ。「いいですよ」って。それが、三つ目。
国のことも、ヘレネの気持ちも、ぜんぶ、全部無視して僕の気持ちを優先すれば、僕は幸せになれたかもしれない。結婚してから精いっぱいの愛を注げば、いずれは彼女の気持ちも僕の方を向いてくれたのではないだろうか。
でも、僕にはその勇気がなかった。
僕はレオン殿に連絡して事情を話した。レオン殿が婚約者を持とうとしないことは知っていた。ヘレネは気持ちを自覚していないようだったがレオン殿は明らかにヘレネに好意を持っていたから、婚約する気にならなかったのだろう。
案の定、彼は二つ返事で了承した。
もう後戻りはできなかった。これはヘレネのためなのだ。
第一王子である僕はいずれ王位を継ぐ。小国という立場では、ヘレネよりも国全体の利益を優先しなければならないことが増えるだろう。
一方でレオン殿は大国である北の帝国の第3皇子、しかも皇位継承権を放棄している。彼の方がヘレネを幸せにできるだろう。侯爵夫人だ。今は公爵令嬢だから格下のように聞こえはするが、小国の公爵と大国の侯爵で比較すれば当然大国の侯爵の方が上だ。
僕が身を引くだけで、愛し合う2人は生涯を共にできるのだ。ヘレネもその方がより幸せだ。僕の決断は、きっと間違っていない。
「ヘレネ、幸せそうです」
僕はぽつりと呟いた。春のおだやかな光に祝福された2人は、この先間違いなく愛し合う幸せな夫婦であり続けるだろう。
「ああ、そうだな」
父上は優しく返事をしてくれる。
僕は窓の外に視線を向けた。
さてさて、僕も気持ちを切り替えなければ。
嫁いでくる王女は容姿端麗で性格は快活で思いやりにあふれていると聞く。きっと愛せるはずだ。
光がにじむ。僕の今の顔はヘレネたちには見せられないな。
ぼんやりと外を眺めるユーリ殿。俺は彼の気持ちに気づいていた。
学園でヘレネ嬢と知り合ってからすぐに、俺は定期的に彼の視線を感じるようになった。
表向きは友だちのように振る舞っているが、実際は愛しているのだろう。この視線の意味は、嫉妬だ。
一方で、ヘレネ嬢の方は本当にユーリ殿のことを友だちだと思っているようだった。
「いつでも悩みを聞いてくれて優しいの」
そう言って笑う彼女に、ユーリ殿への恋情は感じなかった。
彼女と言葉を交わすほどヘレネ嬢のことを好きになってしまう自分がおさえられない。こんな恋、叶うわけがない。
想いが一方通行でも、2人の関係は良好だ。おだやかな尊重し合える夫婦になるだろう。
恋を想い出に国に帰った。早速見合い話がいくつも飛び込んできたが、当分はそんな気分になれなかった。
そんな時に、ユーリ殿から連絡があった。ヘレネ嬢と結婚しないかと。
正直、驚いた。だが、こんなチャンスはまたとない。ユーリ殿の気持ちを知っていながらも、俺はその提案に飛びついた。
ヘレネ嬢に歩み寄り、求婚する。ヘレネ嬢は顔を真っ赤にしながら了承してくれて、幸せが全身を包んだ。
ユーリ殿、すまない。ヘレネ嬢は絶対に俺が幸せにする。安心してくれ。
運命のあの日から10年が経った。私とレオンの関係は今でも良好だ。良好というか、周りに「いつまで新婚なんだ」と言われるくらいには仲が良い。
レオンと婚約して結婚の準備をしている間、レオンはたくさんの想いを伝えてくれた。
私はいつしかレオンのことを好きになっていた。初恋だ。あの時婚約が解消になった時はどうしようかと思ったけど、結果的には良かったわ。
もしかしたら、学園にいたときからレオンに惹かれていたのかもしれない。ふとそう思ってレオンに何気なく言った時のレオンの嬉しそうな顔は忘れられない。
可愛い子どもも2人生まれた。男の子と女の子が1人ずつ。2人ともレオンのまねなのか、「愛してる!」「大好き!」と1日に何度も言ってくれる。本当に可愛い。
子どもといえば、ユーリ様ご夫婦のところにも先日第2王子が産まれたらしい。仲睦まじい国王と王妃だと、北まで噂がまわってきた。幸せそうで私も嬉しくなる。
「何を考えているんだ?」
レオンが後ろから抱きついてくる。
「あなたのこと、子どもたちのことよ」
私はレオンにほほえみかけた。
「本当か? 嬉しいよ。愛してる」
レオンは私の頬に口づけた。くすぐったくて笑いがもれる。
「私も愛してるわ」
愛し合える夫と出会えたことは本当に幸運だと、毎日感じている。
私たちを結びつけてくれた運命の女神様に、心からの感謝の祈りを捧げた。
お読みいただきありがとうございます!
おもしろいと思っていただけましたら、いいねや評価で応援していただけると嬉しいです(*´꒳`*)
もしよければブックマークもしていただけると執筆の励みになります!
別の短編と完結済みの連載小説のリンクを下に貼っていますので、あらすじだけでも、1話だけでもぜひお読みください!